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第4話

◇◇ 「…上がったか」 アルバートがタオルで髪を拭きながら洗面所を出ると、椅子に腰かけていた獣人が、アルバートの方へ振り返った。 戦争に敗北して以来、池や川の水で体を洗っていたアルバートにとって、温かい湯船に浸かるのはとても久しぶりで、懐かしい感覚だった。 「ここに、座ってくれ」 獣人は座っていた椅子から下りると、代わりにアルバートに座るよう促した。 言われるがままにアルバートが椅子へ腰掛けると、獣人はその足元に跪くようにして座った。 そして、側の小さなテーブルの上に用意してあった救急箱の中から、消毒液とガーゼを取り出した。 「…少し染みるが、我慢してくれ」 獣人はガーゼをアルバートの膝の傷の下に押し当てると、消毒液のボトルを傷の上で傾けた。 とぷん、と中の液体が揺れて、アルバートの傷に少量かかる。 「…いてっ」 痛みに、アルバートは顔を歪めた。 獣人は動かないでくれ、と言って、アルバートの足を掴み保定した。 「大丈夫だ、もう終わる」 「ッう、染みる…」 消毒が終わると、獣人はガーゼで傷口を軽く拭き、新しい清潔なガーゼを傷口にあてがって、包帯をその周りにぐるぐると巻きつけた。 きっと、注意を払ってくれているのだろう。 その間、一度も獣人の鋭く長い爪がアルバートの肌を掠ることはなかった。 獣人の、丁寧でいて手際のよい手当てを見ているうち、次第にアルバートは段々と懐かしい気持ちになっていった。 小さい頃怪我をして、同じように母に手当てをしてもらったことを思い出したのだ。 「…どうした?」 アルバートにじっと見つめられていることに気が付いたのだろう。 獣人が不思議そうにアルバートを見上げた。 「…いや、別に」 「そうか。…では次、右手を貸してくれ」 アルバートは獣人の視線から逃れるように目を伏せて、素直にその指示に従った。 手当ては、順当に進んでいった。 慣れた手つきで、テキパキと包帯を巻いていく獣人は、本当に母を彷彿とさせる。 その姿を見ていると、アルバートは不意に、目の前の獣人のことをもっとよく知りたいという衝動に駆られた。 「ねえアンタ、名前何ていうの」 突然自分の事を聞かれて驚いたのか、獣人は一瞬手を止め、はっとアルバートを見上げた。 しかしすぐに傷口へと視線を戻すと、作業を再開し、数秒後、小さく呟くように言った。 「…私は、リオルだ」 「リオル…。いいな、カッコいいじゃん」 「…私は、あまり好きじゃない」 「どうして?カッコいいのに」 アルバートが聞けば、リオルは眉を潜め、目を伏せてぼそりと呟いた。 「呼ばれる度、…死んだ母を思い出してしまうんだ。母が亡くなったのは、何年も前のことだというのに」 「…それって」 アルバートはその言葉を発する事を一瞬躊躇って、そしてそっと口を開いた。 「……戦争の、せい?」 こくんと、リオルは首を縦に振った。 「…そうだ。元々私達を作り出したのは人間だというのに、増えすぎたからといった身勝手な理由で、母は殺された」 「…他の家族は」 「……皆、死んでいったよ。戦争には勝ったが、多くの仲間が犠牲になった」 ーー同じだ。アルバートは、そう思った。 見た目は全く似ても似つかないけれど、アルバートはリオルは、時代に家族を奪われて孤独になったという点では似ているのだ。 もしかしたらリオルは、この広い家に一人で住みながら、ずっと寂しいと感じていたのかもしれない。 「…リオル」 気が付けばアルバートは、リオルの方に手を伸ばしていた。 アルバートの細い指が、リオルの銀の毛に触れる。 ぴくん、とリオルの三角形の右耳が動いた。 「……アンタは、人間を憎いと思わないのか。…俺は、許せないよ。憎くて憎くて仕方ない。出来るなら、殺してやりたいくらいだ」 「今はそう思うだろうが、時が経てばその想いが安らぐ日が来る。私だって、憎くないかと聞かれれば、憎いと答える。…けれど、憎しみは憎しみしか生まない。そう母に教えられたんだ」 リオルの目が、すっと細められる。 昔を回顧しているのだろうか、リオルは天井を黙って仰いだ。 たっぷりの間のあと、リオルは小さく、けれど芯のある声で、独り言のように呟いた。 「…だから、私は決めた。この手で、戦争を終結させてみせると」 アルバートは、何も言うことが出来なかった。 見た目や声などからして、アルバートとそんなに年が離れているようには思えないが、目の前のリオルは自分の何倍も大人びて見えた。 アルバートが黙ってリオルを見つめていると、リオルは沈黙を破るかの如く、妙に明るい声でよし、と言った。 「…疲れただろう。ベットを貸すから、そこで寝るといい」 「いや、それは…」 リオルの手が、脇の下に通され、もう片方の手は膝の下に通される。 何をするのかとアルバートが不思議に思っていれば、次の瞬間、ふわりとアルバートの身体が宙に浮かび上がった。 驚いたアルバートが暴れると、リオルは落とさないようにと、強くアルバートの身体を抱き締めた。 「じっとしてくれ。危ないだろう」 「っお、降ろせ、自分で歩けるから…!」 しかしアルバートの主張は、リオルに聞き入れられることはなかった。 そのまま無事に寝室まで運ばれ、アルバートはぼすんとベットの上に転がされる。 「…自分で、歩けたのに」 アルバートがむくれてそう言うと、リオルはまだ言ってるのかと呆れたようにくすっと笑う。 「いいから、今日は早く寝るんだ」 リオルは寝転がったアルバートの上に布団を掛けると、もう仕事は終わったというように、寝室から出て行こうとする。 「…リオル」 その背中に、声をかけた。 「……ありがとう」 リオルは振り返ると、ふっと微笑んだ。 薄暗闇の中、きらりと光った彼の瞳が、家族を殺した獣人のことをアルバートに思い起こさせた。 けれど不思議と、アルバートはあまり嫌な気持ちにはならなかった。 ーー彼が、アルバートの知っている獣人とは違って、どこか人間っぽさを残しているからだろうか。 「…リオル、か」 アルバートはその名前を復唱すると、静かに目を閉じ、柔らかなマットに身を委ねた。

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