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その瞳に溺れる10
「彼氏くんのご機嫌を損ねてたらごめんな」
「……それはない」
「いい子ちゃんだな、羨ましい限りだ」
ニヤニヤしているのが伝わる含み笑いをされてさっさと通話を切った。少しくらい仕事に妬いてくれてもいいと思うのだが、竜也はそういうヤキモチは一切ない。急に予定を潰されても大丈夫ですと笑う。
本音のところが見えないが、俺を束縛しようという様子はまったく見せない。完全に受け身で、運良く一緒に過ごせたらそれでいいとでも言い出しそうに思える。こちらとしてはもう少し執着を見せてくれてもいいと思っているのだが。
どうしたらもっと彼を惹きつけていられるだろうかと考えてしまう。いまでも十分、向こうからの気持ちを感じているはずなのに。
そんなことを考えながら店の中へ戻れば、カウンターで待っている恋人は見知らぬ男に声をかけられていた。酔っていて警戒心が薄れているのか向き合いながら黙って話を聞いているように見える。重たいため息が吐き出されるが、傍まで行って肩に手を回すとぱっとこちらを振り返った。
「九竜さん、おかえりなさい!」
「なにをしているんだ」
「この方がマジックを見せてくれました。すごいんですよ!」
「ふぅん」
にこやかな笑顔を見せる竜也から視線を男へ移すと引きつったような笑みを浮かべる。そしてほら言っただろうと加賀原が呆れた声を上げた。おそらく小手先の手品で竜也の気を引いてあわよくば一緒に酒でもと企んでいたのだろう。
「お連れさんが戻ったみたいなんで、お、俺はこれで」
「えっ? もう少し拝見したかったです」
「あー、いやー、せっかくのお時間を邪魔しちゃ悪いんで」
連れがいる相手に声をかけてくるわりには察しがいいようだ。ねだる竜也にもあれこれと言い訳を並べて自分の席に戻っていく。残された竜也はしょんぼりとした顔を見せるが気を引くように頬を撫でると彼は顔を持ち上げて首を傾げた。
「俺と安物の手品、どっちがいいんだ? あっちがいいなら、俺は帰ろうか?」
「え! 嫌ですっ! 帰っちゃ嫌です!」
驚きで丸くなった瞳に涙がじわりと浮かび、縋りつくように手を伸ばされる。ぎゅっとジャケットを握った手が震えて、ほろりと涙がこぼれ落ちた。それにはこちらまで驚いてしまい、まじまじとその泣き顔を見つめてしまった。
「竜也、……あんた酔ってるな」
「え、あ、ちょっと、ちょっとだけです。でも平気、です」
「……加賀原、お前、なにを飲ませた」
よくよく見れば少し赤らんだ頬、普段よりもわずかばかり舌っ足らずなしゃべり方。その元凶である男へ視線を向ければしれっと遠くへ目をそらした。カウンターに置かれたグラスを見れば縦に長いコリンズ・グラス。
クラッシュアイスの中で三分の一ほどに減ったアイスティーのような琥珀色の酒、それに思わず顔をしかめる。度数の高いカクテルと言えば小さなグラスを思い浮かべるだろうが、アルコールが強い酒ほど大きなグラスになる。
「ごめんなさい。加賀原さんは悪くないです。ちょっと強いのが飲みたいって言ったのは自分で」
「ちょっと?」
「いい感じに酔ったらいい感じになるかなぁと」
「無責任な真似をするな」
乾いた笑い声を上げる加賀原を睨み付ければ、いまさら証拠隠滅のようにグラスを下げる。そして笑いながらミネラルウォーターを注いだグラスに差し替えた。
バーの店主にあるまじき所業だ。初見の客に馬鹿高い度数のアルコールを出すなんてどうかしている。しかしさらに文句でも言ってやろうと思っていたらジャケットを握りしめる手に力がこもった。
「ほら見ろ、無理をするから具合が悪くなったんだろう」
「ごめん、なさい」
「普段そんなに飲まないのに無茶をするからだ。まあ、あんたが悪いと言うよりそれを出したやつの責任だがな」
我に返って急に酔いが回ったのか、俯く顔が青白くなってくる。あれはいま視界が回るくらいになっていてもおかしくない酒だ。酒を飲み慣れていないのだからなおさらだろう。肩を抱き寄せるともたれかかるように身体を寄せてくる。
「もう出るぞ」
「ちょっとだけお手洗いに行っていいですか」
「……わかった。気をつけろよ」
「はい」
少しばかりおぼつかない様子ではあるがまっすぐと歩いている。中で倒れてしまう心配をするほどでもない。しかしあれではいい感じになるどころかベッドに入ったら一瞬で眠りに落ちて終わりだと思う。
もう一度しっかり文句を言わせてもらうために、不自然にいくつもグラスを磨いている男に向き合った。
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