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第16話
のめり込む、とはこういう事なのかもしれない。誰かのために作られた身体じゃなくて心が欲しい。
イチが何かを熱心に見ていると、その視線を追って同じ物が見たい。同じ事を感じたくて、イチが笑えば嬉しくて、一緒に居るだけでこの瞬間が大事に思える。
けれどコミュニケーションを学ばせるという次のミッションが控えている。研究所で見た二号の無残な姿を思い出せば、その可能性からイチを少しでも遠ざけたい。俺が死んだ後もイチは生きるのだから。
そんな事に気付いてもいないイチは、今日も信頼しきった目で俺を見て笑う。
「彩我大好き」
そう言って幸せそうに微笑む。
「斎藤、今から会える?」
イチを誰かに会わせるとするなら、熊さん斎藤。奴ほど大らかで優しい人を他に知らない。
斎藤は学生寮に住んでいるので、約束をしてからイチを連れて大学の学生寮に向かった。
しかし寮とは同じような年頃の連中が集団で一つの建物に暮らす場所だ。
「ここにコミュニケーションが居るの?」
「居るのは斎藤って奴で、そいつと話してみるのがコミュニケーションな」
そうは言っても、気後れしたイチは俺の背中に回ってしまう。
どこかのサークルの奴らが笑いながら前を通り過ぎて行く。イチの肩は緊張に頼りなくなっていて、人の多い所が苦手みたいだ。二人の世界に閉じこもり過ぎていたせいなのかも知れない。
埃くさい廊下を歩いて階段を登って行くと、すれ違った一人が階段の途中で足を止めてイチを振り返った。
「彩我?どうしたんだよ」
会いたく無いのに会ったなと、俺は内心舌打ちをする。
「斎藤ん所に遊びに来ただけ」
話しかけて来たのは同じ学部の並木という男で、いつも女の子ばっかり連れてる奴だ。派手な噂も多くて、並木にイチを見せたく無い。
「並木も寮だったんだ」
「ああ。ずげー美人連れてるな」
並木が興味深そうにイチをじろじろ見るから、俺はイチを背中に隠した。
「学生、じゃないよね?彩我の友達?」
「まぁ。もう行けよ、誰か待たせてるんだろ」
案の定だったようで、じゃあなと並木は階段を降りて行った。
「さっきの人にコンニチハって言った方が良かった?」
挨拶出来なかった事をしょげて言うイチの頭を、俺は頭を撫でてやる。
「うるせーバカ、気安く話しかけんなって言えばいんだよ」
「分かった」
紹介もしなかったのは俺なのだし、失敗したと思う必要は無い。
大丈夫とイチを励ましながら辿り着いたドアをノックすると、待っていてくれたのだろう、すぐに開いたドアから熊みたいなデカイ男がのっそり現れた。
「おー、彩我。どうしたの急に」
女になんか絶対モテなそうなイカツイ顔にデカイ図体をしているくせにどこかのんびりの、熊さん斎藤。
「あれ?友達?」
斎藤が俺の後ろにいるイチに気付いて、イチは今度こそ上手くやろうと意気込んで笑顔を作る。
「うるせーバカ、気安く話しかけんな」
「イチっ、ばっ……」
バカだこいつは。
俺は慌ててイチの口を手で塞いだ。
そりゃ教えたけど、並木にはそう言えって教えたけど。
「ごめん斎藤、こいつ帰国子女で誰かに妙な挨拶を吹き込まれたんだよ。こんにちはって意味」
「彩我がそう言えって言った」
絞め殺してやろうかこのバカ学習機能。
「そう……ははは……」
この失敗をどうやって取り返せと言うんだ。やっぱりイチにはコミュニケーション学習が必要だった。
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