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第十六章(③)

 大盛りの肉じゃが。それにカブとキャベツのサラダ。品数こそ少ないが、料理はどちらもすばらしい出来ばえだった。そして実家で何かいいことでもあったらしい。給仕する邦子は上機嫌な様子で、クリアウォーターに対するのと同じくらい、あるいはそれ以上のかいがいしさでカトウに接した。 「加藤さん、おかわりは?」 「ありがとうございます。でも、そろそろ腹もふくれてきましたから……」 「そう遠慮なさらないで。元々、お痩せになっているんですから、もう少し食べて肉をつけた方がいいですよ」  そう言うとカトウの返事も聞かないで、深鉢に肉じゃがをよそおった。牛肉をたっぷりつけて。カトウは少し困ったが、それでも鉢をありがたく受け取った。ゆっくり食べれば、食べきれない量でもない。 「ご家族の方はお元気かい?」  クリアウォーターの問いに、邦子は「ええ」とうなずいた。 「おかげさまで。こんなご時世ですけど、全員ぴんぴんしていますわ。あ、そうそう。だんなさまがくださった缶詰とコーヒーのお土産。とてもおいしかったと言っていました。本当にありがとうございます」  笑顔で礼を言う邦子は、そこで急に神妙な顔つきになった。 「……だんなさま。もし、わたくしが急に今のお勤めをやめたりしたら、やっぱり困りますよね」 「どうしたんだい、急に」 「いえ。実は二ヶ月前にお休みをいただいて実家に戻った時にーーお見合いをしまして」 「おや」  クリアウォーターは軽く目をみはった。本物の驚き。カトウはすでに聞かされていたが、クリアウォーターにとって邦子の見合い話は初耳のようだった。  その時、邦子がちらりとカトウを見やった。黒い瞳に浮かぶ緊張の色に、カトウも思わず箸が止まる。しかし邦子は視線をクリアウォーターに戻すと、意を決したように口を開いた。 「…前に、わたくしが結婚していた相手と死別して、実家に戻ったことはお話ししましたよね。それからご縁があって、だんなさまの所で働かせていただくようになったことも」 「ああ。君をお手伝いさんとして我が家にあてがってくれた労務部門の担当者には、感謝すべきだろうね」  クリアウォーターのまぜっかえしに邦子は少し笑ったが、またすぐに真顔にもどった。 「この前、見合いした相手は母の知人の息子さんで、復員してきたばかりなんです。母から話をもらった時は、わたくしもそんなに乗り気じゃなかったんですけど。でも、会って言葉を交わす内に、その……」 「いい相手だと思うようになった?」 「…はい。会ったのは昨日が三回目で、そろそろお返事する必要があると母に言われて。向こうも幸い、わたくしのことを気に入ってくださっているようなので。もし、だんなさまのお許しさえいただければ……」  かたわらで聞いていたカトウは知らず知らずの内に、クリアウォーターの方を見ていた。  出過ぎた真似だと分かっている。でも、この溌溂(はつらつ)としたお手伝いさんのことがカトウは好きだったし、何よりカトウとクリアウォーターの恋の恩人だ。彼女が幸福をつかめるチャンスがあるなら、何をおいても応援してあげたいと思った。  しかしカトウの心配は杞憂に終わった。話を聞き終えたクリアウォーターは、年若いカップルに結婚の許しを与える牧師のような優しい笑みを浮かべた。 「そういう縁は、そうそう転がっているものでもないだろう。相手の方がいい返事をくれて、君にもその気持ちがあるなら、ぜひそうするべきだよ。君がいなくなるのは私にとっては大きな損失だけど――心から祝福するよ」 「ありがとうございます!」  邦子はうれしさのあまり、飛び上がらんばかりだった。  ささやかなお祝いにと、クリアウォーターは特別な日のために買っておいたワインを一本、空けようと提案した。しかし邦子は恐れ多いとばかりに首を振った。 「お気持ちだけで十分ですわ! わたくしはあまり飲めませんし、加藤さんに至っては一滴も飲めないでしょう。もったいないです」  ちょっとしたやり取りがあって、結局三人はオレンジジュースで乾杯ということになった。

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