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第20話

*  ある日、帰ってきたダンからいつもと違う匂いがした。  玄関から奥の部屋へと流れる空気が若い雄の色めいた匂いを運んでくる。いつものことなのに、そこに何か異質なものが混ざっていた。  乾ききっていない情事の残り香を感じた途端、何をしてきたのかピンときた。ジョアンの心の奥で小さな炎が苦い煙を立てた。  今日は誰が訪ねてきたんだ?と軽く声をかけて奥に歩いてくるダンがジョアンの苛立ちに気づいた様子はない。それが余計に腹立たしかった。  バレないと思っているのだろうか?   ジョアンは机の上についていた肘を下ろして椅子に凭れ、薄暗い中を自分に向かって歩いてくる男を見ていた。  人でも獣人でもαはΩに比べて能力においても体格においても優位なことが多い。その例にもれずダンの筋肉のついたすらりとした身体、長い手足のバランスは美しい。でもその手が知らない誰かの身体に触れてきたと思うとジョアンは不愉快で堪らなかった。  片手に袋を下げて部屋に入りいつものようにジョアンに微笑みかける顔に、怒りとも蔑みとも取れる視線を投げかけていると、重い沈黙を受け止めたダンが持っていた袋を机の真ん中に置いた。 「うん? 機嫌が悪いな、どうかしたのか?」  やけに甘ったるく響く声色がジョアンの耳に粘りつく。  机の上の袋の口から立ってゆく香しい匂いは重く漂ってジョアンの鼻に届く。熟れすぎた果実が混ざっていたようで、食べ頃を過ぎた匂いは部屋の空気を徐々に不快なものへと変えていた。  舌にざらりと貼りついた言葉を辛うじて押しとどめ、ジョアンは喉の奥の苦い空気を飲み込んだ。 「……そうか、相手がΩとは限らないんだな。セトか?」  ダンが瞬きをして目を見開いた。それが答えだった。 「ふ......ははっ、はははっ。なんて顔をしてる。」  ジョアンの乾いた笑い声が開いた窓から外の闇に吸い込まれてゆく。戸惑ったまま立ち尽くしていたダンがようやく口を開いた。 「......分かるのか?」  その言葉にジョアンの唇が皮肉そうに歪んだ。ハッと息を吐きながら首を横に振って窓の外を見た。丸みを帯びた額の繊細な曲線が夜に溶け込んでゆきそうだ。 「分かるわけがないだろう。平然と果物を買って帰るくらいだから......獣人のΩではないんだろうと思っただけだ。」    棘のある言葉に一瞬反応したダンの身体がゆっくりと息を吐くのが見えた。それから、一歩一歩近づいてくる。覚悟を決めたようにも見える足取りにジョアンは最悪の状況を考えていた。  最悪? いや、実は望んでいることじゃないのか?  答えのない自問には慣れていた。いつ来るか分からないなら自分で引き寄せてしまえばいい。物事には終わりがあって、これまでも何度も経験してきたのだから。  なのに現状にしがみついていたいのは、腹立たしいほど自分を大切にしてくれる目の前の男のせいだ。  視界が陰った。直ぐ近くに立つダンの大柄な身体が光を遮っている。表情が読みにくいのは逆光で暗くかげっているせいばかりではないだろう。目を反らしていても分かる程の強い感情の圧にジョアンの身体は勝手に震え出した。

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