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第十三章(⑨)

 W将軍の元から退室し、階段を下りる間、赤毛と半白頭の二人の少佐はしばらく互いに口をきかなかった。気づまりな沈黙を破ったのは、ソコワスキーの方だった。 「…手詰まりか?」 「かもしれない」クリアウォーターの声には、さすがに元気がなかった。 「これでも、そこそこ使える人間だと、自負していたつもりなんだ。だけど、とんでもない勘違いだったようだ。身内を調べることとなると――私はどうにも無能者のようだ」  ソコワスキーは足を止めた。彼のオフィスがある階にたどりついたのだ。だが、珍しいことにまだ話を打ち切ろうとしなかった。 「それは貴官が部下との間に築いた信頼を、壊したくないからだろう。だからこそいつものような思い切った手を打てない」  クリアウォーターはソコワスキーをまじまじ見つめた。  それから「多分、当たっている」と認めた。 「人と人との関係は一度、壊れてしまったら、元に戻すことは不可能に近い。私はその経験がちょっと豊富すぎてね。だから、臆病になっているんだと思う」  クリアウォーターは一瞬、目を細める。壊したくなかったのに、壊れてしまった間柄。最初に両親の顔が、それから幾人もの顔が頭をよぎった。  ソコワスキーのむっつりした声が、クリアウォーターの意識を現実に引き戻した。 「ヤコブソン軍曹、退院したそうだな」 「え? …ああ。木曜日にね。やっと東京に戻って来たけど、今はまだ寮で静養している」 ーーどうしてここでヤコブソンのことが急にでてくるのか。  クリアウォーターは首をかしげた。  ソコワスキーは周りを見わたし、自分たちしかいないことを確認した上で声をひそめた。 「……軍曹が貴官と同じタイプの人間だと、貴官は知っているそうだな」  クリアウォーターは一瞬、無表情になった。それは部下の秘密を守るゆえの反応だった。  U機関の人間で、ヤコブソンが同性愛者(ホモセクシャル)だと知っているのはクリアウォーターだけだった。そしてクリアウォーターと異なり、ヤコブソンはその秘密を滅多なことでは第三者に知られたくない人間である。  なら、なぜソコワスキーが知っている?  考えられる理由はひとつしかなかった。 「…彼、自分で君に打ち明けたのかい?」  ソコワスキーはにらむような一瞥をクリアウォーターにくれ、首を縦に振った。 「昔、第八軍にいた時にな。俺はやつの秘密を知って、その……貴官も想像のつく反応をした。それからすぐにやつは転属願いを書いて、俺のもとから去って行った」 「……なんと」  さすがのクリアウォーターも、反応に困って気の利いたことが言えなかった。ソコワスキーが事実のいくつかを省略していることは、容易に察せられた。だがクリアウォーターは、あえて問いつめようとは思わなかった。  その時、二人の間でどんなにひどい事態が発生したか、ソコワスキーが言いたくないなら、聞かないのがエチケットだ。   ソコワスキーは肩をすくめた。 「ーー例の襲撃事件でヤコブソンが負傷して入院したと知ったあと、実は見舞いに行ったんだ。その時、昔のことを謝ったんだ。そうしたら……あいつは許してくれた」 「よかったじゃないか」  クリアウォーターは心から言った。だが、 「……要するに、何が言いたいかというとな」  ソコワスキーは、なぜかかみつきそうな声を出した。 「人間関係を修復するのは、本当に難しいよ。でも不可能じゃあない。こっちが本気で取り組めば、解決する場合だってあるってことだ」  それだけ言い捨てると、半白頭の少佐は挨拶もせずにさっさと自分のオフィスの方へと引き上げていった。  残されたクリアウォーターは、ドアの向こうに消える背中を見送ってから苦笑を浮かべた。 「――わざわざ知られたくない話までして、励ましてくれてありがとう」

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