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第十二章(⑯)

 邦子はカトウの前に、メバルの煮つけやきんぴらごぼうが、豆腐の吸い物やごはんと一緒に手際よく並べていった。 「昨日の残り物ばかりで申し訳ないんですけど」 「いえ。本当に恐縮です……」  しょうゆの香ばしい匂いに、カトウの胃がきゅっと縮む。少し落ち着きを取り戻し、やっと空腹感を感じてきた。とはいえ、主人不在の家で食卓の席につき、お手伝いさんに給仕されている状況の奇妙さは変わらない。  どう考えても、会話がはずみようがない。  ところが、邦子は中々にもてなし上手だった。 「失礼しますね」  断りを入れた上で、彼女は自分の湯呑みを持って、カトウのななめ前の席に座った。 「加藤さん、お魚は平気ですか?」 「え…ええ」 「それはよろしゅうございました。アメリカの方の中には、魚が苦手という方も多いと聞いておりますので。だんなさまも、気に入ってくださっているので助かります。料理を作るわたくしとしては、肉より魚の方が、やはり慣れておりますから――加藤さん、お生まれはどちらで?」 「…ロサンゼルスです。西海岸の……」 「そうなんですね。それにしても日本語、お上手ですね」 「あ…子どもの時、十年くらい、日本で暮らしていましたから」 「どちらに?」 「……北陸の富山です」 「あら。たしか薬売りで有名な土地ですよね」 「ええ……」 「わたくしは実家が、秩父の方なんです。ほら、あの温泉がある」 「はあ……」  言葉少なく答えるカトウを、邦子はにこにこしながら見ている。きんぴらごぼうに箸を伸ばしかけたカトウは、衝動的にその問いを口にした。 「あの。平気なんですか。俺みたいな、その……」 「だんなさまの『いい人』でいらっしゃること?」  ずばり指摘されたカトウは、耳元まで真っ赤になった。  リンゴみたいに頬を染めたその顔がよほど可笑しかったようで、邦子は声を出して笑った。 「すみません……でも、本当にかわいらしいお人ね。見ていて、あきないわ」  ひとしきり笑った後で、邦子は言った。 「ごめんなさい。わたくし、少々イジメっ子の気がありまして。許してくださいまし」 「は、はあ……」 「先ほどの質問ですが。わたくし、だんなさまがと知った上で、お仕えしていますので。別に驚きませんよ」  粋な青年のように、邦子はウインクをよこした。なかなかさまになっている。 「もっとも。お相手の方がうちにいらっしゃるのは、初めてのことですけど」 「す、すみません。先ほどは大変お見苦しいものをお見せしまして………」  そこでカトウは、はたと気づいた。 「……あの。あとで部屋の後始末は、俺がしますので」  このチャーミングなお手伝いさんに情交の跡を見せるだけで、とんでもなく罪深いことに思えた。後始末など、もってのほかだ。  しかし、当の邦子は形のいい眉をひそめて、 「わたくしの仕事を奪わないでください」と言った。それからふっと表情をゆるめる。 「本当におかしな方ね。だんなさまは、あなたがとても優秀な兵隊さんだとおっしゃっていましたけど。ちっとも、そんな風に見えないわ。加藤さん、お年は?」 「今、二十二です」 「あら、お若い。わたくしの方が年上ですね」  ここで、「おいくつですか」と聞くほど、カトウも無神経ではなかった。  当人の性格にも起因することだろうが、邦子のものに動じない性格は、やはり年相応の経験から来るものだろう。少々、好奇心旺盛というより、過剰気味ではあるが……。  食事が終わる頃、カトウはずい分、くつろいだ気分になっていた。食器を片づけた邦子が淹れなおした緑茶を持ってくる。邦子は湯呑みを置くと、「あら、いけない」とひと声上げ、エプロンの前ポケットに手を入れた。 「だんなさまから言づけをあずかっていたのを、すっかり失念しておりました」  謝りながら、彼女はカトウの前に一通の封筒を差し出した。

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