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第十五章(⑧)

「昼食に何か食べたいものはあるかい?」  薄手のブランケットで胸から下を覆い、横になったままクリアウォーターが訊ねる。同じブランケットにくるまるカトウは、それを聞いて微笑んだ。 「料理、できるんですか?」 「簡単なものなら一通りね。君は?」 「そうですね。携帯野戦食(レーション)を盛りつけるのはうまいですよ」 「ええ…?」 「冗談。俺も一通りできます。昔、所属していた分隊の中じゃ、一番料理上手だって、みんなほめてくれたくらいですし」 「携帯野戦食(レーション)のアレンジが、かい?」  すかさずクリアウォーターが切り返したものだから、カトウは声を出して笑った。 「俺のいた連隊はちょっと特殊でしてね。士官を除いた全員が、ハワイや本土の日系二世(ニセイ)で構成されていたせいか、みんな米に目がなかったんです。で、何かの偶然で手に入ると大喜びするんですけど、米を炊くのにはちょっとコツが必要でして、それを知らないとうまく炊けずに芯が残ったり焦げたりするんです。芯を残さず、ふっくら炊き上げるのは、俺が一番うまかったから、重宝されましたよ」 「なるほどね」 「あとは時々、川魚を取っておかずにしたり…」 「釣ったのかい? それとも網を使ったとか」 「…手りゅう弾」 「え?」 「ピンを抜いて川に投げ入れて、急いで伏せる。爆音がおさまった後に、魚が川面にぷかぷか浮いているんで、それを拾い集めて料理していました」 「危ないなあ…」  さすがのクリアウォーターも呆気に取られたようだった。  カトウは手を伸ばし、恋人のこめかみの髪に触れた。  クリアウォーターは目を細め、つつましくも親密なその愛情表現に身をゆだねた。 「…赤毛が好みなのかい?」  その問いに、カトウは「うーん」とつぶやく。 「好みかどうかは分かりませんが。キラキラしていて、きれいだと思います」 「それはまたずい分、過分なほめ方だ」 「本当ですよ」  カトウは少しむきになった。 「本当にそう思います」  クリアウォーターはしばらく考え、やがて何かに思い当たった表情になった。 「――なるほど。きっと君は知らないんだな」 「何を?」 「アメリカやイギリスではね。私のような赤毛は、格好のからかいの種なんだ。コナン・ドイルの『赤毛連盟』という小説を読んだことはあるかい?」 「いいえ。すみません、不勉強なもので…」 「シャーロック・ホームズという探偵が登場するシリーズ物に連なる作品だよ。その小説の中で、赤毛の百万長者が自分と同じ色の髪の男たちを援助するために、『赤毛連盟』なるものを設立したというくだりがあるんだ。それは赤毛への根深い差別意識という社会背景があったからこそ、成立する話なんだ」 「へえ…」  カトウは素直に驚いた。クリアウォーターにとっても、その反応は新鮮な驚きだった。  日本に育った幼少時代は気にしなかったが。アメリカに戻って以降、そしてイギリスに留学している間、赤毛を理由にからかわれたり、いじめられたり、因縁をつけられたことは一再ではない。それでへこたれるほど、クリアウォーターの精神(メンタル)は脆弱ではないがーーまったく気にならなかった、と言うわけでもなかった。  その時間があまりに長かったものだから、忘れていた。あるいは、気づけなかった。赤毛への偏見のない社会で育った人間の目に、この髪は「きれいな」色に映ることもあるのだと。 「…昔はね。自分の髪の色があまり好きではなくてね。何より目立つから、染めていた時期もあった」 「それ、もったいないです」 「うん。途中で私もやめた。ちょうど色々あった後で……」  緑の瞳が一瞬、追憶に沈む。それからクリアウォーターは、かすかに唇をつり上げた。 「私はうそをつくことにも、他人をあざむくことにも、ちょっとした才能を持っている。でも親しい人たちの前で、偽りの自分を演じ続けることはできなかった。それ以前に、自分自身をだまし続けることができなかった。生まれついての自分を――赤毛であることも、同性愛者であることも受け入れて、やっと本当の意味で自由になれた」  たとえ、それが代償をともなうものであったとしても。  傷を負って手に入れた自由には、相応の価値があった。 ――自分が心から惚れこんだ相手を、心のおもむくままに愛することができる。  苦難の末に得た自由だからこそ、クリアウォーターはその貴重さが身に染みて分かっていた。  クリアウォーターは両腕を伸ばして、カトウを抱き寄せた。肌を重ね、唇を重ねる。夢中になる内に、ブランケットがはだける。まぶたを開けたカトウの目に、露わになった自身の腹部が映った。肌に残る無残な火傷の跡も――。カトウの様子に不審を覚えたクリアウォーターも、恋人の視線をたどり、その先にあるものに気づいた。 「…この傷、やっぱり気になりますか?」カトウは淡々とたずねた。 「いいや」  穏やかに、だがきっぱりとクリアウォーターは答えた。 「だけど、一体どんな人間が、君にこんなひどいことをしたのかは知っておきたい」  カトウは目を閉じ、クリアウォーターの肩に額を押し当てた。そのまま十数秒。クリアウォーターが諦めかけた時、 「…身内です」  カトウが小声でささやいた。 「義理の伯母に。あとは実の父親に」

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