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三話
仮に、喧嘩をしたとき、貴方はすぐに謝る人だっただろうか。仮に、何故相手が泣いているのか分からなくても、とりあえず謝り、その場を凌ぐ人だっただろうか。
俺は、違ったみたいだ。
ーー気まずい。
この瞬間は、俺が産まれてから兄弟の心が、一番同調した瞬間だろう。
そもそも俺達兄弟は性格がそれほど似ていない。優しい、桜みたいな晴斗。冷たく、雪のような俺。まるで俺達の、名前に、当てはめられたようだ。
二人の間に流れるのは、野菜炒めの焼ける、ジューという音、香ばしい匂いだけだ。
間もなく出来上がる。ベタついていなく、芯にまで火が通っている。それなのにシャキシャキとした野菜。パリッとした外壁、それに反比例するかのようにジューシーな中身。そんな、誰もが食欲を刺激される匂いを放つ、ウインナー。味付けの代名詞。野菜炒めを更なるステージへと高める塩胡椒。俺にとっては、世界一の野菜炒め。
だが、そんな野菜炒めも、今は食べる気分にはなれなかった。
いや、食べる。勿論食べる。あわよくば、おかわりまでする。そう言う問題では無いのだ。
「できたぞ~」
そう言う晴斗の声は、明るくて、少し、震えていた。
「はーい」
俺の声は、震えていなかっただろうか。
二人で黙々と食べ続ける時間。ゆったりとした速度で流れる。食べ終わったものの、やはり食欲には勝てない。
「……おかわり」
晴斗は、キッチンへ行き、俺の皿に元の量の野菜炒めを入れた。
再び沈黙が二人の間を駆け巡る。
晴斗が箸を置く。音は無い。
「……ごめん。」
彼は、涙を目に貯めながら、消え入りそうな声で、そう口に出す。
俺は思わず黙ってしまう。言うべき言葉が見つからない。何故泣きそうなのか。疑問が頭を支配した。
「嫌……だったよな。もうしないから……だから……」
だからで止まる晴斗。疑問は、そこはかとなく解決した。しかし、晴斗がその後に、何を言おうとしていたのかは、もう二度と分からないだろう。
「……嫌……じゃない……むしろ……」
ーーむしろ、良かった。
そんな台詞が頭をよぎった。俺は、その台詞を噛み殺した。俺達が、兄弟じゃいられなくなると感じたから。兄弟の、関係が壊れると思ったから。
「でも、冬樹……泣いてた」
晴斗は苦しそうに、辛そうにその言葉を吐き捨てる。俺は奥歯を噛み締めた。それは自分自身の後悔から。
「大丈夫だよ……また、したい」
これまで、俺にそうしてくれたように、晴斗にほほえみかけた。
俺達の間にはそれ以上の言葉はいらなかった。
晴斗が俺の胸で、声を出しながら泣いた。俺は晴斗の髪を撫でる。ふわふわしてて気持ちがいい。晴斗も部活をしていたとは思えない。
俺は、『好き』の二文字を、ぎゅっと胸の奥に、押し込んだ。今にも、吐き出しそうな、その言葉を。ただの兄弟だから、ただの兄弟だから、ただの兄弟だから。自分にそう言い聞かせた。俺は、晴斗を心配させないように、涙を堪える。あふれでそうで、喉の奥が焼けそうになる。
野菜炒めが冷めてからも、晴斗は泣き止む事はなかった。俺が初めて見た、晴斗の涙だった。
兄弟で野菜炒めを食べ尽くした。街は、とっくに静まり返っている。俺には街が、俺達兄弟のことを、見守っているように感じた。
目を覚ます。日差しが、窓をすり抜け、俺の部屋を照らす。目覚まし時計の音と共に、どこからか小鳥のさえずり。とても心地よい。俺は階段を下り、ダイニングへと足を運ぶ。
「おはよう」
ふわっとした空気が、そこはかとなく漂う。
その声を聞いてほっとした。いつも通りの晴斗の声だ。
昨日、ずっと、ずっと泣いていたからか、目元が少し赤い。
昨日の晴斗は、とても可愛かった。
俺は晴斗におはよう、と返事を返し、朝食を作る。
俺達は、毎日交代で食事を作っている。そのため、晩御飯がレトルトや弁当になることも少なくない。昼御飯は給食なのが唯一の救いか。
卵を割り、かき混ぜ、火をつける。熱したフライパンに乗る、バターの溶ける匂いが、俺の食欲を刺激する。そうして出来上がったスクランブルエッグを皿に乗せると、オーブンの音と共に、パンの焼けた匂いがした。いつもより少し高めのパンに、マーガリンを塗っていく。
そして完成したパンとスクランブルエッグを、食卓に並べた。
「いただきます」
俺達は、きっと一人でも食事前の挨拶は欠かさないだろう。それすらも、俺達二人の繋がりになるから。
今は時間にして午前七時。学校には十分間に合う時間だ。
二人の食事には、あまり会話は無い。そこは昨日と同じと言えるだろう。しかし、お通夜みたいな顔をしていた晴斗の顔は、目に見えて明るかった。晴斗が明るければ自ずと俺も明るくなる。
「そういえば! 晴斗ってさ、なんか欲しいもんある?」
兄である晴斗の誕生日は、今週末まで迫っていた。
「んー……冬樹がおったらそれでいいよ」
……去年と同じ返事じゃないか。去年は、悩みに悩んだ結果、親と一緒にいつもより少し豪華な食事と、個人で学業成就の御守りを作った。
まぁ、御守りの発想は父親も母親も一緒だったが。
受験当日三つの御守りを鞄に着けていった晴斗は、一年生ながらに、ある意味伝説となっている。ちなみに、高校にはほとんど満点で入っていた。……確かそこそこ偏差値高いはずなんだがなぁ。
こんな話はさておき、今年の誕生日プレゼントは何にするか。全然決まらないまま俺は学校へ向かった。
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