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第7話

そんなイチが小学校の前まで来た時、急に立ち止まった。 「どうした?」 「小さな鼓動が聞こえる。生体反応がある」 「生体反応?」 「人間じゃない」  透明なビニール傘をさしたまま、一生懸命に辺りを見回している。 「人間じゃないって、なに?」 「分かんね。人間の鼓動は心臓が大きい分もっとデカくて、これは音が小さいから心臓も小さいんだと思う。でも生きてる。おかしい、生きてる音が一つだけ」  言いながらイチの視線が、小学校の校門前に置いてあるダンボール箱に止まった。 「あれ。彩我、あの箱」  行ってみると、箱の中には子猫が一匹捨てられていた。ダンボールの中に敷かれている毛布も雨に濡れていて、他にも数匹居た気配があるのに一匹だけ残された様子だった。  ミューミュー鳴く子猫にイチが差し伸べようとした手を、俺は引き止める。 「うちはアパートだから飼えないよ」 「でもこのままじゃ死ぬだろ、命は最優先するべき物だ」 「じゃあ拾って帰って雨が止んだらまた捨てるのか?」  俺は上着を脱いで濡れた毛布と入れ替えた。乾いた上着で猫を包んでやってから、ダンボールの上に自分のビニール傘を毛布で固定する。 「こうしておけば飼える人が拾ってくれるかも知れない」 「それは偽善だろ。根本的解決にはなってない。可能性に期待して他人に押し付ける責任転嫁だ」  ここは小学校の前で、きっと多くの子供が見ている。こいつの兄弟達は欲しいと手を伸ばした誰かに連れて行かれて、だからまだこいつだって可能性は有るんだよ。なんて言った所でイチが言った偽善という言葉には敵わ無くて。  俺は返せる言葉は持っていない。ただ、その場から離れようとしないイチを急かすだけ。イチは気にして後ろばかり振り返るのだけれど、俺たちがここに居てはいけない。 「彩我は冷たい」  さっきまでの楽しい気持ちが、まるで風船がしぼむみたいに消えてしまった。  イチに嫌われたく無いから猫を連れて帰るのは簡単だ。でも、飼えない俺たちは明日またここに置き去りにするのだろう。一時優しくして満足するのは俺たちの方で、その間にもしかしたら拾ってくれる誰かとの出会いが有るかも知れないのに。  仕方ないから離れた場所で置いて来た傘をずっと見ていると、やがて赤い傘の女の子が母親らしき女性と一緒にやって来て、ダンボールの中から子猫を抱き上げて、連れて帰って行った。  雨は降り続く。  塀も電柱もアスファルトも、全てを灰色に染めながら降り続く。その中を去っていく親子の背中が輝いて、少女の赤い傘が鮮やかに溶けて行く。  俺が猫の居なくなった場所から上着とビニール傘を拾い上げていると、分からないと、困惑顔でイチは呟いた。 「こうなる事が彩我には分かっていた?」 「小学校のそばだから、沢山の子供が見ていただろうなって事くらいだよ」 「じゃあどうして」 「連れて帰ってもうちじゃ飼えないし」 「でも、あのまま死んでしまったかも知れない」 「そうだね。結果上手く行っただけでどっちが正しいかなんて分からない」  人間の脳の優れている点の一つは未来予測で、それは経験からなる。  横断歩道を赤で渡ると車にひかれるから渡ってはいけない。これは教えられた事だ。  雨の中に子猫が一匹だけでは体温が下がって死んでしまう。イチに判断ができるのはここまでで、その先を教えて欲しいと爺さんは言ってる。沢山の体験をさせて学習させるのが俺のバイトで、方向性は優しい子。 「寒いから早く帰ろう」  冷たくなったイチの手を引きながら、大きな責任だと初めて理解した。人を育てるのと同じで愛さなければ出来ない。ありったけの愛を。  俺に出来るだろうか。

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