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第19話

 イチの回収時期を決める。  俺が苦い思いを抱えながらアパートの玄関ドアを開けると、先に帰っていたイチの笑い声が聞こえて来た。まさか並木を連れて来たのかと居間に行くと、お帰りとイチと一緒に言ったのは予想外に斎藤だった。 「斎藤、どうしたんだよ」 「別に。俺も一緒に行ったから、イチ君送って来ただけ」  という事は、並木とデートじゃなくて三人で遊びに行ったのか。さすが斎藤、気が効く。 「彩我があんだけ怒るのに、誘う並木がおかしーんだよ」 「悪かったな、気を使わせて」 「いや、別に。水族館好きだし」  飄々と言って、じゃあねと去って行く斎藤格好いい。言わなくても察して気を回してくれるとか、よく人を見てるなぁと本当に感心する。  それに比べると、にこにこ笑顔でコミュニケーションは成功だったと言うイチがかすむ。 「並木さんも斎藤さんも良い奴らで楽しかった。コミュニケーションは成功だ。喜べ、彩我は絶対博士に誉めて貰えるぞ」  失敗すれば良かったのになんて、俺が思っているとは全然気付いていない。失敗すればイチを手放す時期が遠ざかるのに。 「水族館ってすげぇな、こーんなデカイ水槽があって、トンネルもあって」  こーんなにと両腕を精一杯広げるイチの表情は輝いていて、楽しかったのが伝わって来る。思えば最初は外に出るのも警戒していたのに、成長したもんだ。 「ねぇ」  廊下をふさぐイチの頭に俺は手を置いて、髪を撫でてやる。 「イチから見て、この世界はどう見える?」 「どうって、満ちてる。素晴らしい世界で、沢山のきれいな物に満ちている」  そう答えた笑顔は、純粋にこの世界が好きなのだろう。 「そう」  二号はそれを知らない。 「……俺がいなくても、きっと大丈夫だね」 「彩我?」  不思議そうに首をコテンと傾けるイチは可愛い。きっともう、誰からも愛される最高傑作。ちょっとアホだけど素直であけすけで、疑う事も知らないで。  イチを避けて寝室に行くと、パタパタと足音をさせながら着いて来る。 「彩我がいないってどういうことだよ。僕は彩我のアンドロイドだって、そう教えてくれた」 「ごめん、それ間違えてた。お前は誰かのオーダー品で、俺のじゃ無かったや」 「やだっ、そんなのやだ。僕らにとってマスターは絶対だ、今すぐ撤回しろよ」 「その言葉使い直しな。本当の持ち主に嫌われるから」 「だったら嫌われていい。ばぁーかばぁーか。僕を捨てるのかよ、要らなくなったのかよ」  こんなの八つ当たりで、俺が間違えてる。出来ない事を望んで失望するのは俺の勝手だ。イチもやがて時が来れば、相手の感情を読み取れるようになる。そう、俺のように。イチは俺そっくりなコピーになる。  人は好きな相手と同じになりたがっても、自分と全く同じ物は欲しない我儘な生き物だ。二号を壊した研究員と俺と、どこが違うのだろう。思い通りに行かないとアンドロイドに当たって……。  どうしたらいいのか分からない。  本当に、分からないんだ。  俺はベットに腰掛けて、目の前で仁王立ちになるイチを見上げた。 「俺にはイチの事の方が分かんないよ。誰が好きなの?」 「彩我に決まってる」 「俺がマスターだと教えられたから?そんな忠誠心、いらねんだよ」  二号は記憶を消しても心が死んでしまった。  機械にも心がある。それが俺の信条で、それはアンドロイド二体によって証明された。  では人間の心とは何だ。アンドロイドが思い通りでは無いと虐待して壊して、または好いて来るのを一方的に突き放す人の気持ちとはなんだ。 「もしもイチのマスターが俺で無くて斎藤だったら、お前は誰に恋をした?」  イチには意味が理解出来ていない。受け入れられて当然、大事にされて当然、疑いもせずそう思っていて、疑う事を教えずにいたのも俺だ。だからイチの言葉は真実だ。 「アンドロイドにとって、マスターは絶対」  あぁ……やっぱり。  この瞬間、俺はイチを手放す事を決めた。

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