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第17話

エンターキーを叩く音と、それに続いて大きなため息が聞こえてくる。 「……間に合ったのか?」 「セーフ、2分前」 テーブルの向こうの月形が頬を緩めた。 時計を見ると、確かに17時2分前である。 手元のスマホに作品を書き綴っていた俺も、2度目の見直しをやめてエンドマークを打った。 こんなもんだろう、と思える作品には仕上がった。 例によってこれをアップする気も人に見せる気もないので、そっとメモアプリを閉じる。 それから俺はブラウザを開き、月形がアップした作品を見た。 この1時間弱で、彼はいったいどんな物語を紡ぎ出したのか。 「……マジか」 読んでみて、思わずうなってしまった。 幕末にタイムスリップした「俺」。 そこは池田屋事件真っ只中の池田屋だった。 「俺」は白刃の下を逃げ惑う中、自分が坂本龍馬であることに気づく。 そして突きつけられる現実。 「俺」は生き延び、薩長同盟を成功させてこの国を明治維新へ導かなくてはならない。 ――なんというか、俺の予想の斜め上を行く作品だった。 にこにこと楽しそうな顔をして書いていたのはこれだったのかと、妙に納得する。 ちょっとバカみたいな作品だけれども、いかにも彼の筆致だと思わせる、臨場感にあふれていた。 今回、いろいろと考える余裕もなかったんだろう。 ある意味、それが幸いしたのかもしれない。 とてもこいつらしい作品だった。 「……月形、俺さ」 踏み台に昇り、本を本棚に片づけようとしている、彼に語りかける。 「お前の作品好きだわ」 それは、素直に出てきた言葉だった。 「……え?」 本を何冊も抱えていた月形が、踏み台の上から俺を振り返った。 目線の高くなった彼と目が合う。 その瞬間だった――。 「――わっ!?」 月形がバランスを崩し、踏み台から片足を踏み外す。 重ねて持っていた本を落としそうになり、彼はそれを庇おうと胸に抱いた。 けど、それじゃこいつ自身が受け身を取れない。 「月形!」 俺は彼を受け止めようと、足を踏み出した。 けれども、落下する勢いに巻き込まれてしまい……。 背中を床に打ち付ける衝撃。 腕の中に月形の体が降ってきて、重さを感じたその直後だった。 (え――) 目を閉じた月形の顔がドアップになり、唇にやわからいものが触れる。 バウンドして、反動でもう1度。 月形の眼鏡も俺の顔にぶつかる。 そして2秒後、眼鏡の奥の瞳が、パチパチと大きくまばたきした。 「…………」 「………………」 お互いに何も言えなかった。 ただ見つめ合い、息を整える。 転んだわけだからとりあえず「無事か?」と聞くべきなのか。 いやしかし、こいつの唇が無事じゃないんだ。 せめて俺とのこれが「初めて」ではなかったことを祈るのみ。 ……っていうか、俺が初めてなんだけど。 どっちが悪いんだよと考え、考えることをやめる。 俺が下敷きにならなければ、こいつは顔から床に激突していたはずだ。 皆にやたらと愛されるこの童顔が、無傷であったことをよしとすべきなのかもしれない。 そうだ、過ぎてしまったことは仕方ない。 早く、気持ちを立て直すんだ。 自分に言い聞かせていると、目の前にある月形の瞳がすっと細められた。 「泉くん」 「……?」 「ごめんね、ありがとう」 「ああ……」 しかし謝るわりに、月形はなかなか俺の上からどいてくれない。 鼻先数センチのところから、じっと俺を見つめ……。 (……え?) 抱えていた本を横に置いたかと思うと、彼は俺の下唇に指先を触れさせた――。

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