その週末、約束通り並木と会うために出かけて行くイチを見送った後で、俺は一人で研究所の爺さんを訪ねた。 「人工知能が持つ思考のレベルについて教えて欲しいと思いまして」 　通されたのはいつもの応接室で、ソファーに座った俺の前には、車椅子の爺さんがにこにこしている。 「初期データは基本的な知識です。これを見て……」 　と、爺さんがテーブルの上のコーヒーカップを手に持った。 「これが何で、どのように使うか知っている。中身に何を入れるかが学習です。あなたがコーヒーカップでお茶を飲めば、一号もそうする」 　そんな事が知りたいんじゃない。 「感情を持つことは有りますか。そして相手の感情をも、外部との関わりなどから予想する事は出来ますか」 「逆にあなたは何を感情と考えますか。人は心と言って胸を指しますが、心は胸には有りません、そこに有るのは肺と心臓。心は頭脳です。人の思考も感情も全てこの小さな頭の中に有り、それが一号の最先端人工知能にも当てはまります」 　爺さんは自分のハゲた頭を指先でつついて見せた。 　以前俺に、機械に心は有るかと聞いた爺さんの本心は、全ては脳ミソという事だ。感情は心には無くて、心ごと頭脳で考える物。 　それは正しいだろう。だとするとイチはいずれ俺が求める事を理解するようになって、コーヒーカップにお茶を入れる俺と同じ思考パターンを持つようになる。でもそれではイチは俺のコピーになってしまう。 　考え込んでいると、ところでと爺さんがシワの多い手を組んだ。 「私には息子が一人居りまして、年をとってから出来た子で、彼は私の全てだ」 　いきなり何を言い出したのか、俺は爺さんの目を見る。薄いまぶたと目尻の深いシワと、何を考えているのか分からない深い瞳。 「いずれこの研究所を継がせたいのですが、問題が多い」 「そう、ですか」 「ええ。まずはここに就職して欲しいけれど、今時の子は将来をどう考えているのか。あなたはどう考えていますか？」 「俺は……」 　さて弱った。来春には大学卒業なので、予定通りならとっくに内定を貰っていてもいいはずが、何も無い。 　答えられない俺に、爺さんはそうでしょうねぇと頷く。それも失礼だなと思ったけれど、そうなんだから仕方ない。 「ああ、そうだ。先日お見せした二号が直りましてね、着いて来て下さい」 　続かない話は爺さんの方から早々に切り上げられて、今度は一度廊下に出てから病室のような部屋に連れてこられた。 　そこは白い壁とベッドとテーブルだけの簡単な部屋で、ベットの上では十五歳程の小柄な少年が膝を抱えて丸くなっていた。 　 「女性だったはずですよね？」 「女性体は被害者になりやすい。頭は同じ物を使っていますので、体とのバランスを取って少年体にしました」 「そんな事、可能なんですか」 「ボディの破損が酷かったので、首から下をそっくりすげ替えました」 　驚いた。 　人間だったらあそこまで身体が傷付けられたら、とても生きては行けない。けれどアンドロイドはボディの付け替えが可能らしい。 　考えてみれば当たり前の事なのだけど、やっぱり人の形をしていると受け入れるのが大変だ。 　見ていると二号は俺たちが部屋に入って来たのに気付いたようで、抱えた膝の間に頭まで埋め込んで、小さく小さくなる。細い背中が悲鳴も上げられずに怯えている。 「記憶が有る？」 「一応消去はして有りますが、我々にも届かない所に何かが残っているのでしょう」 　それは本能では無いだろうか。 　酷い虐待をされて、命が有れば死んで楽にもなれた物を、壊れるまで何度も何度も……。 　本能で人を恐るようになってしまったのでは無いか。 　爺さんに言えば人工物に本能など存在しないと言うだろう。それは消去仕切れないデータの残りだと。 「彼に体を包む毛布と温かなココアを」 　そう言うと、爺さんはその通りにしてくれた。 　そうして言うのだ、やはり二号を任せたいと。 「次回のメンテナンスで一号の回収時期を決めましょう。あなたには二号の側に居て欲しい」