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第十五章(⑨)
――お前に飯をやるよりねぇ、ブタにやった方がまだマシなんだよ――
それが幼少時代のカトウ――宮野明 に浴びせる、伯母の口癖だった。
暴力を振るう夫の元から逃げ出したカトウの母親は日本に戻った後、彼女の実兄、すなわちカトウにとっては伯父に当たる人物の家に身を寄せた。当然のごとく、風当りはよくなかった。後に息子を高等科に進学させたことから考えて、伯父の家には多少の余裕はあったようだが、それでも出戻り同然の母子が歓迎されるはずはなかった。
特にカトウの母親が身重と分かった後は、なおさらだった。
伯父夫婦はカトウの母に中絶を迫ったが、母はそれを断固として拒んだという。その話から判断するに案外、気が強く芯の通った女性だったのかもしれない。また自分の立場もよく理解していたのだろう。少しでも迷惑を減らせればと、家の仕事をこなし、また針仕事で家計を助けようとした。だが、疲労が身体に障ったのか。冬のある晩、母は倒れて流産し、そのまま出血多量で帰らぬ人となった。カトウはたった二歳で、これからの自分を守ってくれるはずだった母を失った。この世に生まれることのなかった弟とともに。
母のことを、カトウはほとんど覚えていない。死んだ時の状況も、切れ切れに聞いた話をつなぎ合わせて、ようやくぼんやりと全体像をつかんだだけだ。それすら伯父夫婦からではなく、近所に住んでいたやもめの大工から教えてもらって初めて知りえた話だ。
ともあれ、はっきりしているのはーー母が死んでから、生き地獄の日々が始まったということだ。
尋常小学校で教員をしていた伯父は家の中の一切を伯母にまかせていた。というより、家の中で妻に逆らえたためしがなく、甥が妻に虐待されていても、一度も止めようとしなかった。こんな伯父が学校では修身の授業を担当していたというのは、お笑い種以外の何ものでもない。義侠心や誠実、親切の大切さを小学生に説きながら、幼い甥が毎日いたぶられるのに対しては見て見ぬふりを通したのだから。
伯母はカトウが家の座敷に上がることも、夫婦や子どもと同じ食卓につくことも、まっとうな布団で眠ることも、決して許さなかった。カトウは庭にある半分壊れかけた物置小屋で寝起きして、七歳ごろまで手づかみで食事をしていた。箸をもらえなかったからだ。その一方で、学校に行く以外の時間はあらゆる形で家事に酷使された。かまどの火を起こし、土間や玄関を掃き清め、帰って来たら一家の洗濯物を洗って干し、夕暮れになれば風呂の準備をする。夏だろうが凍える冬だろうが、風邪を引いて熱があろうが関係ない。家の中で朝一番早く起きて、夜一番遅く眠るのはいつもカトウだった。
そうやって働いて、ようやくボロのような着物や寝る時に使うムシロを与えてもらえた。伯父はカトウを存在しない者として扱い、従兄弟たちは気の向くままに「くさいやつ」と言っては石を投げつけた。
それでも伯母にされた仕打ちのひどさに比べれば、ものの数ではなかった。
毎日カトウをつかまえてひっぱたくのが、伯母の日課だった。機嫌を損ねれば真冬だろうとカトウは水を頭からかけられた。
そして虫の居所が悪ければーー伯母は火鉢から火箸をつかんで持って来た。
恐怖で固まるカトウをやすやすと押さえこみ、伯母は熱く焼けた鉄のはしを、まだ子どもだったカトウの背中や腹に押しつけた。それは煙草やほかのものの時もあった。
カトウが泣きだし、何度も謝って「やめて」と懇願するまで、伯母はカトウを解放しなかった。まだ傷が治らない内に、再び同じことが繰り返された時は本当に地獄の痛みだった。水ぶくれが破れ、肉が赤黒く爛れ、気が狂いそうな痛みで一晩中悶絶したこともあった。
伯母によるそんな暴力的な折檻は、カトウが十三歳になるまで続いた。
それでも時折、偶然に出会う第三者の優しい言葉や行いがカトウをぎりぎりの崖っぷちで救ってくれた。
いつの頃からか、一緒に眠るようになった野良の虎猫。
小学校の時分に、カトウに目をかけてくれた女の先生。
そして近所に住んでいたやもめの大工。大工はカトウの身の上を知って不憫に思い、何かにつけて親切にしてくれた。コタツに初めて入ったのも、豆大福を初めて食べさせてもらったのも大工の家でのことだった。大工はカトウに箸をくれ、その使い方も教えてくれた。色々、お下がりの物もくれた。そして、早く金を貯めて家を出ろとカトウにすすめた。
大工自身、よその土地から流れてきて、富山に居ついた身だった。
「恐がることはない」彼は言った。
「どこに行ったって、人間がいるだけさ。悪い奴がいて、いい奴がいて、悪くてもいいところがある奴がいて、いいけど悪いところがある奴がいるだけだ。何も恐がることはない――」
カトウが学校を卒業して働きはじめてほどなく、大工はひっそりとこの世を去った。カトウはひと晩、彼のために泣いた。そして四十九日が済んだあと、カトウは貯めていた金を使って線香と豆大福を買い、墓前に供えて冥福を祈った。
それから、ほんの数ヶ月後のことだった。
アメリカにいた父親が突然、カトウを呼び戻すために手紙を寄こしてきたのである。
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