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第十六章(⑥)

東京警視庁刑事部捜査第一課からの報告書(通し番号:××―××××)                                一九四七年四月二十五日 若海義竜(わかみよしたつ)所有のダットサントラックとその目撃情報について   …………   …………  若海義竜が所有していたダットサン15T型トラック(B型)は一九三七年製。車体の色は灰緑色である。上述したように、若海はこのトラックを生阿片運搬に使用し、阿片を木挽町の屋敷に運び入れていたことが、若海組の構成員数名の口から証言が取れた。運搬には若海自らが当たり、その際に組の者を連れていくことは決してなかったという。この行為の背後には、生阿片を隠匿した場所を秘匿する目的があったものと推測される。  現在、刑事部捜査第一課は問題のトラックの目撃情報を集め、今も行方の分からない生阿片の隠匿場所の特定を目指している。経過は随時、報告する予定である。   …………   …………  …カトウは英訳し終えた報告書を手にして立ち上がった。  すでに昼休みの時間帯である。翻訳業務室にはカトウとニイガタ、ササキが残っていたが、アイダは昼食をとるために一足先に曙ビルチングに戻っていた。  カトウがニイガタの机に近づくと、ペンを動かしていた少尉は手を止めて、作業中の書類から顔を上げた。 「おお、できたか」 「はい。チェックをお願いします」  カトウが手渡した書類にニイガタは素早く目を通していく。五分と経たず、カトウは手招きされた。示された報告書には、まだ二行に一ヶ所くらいの割合で朱筆が入れられていたが、来たばかりの頃の猟奇殺人現場さながらの怒涛の朱筆訂正を思えば、格段の進歩と言ってよかった。 「大分、ましになってきたじゃないか」  ニイガタも珍しくそんな台詞をもらした。こと仕事の場において、厳格なこの上官がほめてくれる(?)ことは滅多にない。カトウは素直に頭を下げて礼を言った。返された報告書を手に、清書は昼食後でも大丈夫だろうと立ち去りかける。  その時、ニイガタがカトウを呼び止めた。カトウが振り返ると、ニイガタがもの問いたげな目つきでこちらを見ていた。 「…何でしょうか、少尉?」  カトウはできる限りのさりげなさを装って聞きかえした。しかし――。 「そう身がまえんでいい。別に説教しようってわけじゃない」 「………」内心でうめく。我ながら演技力はゼロ。  今更ながらクリアウォーターの演技力の凄みをカトウは再認識した。  部下を眺めるニイガタは口を開きかけて、それを中途半端なところで閉ざした。直情的な彼らしくなく、その仕草にはどこか迷いのようなものが感じられた。 「お前、まだクリアウォーター少佐の護衛を続けているのか?」 「はい。サンダース中尉と交代で継続中です」 「そうか…」 「それが何か?」 「いや……すまん、俺の考えすぎかもしれんが、何だか少し妙な気がしてな」 「……妙、とは?」 「少佐の生命を狙っていたのは、例の若海組の連中だ。だが今やその頭目の若海義竜は殺害され、構成員たちはのきなみ対敵諜報部隊(CIC)に逮捕された。組織としては壊滅状態だ。だから危険は去ったものと、俺なぞは考えていたんだ」 「……」 「だが、聞く話じゃ少佐の邸はMPの巡回が続いているし、お前とサンダース中尉は朝夕の移動時の護衛を続けている。相変わらず警戒状態のままだ」  ニイガタは眉根を寄せた。 「なあ、あの人はまだ危険な状態にあるのか? どうだ、カトウ。お前は何か事情を聴いていないか?」  カトウは立ったまま、ごくりとのどを鳴らした。後ろを見なくても、詮索好きのササキが聞き耳を立てているのが手に取るように分かる。  カトウは黙ったまま、ニイガタを見つめ返した。いかつい顔に浮かぶ表情は、上官の置かれた立場を心配する部下以外の何者でもない。  だが、今のカトウはそれを額面通りに受け取ることはできなかった。   ーーそんなことはあって欲しくない。けれども万一、ニイガタ少尉が裏切り者だったら?     この心配顔が、クリアウォーターと同じく卓越した演技力の成せる技だとしたら? そうやって、まぬけなカトウから情報を引き出そうとしているなら――その手に乗るわけにはいかない。  カトウは背筋を伸ばした。そうすると自然に腹が据わった。 「――申し訳ありません、少尉。俺は何も聞かされておりません。終了するようにという命令が出されないので、任務を継続しているだけです」  ニイガタは顔をしかめてカトウを見やった。相手の非難するような目つきを、カトウは静かに受け止める。にらみ合いに似た空気の中、ニイガタは諦めたように肩をすくめた。 「…分かった。そういうことなら仕方ない。護衛のこと、頼りにしているぞ」 「はい」 「よし、昼めしに行ってこい」  ようやく解放されて、カトウは我知らず息をついた。ところが部屋を出て行く寸前、思わぬ方角から追撃が来た。 「そういえばカトウ。お前、最近何かいいことでもあったか?」  「は?はあ……」 「時々、煮こみすぎた雑煮(ぞうに)の餅みたいに、顔がゆるんでいるぞ」 「え………ええ、まあ、あったような、なかったような……気を付けます」  お茶をにごすと、カトウはそそくさと退散した。 ーーーーーーーーーーーーーーー  カトウの姿がドアの向こうに消えた後、ニイガタは室内に唯一残った部下と、自然に顔を見あわせた。 「……女かな」とニイガタ。 「あれは絶対、女ですよ」とササキ。 「ササキ、お前何か知っとるか?」 「いいえ。でも変じゃのう。カトウの奴、クリアウォーター少佐の護衛で忙しいはずじゃけん、そんな遊ぶ時間なんてないはずじゃのに…あ」 「どうした?」 「いえ。あいつ、先週、ろくに夜に寮に戻って来なかったんですよ。てっきりクリアウォーター少佐のところで、何か秘密の話でもしとるのかと思とったんですけど……あー。そうじゃ、絶対にそうじゃ。あいつ、ミィに内緒でこっそり夜遊びなんかして……」  ササキはひとり合点がいったようで、何度もうなずいた。その様子を見るニイガタは、ふとササキが今、言ったことが引っかかった。    ろくに夜に寮に戻っていない。  そして、カトウが行った先はクリアウォーターの邸である。  普段は忘れているがーーニイガタの上官(クリアウォーター)は、異性愛者ではない。 「………いやいや。まさか、な」  ニイガタは首を振って、自分の憶測を打ち消した。

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