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その瞳に溺れる13

 あんな場所で自分の弱い場所をさらしてイかされるなんて恥辱以外なにでもないと思うが、それだけで溜飲が下がるほど自分はお安くはできていない。もし少しでも遅れていたら、もし気づかぬままだったら、そう思うと腹立たしさが増す。  誰が悪いなどとそんな細かいことを言うつもりはない。ただすべてが悪い方向に噛み合っただけだ。けれどそれだけのことで頭に血を上らせている自分にもいささか戸惑いを覚える。 「九竜さんっ、待って、待ってください! ごめんなさいっ」 「もうあんたのごめんなさいは聞き飽きた」 「……っ! あ、その、えっと」  早々に店を引き上げて後ろで必死に謝る声を無視して歩いた。けれど不安でたまらないのだろう竜也は何度も言葉を繰り返す。それになおさら苛立ちを煽られた。  道の途中で拾ったタクシーに押し込むと怯えた目で見つめてくる。それでも黙って前を向いていれば萎れたように俯いてしまった。これは八つ当たりに近い、それはわかっている。自分と一緒にいることで気が抜けてしまったのだろうと言うのもわかっている。  だからこれは竜也に対して怒りを感じているのではなく、ほかの男に容易く触れさせてしまった自分に対しての怒りだ。  すっかり俯いてしまった横顔はぽつぽつと涙をこぼしている。泣かせたいわけではなかった。それにもまた苛立って、息を吐いたらそれにビクリと肩を震わせる。 「こっちへ来い」  震える肩に手を伸ばせば涙を溜めた瞳がこちらを窺うような色を見せる。手を滑らせて腰を掴むと無理矢理に身体を引き寄せた。倒れ込むように腕の中に収まった竜也は驚きに目を瞬かせている。  さらに抱き寄せて柔らかな髪に口づければ、恐る恐ると言ったように手が伸びてきて背中へ回った。しがみつくみたいに抱きつかれて、髪を撫で梳いて額や目元へも口づけた。 「九竜さん、まだ、怒ってますか?」 「怒ってはいない。腹が立っているだけだ、自分に」 「不注意で、すみませんでした。少し浮かれすぎてました」 「いい、わかってる。もう謝らなくていい」 「嫌いに、ならないでください」 「心配しなくともなりはしない」  そう簡単に嫌いになれるのならこんなに苛立ちはしない。やはり繋いでしまおうか、そんな考えが浮かんできて自分でも呆れてしまう。望めばきっと彼ならそれを受け入れる。大人しく家で帰りを待っていてくれるだろう。  けれどそうしたら今日見た笑顔は見られなくなる。それを思うとそんな我慢はさせたくない。いつでも幸せそうに晴れやかに笑うあの顔が好きだ。 「着いたぞ」 「……ここ、どこ、ですか?」 「俺の家だ」 「えっ!」  腕の中でウトウトしていた瞳が見開かれて正直に輝く。跳ね起きてわかりやす過ぎるくらいにそわそわとして、手を引いて下りればますます表情が明るくなった。子供みたいに顔をそらしてマンションを見上げる姿には思わず笑ってしまった。 「すごい! タワーマンション」 「背が高いだけで普通のマンションだぞ」 「コンシェルジュ? がいるマンション初めてです。セレブな感じ」  ようやく気分が持ち上がったのか笑顔が戻ってくる。自分で泣かせておきながらそれにほっとしてしまった。興味津々な様子でエントランスの中に視線を向けるその顔が幼くて可愛い。エレベーターが三基もある、なんてことにまで驚くそれがおかしかった。 「お邪魔します」  部屋に着くと警戒する犬猫みたいな反応でそろそろとあとを着いてくる。しかしリビングに続く扉を開けば感嘆の声が上がり、目に見えない耳や尻尾が立ち上がっているように思えた。パタパタとスリッパを鳴らし、窓際に近づいていくその背中に口の端が持ち上がる。  高層階から見える景色は隔てるものがなく遠くまで夜空が繋がって見える。街明かりが眼下に見えてなかなかの夜景だと思う。この景色を見ながら酒を飲むのがわりと好きだ。 「お家に居ながらにして夜景が見られるなんて素敵ですね」 「ここへ越してくる気になったか?」 「えっ?」 「今日のことでつくづくあんたを俺の元に繋ぎ止めておきたくなった」 「……九竜さん、……んっ」  振り向いた顔に唇を寄せてキスを落とす。柔らかな唇を食むように口づければ、持ち上がった手がジャケットにしわを作る。さらに奥へと押し入り舌を絡め取ると、ピクンと小さく震えてその手は背中へ回される。

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