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第10話
◇◇
「大分、傷は治ったみたいだな」
アルバートの足元に跪いたリオルは、その膝に巻き付けられていた包帯を取ると、満足気に頷いた。
アルバートがリオルの家に来てから、一週間と少しが経つ。
その間、リオルが懸命に手当をした甲斐あって、アルバートの膝と手の傷はほぼ完治という状態までになっていた。
「良かった、傷跡が残ったらと思っていたが…大丈夫そうだな」
「…リオルのおかげだよ。ありがと」
嬉しそうに笑うリオルに、アルバートは微笑み返す。
けれどその心中は、少し複雑だった。
元々アルバートがリオルの家に来たのは、傷が治るまで、という条件付きの下での話だ。
つまり傷が治ってしまったら、アルバートがリオルの家にいる理由は、なくなってしまう。
「……リオル」
アルバートはリオルの頭に手を伸ばし、そっと撫でた。
リオルの耳が後ろに倒れ、尻尾がゆらゆらと揺れる。
「…俺さ、…」
言いかけたアルバートは、リオルの瞳と視線がぶつかって、一瞬息を詰まらせた。
ーー自分の黒い瞳とは違って、リオルの深い青の瞳は、照明の光を浴びてきらきらと輝き、まるで宝石のように美しい。
だからなのか、リオルの瞳を見ると忽ち、言いたいことがすうっと胸の中に消えていってしまう。
アルバートはリオルから目を逸らし、視線を下に落とした。
「…俺さ、…明日ここを出て行くよ」
「……」
数秒の間のあと、リオルは特に驚く様子も見せず、分かった、と小さく呟いた。
案外あっさりとした対応に、アルバートの胸がちくりと痛む。
ーー別に、引き止めて欲しかったわけじゃない。
けれど、もう少し……自分との別れを惜しんでくれるかと思っていたのに。
アルバートがリオルの元を離れようと決心したのには、いる理由がないことに加えてもう一つ、大きな理由があった。
ーーそれは、アルバートがΩ性をもっていることに起因していた。
Ωには、三ヶ月おきに発情期というものが訪れる。
期間は、一週間。その間Ωは、αを誘うためのフェロモンを撒き散らし、繁殖のことしか考えられない状態になる。
抑える方法は、現時点で二つ存在する。薬で抑えるか、αと番になるかだ。
しかし、人類が戦争に敗北した今、前者の方法を取ることはほぼ不可能に近い。
つまり今、人間のΩが繁殖期を抑えようと思ったならば、α性を持つ者と番契約を結ばなければならないということだ。
ーー悪いことに、アルバートの記憶では、前回の繁殖期からもうすぐ三ヶ月が経とうとしていた。
アルバートはリオルから手を離し、胸の前でぎゅっと拳を握った。
「……俺、リオルに助けてもらったのに、何も恩返しが出来なくて…ごめん」
「…いや、気にしなくていい。オマエと過ごしたこの一週間は、…私にとって、とても楽しい時間だったから」
リオルの尻尾が、力なく下がる。
アルバートはずきずきと痛む胸を抑えながら、無理矢理口角を上げた。
「俺も、リオルと過ごせて楽しかった」
アルバートの言葉を境に、二人の間に気まずい沈黙が流れる。
どちらも俯いて、何も喋らない。
「…俺、今日はもう寝るよ。…おやすみ」
先にその沈黙を破ったのは、アルバートだった。
立ち上がると、リオルに背を向け、そう言い放ってリビングを出る。
リオルは、その後を追っては来なかった。
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