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第18話

 ダンが外出している間も知り合いが勝手に上がり込んできては、お茶を片手にジョアンと話をしていった。人間のΩの物珍しさも手伝って入れ代わり立ち代わりやってくる獣人のお陰でジョアンも退屈することはなかった。  そして何だかんだでダンの家に一番入り浸っていたのはセトだった。  庭に出て木の実を使ったゲームに興じる日もあれば、顔を出してすぐ去ることもあった。今日は時間があるのか、机を挟んでジョアンと差し向いに座って話をしていた。 「セト、俺どうすればいいと思う? 何かできることってないかな。」 「殊勝なこと言うな、じゃあこっちが決めたら従うの? まぁ、今更人の町に帰ったって行く所もなさそうだし、自分で後見人を探す訳にもいかないだろうけど。」  セトは手持ち無沙汰げに机の上に落ちた小さな木の実を指ではじきながら言った。 葉の隙間から漏れた日差しがジョアンの褐色の肌をまだらに染めている。人の町より少しだけ冷涼な気候の獣人の町は日中も屋外で過ごしやすかった。 「お前は俺に出ていってほしいのか?」 「うーん、あんたは出ていきたいの?」  セトは片方の眉を上げて、首を横に振るジョアンを見て困ったように笑った。 「人に頼らず自分で考えな。それができることだよ。」  そんな風に言いながらもセトは人間とは違う獣人の文化や、文字、歌をジョアンに教えてくれる。甘い響きのあるジョアンの低い声を「発情期の猫みたいよ」と揶揄うのがいつものことだった。  遅い夕食の後果物を切り分けるダンを見ながら、ふとした拍子に新しく覚えた歌が口から零れる。それに合わせてダンも歌い出す。そんな些細なことが、先の見えない空っぽの気持ちを満たしてくれる。  触れることすらできないジョアンを楽しませようと、ダンは珍しい果物を手に入れては切り分けて饗してくれた。  大きな手が柔らかい果肉を傷めないように慎重に皮を剥いてゆく。その真剣な様子を見るのがジョアンは好きだった。一度「自分でやるから」と申し出たが、ダンは頑として譲らなかった。 「汚れる。」 「お前は食べないくせに。獣人はもっと実利的だと思っていたけど、案外ロマンティックなんだな。」 「あこぎでがめついとでも思ってたのか? 愛情についても貪欲さ。でなければお前をこんなところに連れてはこない。」  たとえ触れることができなくても、その身体を己がものにしたい。欲望ままに深くその中に入って自分の名前を呼ばせたい。 ダンは目の前で指に滴る蜜を見ているジョアンの名前を呼んだ。  伏せていたまつ毛とともに顔を上げ、ダンの視線を受け止める眼差しは強かった。口角を上げてうっそりと微笑まれると身体の奥でぬるい炎が上がる。  指を差し出してその汁を舐めとってもらいたかった。心の赴くままにそのまま甘い蜜で身体を拓いて味わい尽くしたかった。 だめだ、出来るわけがない。  触れたいと渇望する本能に強く楔を打ちこんでダンは踏みとどまった。しかし手を濡らす甘露を舐める目には欲望がくゆっていた。 「甘い……」  見ているジョアンの口の中にも、同じ味がじわりと広がった気がした。くっと喉が上下するのは果物のせいか、それともダンの色気にあてられたせいか。早く口に入れてほしいと身体が訴えかけてくる。 「早く頂戴。」  小さく切った果肉を一つ摘まんで差し出すとジョアンは黙って唇を開く。  ぬるい息で指先に触れ、柔らかい実を唇で挟んで上目遣いで見詰める。噛み締めた果実からあふれる汁が、形の良い唇の隙間を濡らす。  相手を欲していたのはダンだけではない。ただ、触れるのが怖い。触れぬまま相手を繋ぎとめる術なんてジョアンには思いつかなかった。 三日月型の瞳孔に映る自分の姿は今でも美しいのだろうか。先のことなんて想像もつかないし、自分が何をしたいのかもわからない。気がつくと全て用意されている生活だった。かつて人間のαたちに強く乞われた自分の外見は、目の前の獣人にとってどれほどのものだろうか。  もしかしたら今ならこの男となら触れ合えるのではないかと根拠ない望みを持ったが、数日前ダンが触れた時に激しい嫌悪反応が出たたばかりだった。

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