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第5話

 周りの雑多な音が嘘のように二人の間に沈黙が訪れる。黙ってはいても意識しているのが分かると、お互いに見えない糸を引き合うような引力が生まれた。  口角を上げただけのジョアンは口を開く気配もなく前方を見ている。  可愛げのある顔には高慢な表情すらよく似合っているが、まるで深さがないのだ。  生きていることを忘れた生者。そう感じるのは獣人だからかもしれない。人間にとってはこれが普通なのだろうか。座長の顔色を窺い観客の反応ばかり気にする退屈な踊り子のようだ。人間のΩとはこんなものか。  まあいい、自分とは縁のない相手だ。そう思うのにこんなに気を取られてしまうのは、αとΩだからだろう。  ダンは軽く頭を振って立ち上がり、通りを見下ろした。  キラキラと光りながら降ってくるのは踊り子達が撒き散らす金銀の屑。  美しいけれど何の役にも立たないし地面に落ちた途端に(ごみ)になる。自分のすぐ近くにいる美しいΩもそういう類の役割なのだろうか。そんな失礼な考えが浮かんだことに驚いた。名乗られてすらいない相手なのに。  ここにきて握手を拒絶された傷が思ったより深かったのだ、とようやく自覚して苦笑した。  ふと視線を感じた。少し離れたところからジョアンの祖父ほどの年齢の男がこちらを見ながら片手を上げた。 「ジョアン、こっちにおいで。一緒に見よう。」  皺の刻まれた口角を上げ悠然と手招きをされ、ジョアンはようやく立ち上がった。  「プリモス。」  番の名を呼んでいるのにどこか固いところのある笑顔がダンの目には不思議に映った。  立ち上がると小柄で華奢な身体が涼やかな風のような香りを放った。鋭敏な嗅覚がとらえたその感覚が、ダンの心の底をくすぐった。 「雪斑木(ゆきふぼく)の香りだな。」  艶やかな葉に小さく入る真白な()をこの地では降ることのない雪と呼んだのは、初代の入植団に加わっていた感傷的な植物学者だった。雪斑木から抽出できる香料はごく少量で希少だ。嗅いだことのある人など滅多にいない。  目を見開いたジョアンに言い訳がましく首をすくめてみせた。 「香木を扱っているので。」 「……デルフィン・ダン。」  なぜか名前を呼ばれたことに驚いたが、それよりも相手が自分の名前を記憶していたことが意外だった。 目を丸くしてどこか愉しげなダンを尻目に、ジョアンは主の元にゆっくりと歩いて行く。  優雅に髪を揺らし、泰然とした足取りで。  どれだけ足掻いても開くことのない透明な天井越しに人間を見上げる羽目になる獣人に、裕福なαの番である自分の価値を見せつけるかの様に。  番ってしまえば意味の無くなる『至高のΩ』という賛辞が彼の最後の矜持だろうか、とダンは興味深い目で見ていた。  その時、ちょうどすぐ近くまでやって来ていた踊り子の一団が、身につけていた衣装や花を観覧席に向けて放り投げたのだ。 「わあっ!」という歓声とともに人々が飛びついた。人の動きが波になってうねった。  その波は、周りのα達より二回りほど小柄なジョアンをのみこんだ。

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