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Tuesday:3
重くて……甘い。扉が開き始めるとむせ返る様な香りに包まれた。扉がすべて開き、対象と視線を合わせた瞬間何かが起こった。重かった匂いは鋭く尖りロウの身体を突き破る。甘かったはずの匂いは生きるための根源である『血』に姿を変えた。生暖かい、鉄の味が口一杯に広がる。狩った獲物の息の根を止め腹を食い破り、湯気のたつ内臓にかぶりつく……あまりにも鮮明なイメージにロウは目を閉じた。深くゆっくり呼吸を繰り返す。自分を保て!ここで本能に支配されるわけにはいかない!
ドサ
ゆっくり目を開けると対象は床に倒れていた。お互いの存在が強く影響し合っている。対象が気を失うほどの何かをロウが与えたということだ。
見張りが目を覚ます前にここから姿を消さねばならない。ロウは対象に手を伸ばしたが触れなかった。触れてしまったら先ほどのイメージに飲み込まれてしまうのではないか。だが逡巡は一瞬で消えた。ロウは正義感とともに自分なりの信念がある。使命は絶対であり最後まで遂げることが必要不可欠だ。対象は部屋を出る選択しかしていない。生きるか死ぬか対象が選び、その思いを遂げるまでがロウの責任だった。
ロウはフードをかぶり隆俊を軽々と抱き上げた。廊下にでると裏口に転がっている男はまだ目を覚ましていなかった。男をまたぎドアを開けて外にでる。
まばらな街灯とカメラのないエリアの闇にすべりこみ50m程進むと用意してあった車にたどり着く。後部座席に対象を寝かせると運転席に回った。スマホを取り出し写真を撮る。色をなくした白い肌はまるで生気がなかった。
車を発進させ法定速度を保ち走らせる。10分走り尾行が付いていないことを確認したあと路肩に車を止めた。
対象の写真を添付しメールを送り電話をかける。
「届きましたか?」
『ああ、届いている。問題ないだろうな』
「はい。見張りの三人は生きていますし顔は見られていません」
『そうか。対象は生きて……いや、やめておこう』
「そのほうが賢明かと。この写真は削除でもどこかに送るなり好きにしてください。私は削除します」
『わかった。それで?』
「三日ほど音信不通になります。何処で処理したのか知らない方がいいでしょう」
『知らない方がお互いの為か』
「気持ちのいい案件ではありませんので。足のつかない車で移動します。携帯はつながりませんので追跡は不可能です」
『すべてまかせる』
「それと私から提案があります」
『提案?』
「オリジンとのハーフはまだ存在すると私は確信しています。今回の『仕事』を成功させた私には同様の任務が今後も与えられるはずです。快楽に身を落としたお偉いさんの後始末、それも罪のない人間を葬るのは私の主義に反します。ですから特捜は辞めさせていただきます」
『な!なんだと!』
「退職の手続きは代理人と弁護士を通して行います。二度と特捜に足は踏み入れません。狩の才能は悪者 を断ずるために使いたいのです。今後は別の人間をあたってください」
『ちょっと待て!冷静に話し合おうじゃないか。もし同様の命令が下っても私の所で止めることを約束しよう』
「この任務は私に選択肢がなかった。そして次長は自ら言いましたよね。『私にも選択肢はない』と」
『……。』
「今後はシリアルキラーや犯罪者をマンハントするフリーランサーとして主に海外で活動するつもりです。すでにラングレー 、クワンティコ 、インターポールに根回しをしてあります。私の行方がわからなくなったときは海外から膨大な問い合わせと、逃げることのできないプレッシャーが押し寄せるでしょう。結果真実を話さなければならなくなる。何れにしても私を狩れる捜査官がいるか疑問ですが」
『君を失うのは大きな痛手だ!』
「であれば、このような任務に疑問を持たない殺人マシーンになれる人材を充てるべきでした。外事にはそういう伝手があったでしょうから。特捜が引き受け、上層部に借りをつくり政治的に優位に立ちたかった次長の気持ちは理解できますが、私は現場の人間です。政治に巻き込まれるのは不本意です。では急ぎますので」
ロウは一方的に電話を切ったあとスマホの電池を抜く。ドクに渡してデータを完全に削除したあと処分しよう。
エンジンをかけて車を発進させ目的地に向かう。そこはロウの隠れ家であり、一人になりたいときに行く秘密の場所だ。登記は別名義になっているし、隣家まで2㎞の距離がある。別荘という名目ゆえ地元住民が立ち寄ることはく近所づきあいはなかった。
ロウは決めている。生きることを選ぶように説得することはしない。生きたいのなら生きればいい。死んでしまいたいのなら苦しみなく送る。
対象がどのような結末を選んでもロウはその通りにするつもりだ。どのような形で生まれたとしても、その後をどう生きるか(死ぬのか)選ぶ権利は本人だけにしかない。誰もが「望む」選択肢を持って然るべきだ。
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