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第16話

 ダンの興奮が伝わりジョアンは腹の底がぐっと冷たくなるのを感じていた。 「もういいから、さっさとやれ……」  首筋に息がかかり身体が勝手に震えだす。  くる、また同じ目にあうのか。嫌悪感以外何も覚えていないのに。その感覚だけが頭の中にありありと蘇ってきて吐きそうになる。  自分が近くにいることで与えられる恐怖に耐えるジョアンに、ダンは声を潜めて聞いた。   「そうじゃない、怖がらなくていい。死ぬかもしれないが一緒に逃げるか? それとも命が惜しいか? お前が選んでいい、本気で望むのなら俺の命にかえても叶えてやる。」  かたく閉じられていた瞳がゆっくりと開いた。すぐ傍で自分を見つめる瞳は、人のものとは違っているのにこれまでに向けられたどの視線よりも真直ぐな光をたたえていた。 「南でも北でも、鳥も飛ばない不毛の大地も、氷に閉じ込められた土地でも。お前の意のままに。」  ジョアンの喉からちいさな嗚咽がもれた。涙を流し震えながら小さな声が聞こえる。 「助けて、助けて......もう、死んでもいいから、ここじゃないどこかに連れていってくれ。」 「分かった、耳を塞げ。少しだけ我慢して自分の幸運を信じて祈っていろ。」  そういうとダンはシーツを大きく翻してジョアンを包んだ。布の間から息をのむ気配が伝わってきたのを確認して抱きかかえた。 「おまえっ、何を!」  反射的に男が走り寄ってきた。腕の中の小さな身体を大きく円心状に回して布の端をつかもうとする手をかわし、そのまま小さな窓まで駆け寄ってダンは外に向かって吼えた。そして、振り返ってまた声をあげた。否、人の鼓膜を大きく振動させる音を出した。人間の感覚器では処理しきれない音圧が警備の男とエドゥを混乱させる。  闇の中から何かが低く唸って応えた。獣人だ。複数の声が空気を震わせる。  ダンは眼下に動く影を確認し、人が一人ようやく通れるほどの小さな窓を一蹴りで破壊し、窓枠ごと外に落とした。そして、そのままぽっかりと空いた外界への出入り口からジョアンを放り投げた。  星空を背景に白い塊が一瞬止まったかのように夜の闇に浮かび、すぐに消えた。  落ちた! そこで聞こえるであろう衝突の音を想像してエドゥは悲鳴をあげて耳を塞いだ。今度は金切り声が部屋の中を支配する。  はっとしてダンに掴みかかろうとする男をしり目にダンは続いて窓から飛び出した。予想もしなかった行動に、伸ばした腕はむなしく空をかいた。  目の前から二人消えた。獣人がΩを窓から投げ出して、自らも飛び降りた。気が狂っているとしか思えない。しょせん獣人だ、やることなすことおかしいのだ。  男は壊された窓から庭を見下ろしたが、木々や草は何かを隠し通そうと沈黙するばかり。風に揺れる葉擦れ以外何も感じ取れなかった。  白い布に包まれた塊は繁みの中だろうか? ここは三階だ。獣人はともかく投げ出されたジョアンは無事ではあるまい。  目を細めて振り返り、怯えて泣くエドゥの世話を優先しようと若いΩにゆっくりと歩み寄った。  Ω独特の美しさと、ようやく顔を出し始めた色気が生硬な身体の端々から漂っている。  大丈夫、ここには誰も来ないはずだ。

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