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第十三章(⑤)
ササキが自室に引き取ったあとも、カトウはベッドの上で考え続けた。鎌倉警察内部にいる内通者が若海組に情報を流したのだとしたら、話は単純だし、できたらそうであってほしい。
身内を疑うより、面識がほとんどない人間を疑う方がよほど気は楽だ。
ーーでも、もしU機関の中に裏切り者がいるとすれば?
そいつは今もクリアウォーターやカトウと肩を並べて、何食わぬ顔で仕事をしていることになる。そこにきてアイダの不審な行動だ。日本人になりすまして、一体何をしているのか…。
ササキの話によれば、アイダは毎週末の土曜日、判で押したようにどこかに出かけ、日曜日の夕方か夜に帰って来るという。ササキはどうも、「密偵」とか「スパイ」という職業に、妙な憧れとロマンを感じているらしく、なんとアイダを尾行してみようと言い出した。
「明日、ちょうど土曜日じゃろ。ミィ、こっそり准尉のあとをつけてみようと思ってるんじゃが。一緒に行ってくれんか?」
「……なんでそうなるんだよ」
「いや。ひとりじゃと、心細いし…」
「却下」カトウはため息をついた。
「軍曹の階級章をつけた日系二世 が連れ立って歩いてたら、ひとりでいるよりずっと目立つ。准尉は勘の鋭い人だから、すぐに俺たちだってばれる」
「ならいっそ、ミィらも平服で行くのはどうじゃ? 顔は日本人と同じじゃから、そっちの方が見つかりにくいじゃろ」
「あのなあ……」
ササキはそう力説するが、カトウの目からすれば、どう見てもササキはハワイ生まれの日系二世 以外の何者でもない。顔はともかくとして、全体的な雰囲気が完全にアメリカ人――というより、ハワイ出身者のそれなのだ。歩き方ひとつとっても違う。
「――それにお前の服はどうせ、PX あたりで買ったやつだろ。型が日本のと微妙に違うから、やっぱり気づかれる可能性がある」
こうして、変装して尾行するという無謀な案は没となった――はずだった。
カトウはベッドの中で何度か寝返りを打っていたが、むっくり起き上がると、灯りをつけて物入れ の扉を開けた。普段、身につけている軍服に混じって、真新しい黒いズボンと白シャツがしまわれていた。
ズボンは以前、クリアウォーター邸で西村邦子がカトウに着せた服で、結局そのままもらい受けたものだ。あの時、着せられたシャツは邦子のものだったが、ここにあるのはあとからもらった男物である。
「――加藤さんのシャツ。洗濯したんですけど、ずい分くたびれていましたから」
そう言って、邦子は元のシャツのかわりにプレゼントしてくれた。「『いい人』ができたら、身ぎれいにしておくのも大事ですよ」とこっそり耳打ちしながら。
カトウはズボンとシャツをじっと見つめた。
「………」
どう考えても、馬鹿げている。これを着て、アイダを尾行するなんて。クリアウォーターに報告すればいいだけの話だ。アイダの行動に、少し奇妙なところがあると――。
しかし、その考えは急速にしぼんでいった。
--U機関の中に裏切り者がいるかもしれない。
ササキさえ気づいたことに(カトウ自身が気づけなかったのは腹立たしくはあるが、まあ仕方ないとして)、クリアウォーターが気づいていないはずがなかった。
だったら、どうしてそのことをカトウに言ってくれないのか。カトウはずっと、クリアウォーターの護衛だったはずなのに。
さらに恐ろしい可能性が、カトウの頭の中で鎌首をもたげた。
ーーあのひと は、俺のことさえ疑っているのか?
理性でなく感情が、それ以上、考えることをストップさせる。クリアウォーターの愛情表現が偽りのものなんて考えたくない。それに、そこにうそが混じっているようには、カトウにはどうしても思えないのだ。クリアウォーターがうそをついている時は、カトウには何となく分かる。しかしーー。
ーーこんな風に考えるのも、いわゆる「愛は盲目」というやつなのか……。
頭が煮立った鍋のようになり、カトウはだんだん気分がふさいできた。同時に、クリアウォーターに対して猛烈に腹が立ってきた。
日頃、肩を並べて仕事し、時に冗談を言い合う仲間の中に、赤毛の少佐を殺そうとした人間がいるかもしれない。カトウやヤコブソン、ニッカーが巻き添えを食って死ぬことに、良心の呵責を覚えず、実際にニッカーが死んだ後も何食わぬ顔で仲間の振りを続けている裏切り者がいるかもしれないのに、そのことをひと言も言ってくれないなんて。
カトウを信頼していないと言っているのと、同じではないか。
――何より…そいつにまた狙われて、まんまと殺されたらどうする気だ。ふざけるな!!
カトウはもう一度、真新しい黒ズボンとシャツを見つめた。
いいだろう。あの赤毛の少佐のために、疑惑のひとつを減らしてやる。
カトウは物入れの扉を乱暴に閉めると、かっかしながらベッドに戻った。
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