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第9話

 ある日、夕方アパートに帰宅したらイチが居なかった。  なんで……。  日が暮れても電気の点いていないがらんどうな部屋で、俺は立ちすくむ。 「イチ?」  声に出して呼んでみたけど、こんな狭い部屋のどこに隠れると言うのか。  やばい。  出かけた……んだと思う。外出の仕方なら教えたし、だけど一人で行くとは思わなかった。 「イチっ」  すぐ様玄関へと駆け戻る。  成人男性が迷子になった時、いったいどこの親切な人が声をかけてくれると言うのだろう。居たとしたらそれはカツアゲだ。とにかくイチが居ない。  焦って靴を履いていると、ちょうど外側から鍵の回す音がして靴を履くためにかがんでいる俺の目の前でドアが開いた。 「彩我、出かけんのか?」  そこには不思議そうな顔をしたイチが呆気無く立っていた。 「お前どこ行ってたんだよ」  出かけるの?じゃねぇよ、ばか。 「図書館」 「図書館?」 「テレビで子供が本を借りているのを見て、やってみた」  イチは図書館の名前が入ったトートバックを、どうだと言わんばかりに掲げて見せる。 「ああ、そう……」  誉めて欲しいのが丸分かりの顔に、人の気も知らないでと文句の一つも言いたい。 「凄いな、テレビで覚えたのか。さすが目の付け所が違う」 「まぁね、僕は最先端アンドロイドだから。そうだ、彩我どこ行くの?」 「いや、用事が無くなった」 「そう。良かった」  ふんふーんと鼻歌でも歌いそうにご機嫌な笑顔を浮かべたイチに、本当にこのバカと思う。出かける様子の所に帰って来て、用事が無くなったと言ったら、探しに行こうとしていたって事くらい気付け。 「頭わりぃ……」  思わず呟いたら俺に、耳聡くイチがムッとした顔をする。 「は?誰のことだよ。僕はアンドロイドの中で一番頭いいぞ」 「不憫な世界だな。次から出掛ける時はメモか何か残して行って」 「なんでだよ。外出くらい一人で出来る」 「出来てもね、心配するだろ。いきなりいなくなったら」  そう言ったら、イチが目を真ん丸にして俺を見た。意外な事を言われて驚いたというような表情が、少し歪んだ変な笑顔になって行く。笑いたいのか怒りたいのか、どっちの顔だろう。 「……ごめん、なさい」  やっと出た言葉に、バカだなぁと思った。  俺はイチが持っているトートバックの中を覗き込んで、偉い偉いと頭を撫でてやった。するとイチは怒ったような顔で真っ赤になって、金魚みたいに口をパクパクして次の言葉を探している。  本当はどんな顔がしたいんだろう。何が言いたいんだろう。俺に分かるようになって欲しい。だけどそんな事すら出来ていないイチが可愛いくて仕方ない。  ちょっと居ないと探しに行く程に心配で、バカな子ほど可愛いって本当だな。

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