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第十五章(⑪)
三年間必死で働いてなお、父親の借金はほとんど減らなかった。
そして運命の一九四一年十二月七日――真珠湾攻撃が起こった。
翌年、ロサンゼルスを含む軍事管轄区域に住む日系人に対して、強制収容を命じる大統領命令が下された。カトウは父親やほかの日系人たちと共に、カリフォルニア州の僻地に急遽建設されたマンザナー収容所に入れられた。家族単位で割り当てられる収容所内のバラック小屋に入った後も、父親からの暴力がやむことはなかった。
さらに粗暴な父親の言動は、本人だけでなく息子であるカトウをも、周囲から孤立させる結果を生んだ。
…十八歳の誕生日を迎えた晩、カトウはひとりで収容所内を取り囲む鉄条網のそばにしゃがみこみ、夜空を見上げていた。風がきつい夜だった。彼以外に目につく人間の姿といえば、監視塔に立ち、鉄条網の内側に銃口を向ける見張りの兵士だけだった。
――俺は一生、逃げられないんだろうか。
生き地獄のような日々から逃げ出した先に待ちかまえていたのは、やはり生き地獄の日々だった。今は逃げ出す自由すらない。アメリカと日本の戦争が続く限り、この檻の中で獣にも劣る男から暴力を振るわれ続ける。カトウが死ぬか、父親が死ぬまで、終わりはしない。下手をすれば何年、十何年も続くかもしれなかいのである。
凍てつくような星が散る夜空に向かって、カトウはつぶやいた。
「…いっそ生まれて来なければ、よかったな」
死んだ母に悪いと思ったが、それが正直な気持ちだった。
そして砂まじりの強風の中で、ひとり泣いた。
一九四三年。あと数ヶ月で収容から一年になるというその日、カトウは収容所内に建てられた集会所のひとつに集合するように言われた。行ってみると、そこには下はカトウほどの年齢から、上は老齢の日系一世までが集まっていた。訳が分からず椅子に座っていると、ほどなく用紙と鉛筆がカトウたちに配られた。紙には三十ほどの質問が印刷してあった。読み進めると名前や生年月日といった基本的なことから始まり、最後のほうにこんな質問が書いてあった。
「あなたは命令されれば、どこであろうとすすんで、米陸軍兵士として戦闘任務に就きますか?」
「あなたは、アメリカ合衆国に無条件で忠誠を誓い、外国または国内勢力のいかなる攻撃からもアメリカ合衆国を忠実に守り、日本の天皇や他の外国政府、勢力、組織への忠誠や服従を拒否しますか?」
ーー後に忠誠登録と呼ばれるこの調査は、収容された日系人の間に大きな波紋を引き起こした。それはアメリカに忠誠を誓うか、日本に忠誠を誓うかを問ういわば選別の儀式であった。
それから数日の間、どのバラックからも話し合い、怒鳴り合う声が絶えず聞こえてきた。
日系一世の多くは母国である日本に心を寄せる者が多かった。さらに彼らはアメリカの市民権を持っておらず、答え方いかんで日本国籍の放棄を迫られるのではないかと危惧していた。
一方、二世たちの意見は割れた。強制収容の結果、日系人の多くがそれまでアメリカ社会で築いてきた地位と財産を失っている。アメリカ政府によるその仕打ちを恨み、日本が戦争で勝つことを期待する者と、それでも自分の生まれ育った国 への忠誠を貫こうとする者との間で、激しい対立が引き起こされた。
その様子をカトウは冷めた目で見ていた。日系人たちが繰り広げる議論が、カトウにとってはどうでもいいことのように思えてならなかった。
日本を離れて、すでに四年以上の歳月をアメリカで過ごした。すでに英語でものを考え、話すことに慣れ、そして考え方も日本に住む日本人のそれと大きく異なり始めていた。
もはや自分が「純粋な」日本人だという気がしない。
かといって、アメリカ人というかというと、それもなんだか違う気がした。
おそらく「国」が大事だと思えるのは、そこに自分の家族や友人や仲間が自分とともに属していて、はじめて可能になるのではないだろうか。その頃のカトウには、そんな人間は誰一人いなかった。父親は、人間ではなくて獣だ。そして友人や仲間はひとりもいなかった。
洗濯ものを洗うために外に出ると、喧々諤々の議論がまた聞こえてきた。カトウは聞き流すつもりだった。しかし、母親のものらしい裏返った声が、カトウの足を止めさせた。
「最後の質問はノーよ。絶対にノー。イエスと答えてみなさい、あんたは兵隊に取られて、そんで白人の前に立たされて、地雷やなんかの先払いをさせられるに決まってる」
兵隊――つまりアメリカ陸軍。
カトウの脳裏に、その単語は天啓のように響いた。
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