201 / 264

第十三章(⑪)

 プラットホームにすべりこんできた列車が、軋みながら停車する。アイダが乗ったのを確認したカトウとササキは、隣の車両に乗りこんだ。ササキが以前目撃したのと同じ格好で現れたということは、目的地も多分同じだろう。麻布に行くつもりなら、十中八九新宿で乗り換えるとカトウは踏んだ。  さて問題はその先だ。山手線ならまだしも、市電は一両編成である。尾行するには同じ車両に乗るしかないが、ササキと二人連れでは気づかれる公算が高い。何とか途中でササキをうまく撒くか、説得して帰らせるかしなければならなかった。  そうこうする内に、列車が新宿についた。降りる人波にまぎれ、カトウたちも降りる。幸い前方十五メートルほどのところに、アイダのハンチング帽を見つけることができた。アイダは改札の方へと向かう。やはり市電を利用するようだ。  改札を出ると、そこは荻窪駅以上に規模が大きいヤミ市が広がっていた。  ごった返す人々の間をすり抜け、アイダの姿を見失うまいとカトウは追いかける。ササキも続いたが、数歩も行かない内に「へっ?」と素っ頓狂な声を上げた。カトウはその声を無視したが、さすがに肩を叩かれれば返事をしないわけにはいかなかった。 「何だよ、一体…」 「いや。あれじゃ。ちょっと、緊急事態じゃ」 「は? だから何だって…」  ササキは無言で大通りに出る道を指さす。そこに目を向けたカトウは、目をむいた。アイダとササキに続いて、まさか休日に三人目の仕事仲間に出くわすとは思っていなかった。  大通りに立つ「Avenue K」と書かれた標識の下に、軍服を着て略帽をかぶったケンゾウ・ニイガタ少尉がいた。  ニイガタが一人で立っていれば、カトウも驚きはしたがそのまま見つからないようにして、アイダを追いかけただろう。ところが、ニイガタの隣には派手ななりの若い女がいて、まるで恋人のようにしなだれかかっていた。ガーデン・パーティの時に会ったニイガタの妻ドロシーとは、まったく別の女性だ。そしてニイガタの顔を見れば、今の状況に困惑している――というか、結構な窮地に陥っているのは明らかだった。 「ああ、まずい。あれは、まずいわ。どないしょう……」  ササキが慌てている様子からすると、何やら事情を知っているらしい。そこまで考えた時、カトウの頭に天啓がひらめいた。 「ササキ。お前、少尉を助けて来い」 「へ…?」 「俺はアイダ准尉の尾行を続ける。何か分かったら、あとで教えるから」 「お、おう。分かった」  ササキが大通りに駆けていく。カトウは急いで市電の停留所へ向かい、発車寸前だった満員の車輛に飛び乗った。  アイダは幸い車輛の前方にいた。カトウは目深にかぶった軍帽の下から、その姿を見失わないよう注意した。これから都内のあちこちへ出かける人々を乗せた市電は、路面を統べるように進んでいく。右手に新緑が芽吹きはじめた新宿御苑が見えてくる。そこを通り過ぎてまもなく、車掌がよく通る声で告げた。 「次は、四谷三丁目、四谷三丁目…」  それを聞いたアイダが身体の向きを変えた。車両がスピードを落とす。カトウも慌てて降りる準備をした。  アイダはさらに、青山一丁目でも乗り換えた。カトウは持っていた最後の五十銭銅貨で車掌から切符を買った。うかつにも、財布に日本の通貨を入れてこなかったのだ。残っているのはドルばかりになった。 ――頼むからこれ以上、乗り換えないでくれよ。  その祈りが通じたか。アイダはついに、乗換駅でない停留所で降りた。

ともだちにシェアしよう!