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 狼の嗅覚は人間の百万倍。次に優れているのは聴覚。森林の中で約9㎞、最大16㎞先の音を聞き分けられる。ロウは一軒家の裏口脇にある植木に隠れ室内の気配を伺っていた。中にいるのは3人。一人はリビングにいて腰を下ろしているのか動きはない。もう一人はリビングと玄関をつなぐ廊下をゆっくりと移動していた。残りの一人は二階にいて窓の外を見張っている。  見張り達の会話、足音、物の動く音、体臭が映像としてロウの脳内に変換された。三人は明らかにこの任務に飽きており退屈している。何の変哲もない一軒家で顔を突き合わせ、パニックルームから対象が出てくるのをひたすら待つ単調な任務。  テレビは点けっぱなしで、CSのニュース専門チャンネルが放映されている。『容疑者滝田弓枝の行方は依然わかっておりません。警察は容疑者と重要参考人の二人を総力あげて捜索しております』という進展のない状況を伝える一文が時々流れているだけだ。世間の注目度は下がり警察の追求もないとなれば素人が気の緩みをみせるのは当然。  ロウは廊下を歩く足音に耳を傾け、人間の聴力でキャッチが可能なポイントで裏口のドアノブを乱暴に何度か捻った。足音がとまる。さらにドアノブを捻る。  足音が裏口と廊下の仕切り扉の前で止まった。扉がゆっくり引かれたタイミングでロウはドアノブを捻った。見張りには動くドアノブを目にしただろう。すりガラスには人影が映っていないことをどう判断するかロウは身構えた。 「悪戯か?クソガキが」  相手は子供だと判断したようだ。間違いなくドアを開ける。 「勘弁してくれよ」  カチリとカギを捻った音の後、ドアが勢いよく開く。男は目の前に誰もいないことに驚き動きが止まった。ドアの横に立っていたロウは、その一瞬をつく。男の左肩を突き背を向けさせると右腕をV字に折り男の首を裸絞め(はだかじ)にした。左手で右手首を握り身体に引きつける。男の気管が締まり呼吸が奪われた。さらに頸動脈の圧迫により、脳への血液が遮断され男は暗闇に落ち膝から崩れた。五秒に満たない時間で障害をクリアにしたのは幸先がいい。  音をたてないように裏口のドアを閉め床に男を俯せに転がす。結束バンドで手首と足首を締めあげロウは二階の様子を伺った。足音は聞こえない――二階の男は窓辺に立ったまま動いていない。  大きな身体にもかかわらずロウは気配と足音を完全に消すことが出来る。森の中で獲物を狙う狼のように。  部屋のドアは開けられていた。男がこちらに背を向けて出窓に両肘をつき外を眺めている。カーテンを細く開けた隙間から不審者の接近に備えているようだ。  ロウはポケットに手を入れ注射器を握る。アンプルを少し押し空気を抜いた。4本の指で注射器を持ちアンプルに親指をかけた。男の呼吸のピッチと合わせ忍び寄り左手で男の顔面を覆う。視界と発声を奪い首筋に注射を突き刺して男の動きを封じる。身体から力が抜けたことを確認し両手両足を拘束した。残るは一人。  テレビの音とリビングでソファに座る男の呼吸以外は聞こえない。規則正しい深い呼吸は居眠りを意味していた。呑気なものだ。  静かに階段を降りドアからリビングを覗くとだらしなくソファにもたれた男が見えた。居眠りをしている顔にテレビの光が青白く映りこんでいる。  ロウはソファの背もたれの後ろに立ち、眠っている男の目を左手で覆い薬品の沁み込んだ布を鼻と口に押し付けた。男はもがき、ロウの腕を振りほどこうとした。しかし暴れればそれだけ呼吸を必要とする。男は簡単に昏倒して動かなくなった。  三通りの方法でアタックすれば複数に踏み込まれたという疑念を与えられる。単独と複数では大きな違いがあるからだ。警察にプリペイドを残したのと同じで広範囲の想定が必要になる。ロウは自分の仕事に満足しながら意識不明の男の両手両足を拘束した。  そして部屋を見渡す。目当てのものを見つけたロウはその下に立った。

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