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第21話

 微かに震える肩にダンの中でジョアンへの愛しさがつのる。  ジョアンが恐怖を感じていることには気付いていたけれど、ダンはそこからどかなかった。傷つけるつもりも怖がらせるつもりもない。でも少しずつでも慣れていかなければ永遠に平行線の上を歩いて行くことになる。だから手を伸ばし、そして手を止める。お互いに触れあうことを想像する。距離は少しずつ縮まっている、そう思っていた。  でも今日は、頬の横で躊躇っている指をみてジョアンの顔が歪んだ。 「セトに触れた手で俺に触るな。」    きっぱりとした声だった。顔を上げ、真直ぐにダンの目を見つめる緑の瞳は怒りに揺れている。    ダンとセトとは昔からの知り合いで恋愛感情はない。少なくともダンは一度もそんな気持ちを持ったことがなかった。ただ、気のおけない関係の延長線上で身体を繋げることはあったし、今回もそのつもりだった。ゆめゆめジョアンの気持ちを逆なでするつもりはなかった。  だから、軽く考えすぎていたのかもしれない。  ジョアン自身が決めない限り物事が動かない状況に閉じ込められていることがどれだけ本人を追い詰めていたのか、ダンは見誤っていた。  首筋にかかる黒い髪が繋ぐことのできない指の代わりに絡まる先を探している。その艶やかな小さな一束摘まんであやすように弄ぶと、ジョアンはやめろと言わんばかりに腕を振って顔を背けた。ようやくその真剣な怒りに気が付いたダンは、椅子に腰かけるジョアンの前に膝まずいた。  くすんだ緑の瞳は、まだこちらを見てはくれなかった。 「悪かった……ここに連れてきてから心では何度もお前を抱いていた。この身体で抱きしめる代わりに何度も自分を慰めていた。  だけど俺は自分の衝動を抑える自信がなくなってきた。  ジョアン、俺は人間のΩのお前のフェロモンに反応している。お前は発情期でもないのに狂おしくてしかたないんだ。夜の(とこ)で寝ているお前の肌に何度手を触れたことか。  セトは......あいつは俺達のことをよく分かって」  言い終わらないうちに叩きつけるように言葉が返ってくる。 「だからなんだというんだ! やりたいときはあいつとやるから黙ってろとでもいうのか!」  いつも斜に構えて本音を言わないジョアンの思いがけない強い口調にダンは怯んだ。 「……違う、違うんだ。馬鹿なことを言って悪かった。番のいない発情期を迎えて辛くなるのはお前の方なのに。」  ジョアンの顔から荒々しい表情が消えていった。 「いいんだ、そんなことは。  番のいない発情期がくることよりも、目の前のお前に触れることができないことが俺は辛い。お前に抱かれることすらできずにここでただ待っていることが辛いだけなんだ。」  独り言のような呟き。さっきと打って変わって、ジョアンの声は虚空に放り出されたまま行き先もなく消えていった。  椅子から降りて手近な布を取り、庭に通じる扉に向かって歩いてゆく。振り返ることなくジョアンがつぶやいた言葉は、追いかけようとしたダンを拒絶する。 「来るな、今夜は一人で庭で寝る。」  机に置かれた果物が食べられることはなかった。  傷んだ実はあっという間に周りの実をダメにしてゆく。机に置かれた果実からは甘い汁がにじみ出て天板に染みを作っていた。夜の涼しい風が部屋の中の空気をかき混ぜては連れ去ってゆく。  朝になればそれは誰かの手によって拭き清められるだろう。机は、はじめからそこに果物などなかったかのように、燦然と日の光を受けるのだ。

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