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苦悩①

この楼閣を切り盛りするのは、若き狐の獣人 イリアス。 頭も良く、何よりも人を使うのが非常に上手くて楼主に重宝され、瞬く間に彼の片腕に這い上がった。 「何かお悩み事でも?」 コーヒーを差し出しながら、イリアスが目の前の(あるじ)に尋ねた。 「そう見えるか?」 「はい。不躾で申し訳ありませんが、その面の下は苦悩に満ちておられるような… 差し出がましい事を…申し訳ございません。」 「お前が言うのなら、間違いではないのだろう。 そうか、そう見えるか…」 ため息をつき、ゆっくりと鬼神の面を外し現れたその顔は…精悍な顔つきの獅子だった。 「約束…覚えていたのか…」 「え?どなたかとの面会でもありましたか?」 「いや、ひとり言だ。気にするな。 それより、今日の予約状況はどうなってる?」 「今日もまた大入り満員。大盛況ですよ。 キャンセル待ちのお客も数人… いくら政府公認、公の場所とは言え、お金を出してまで人間のΩと…って、私には想像できませんけどね。」 「こんな仕事に関わってるくせに、お前は純情だからな。」 「あなたに言われたくありませんよ。 早く番をとご両親からせっつかれているのではないですか?」 「俺は愛人の子だからな。どうでもいいのさ。 それに…ここにいると、愛とか誓いとか、そんな事は信じられなくなってくる。 金のため身体を差し出し、欲のためにならどれだけでも金を使う。 欲まみれのこんな世界にどっぷり浸かってしまったら、マトモな結婚なんて望めやしないよ。」 「それでも『運命の番』というのがいるらしいですよ。 まぁ、都市伝説っぽいですけどね。」 「…さぁ、無駄口はこのくらいにして、仕事をするぞ。」 「はい。申し訳ございませんでした。 では、こちらの書類に目を通して下さい。」 一旦外した面をまたいつものようにつけていく。 顔を覆った瞬間、またこの楼主の顔になる。 俺の本当の顔はどちらなんだろう。 チラリと瑠夏の泣き顔と喘ぎ声が頭に浮かんだ。 ぶるりと頭を振り、差し出された書類を読み始めた。

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