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第22話

 庭で一人寝した日からジョアンは変わった。表面的にはまた同じ(とこ)に入ったり、いつものように会話するようになっていたのに心がおろそかになっていた。しかし初めて会った時の投げやりな感じとも違う。  何を考えているのか聞き出そうとしたが、ジョアンははぐらかすばかりで何も答えてくれなかった。ただ、留守中に懲りずにやってきたセトとは怒鳴り合いの喧嘩をした後、また話をするようになったらしい。  違和感を抱えたまま日々は過ぎていった。  月が満ち、その身を(そが)がれてゆくばかりになったある夜、ジョアンは中庭で一人酒を飲みながらダンを待っていた。  透明な器に入った酒に水を加えると、さっと白濁して手の中に月光を透かす雲が生まれる。今年出来立ての酒の香りを楽しみながら靄を均一にしようとグラスを回した。ぞんざいな手つきのせいで器から溢れる液体が指を濡らしてゆく。  揮発する酒精のせいで指先は冷んやりと気持ちがいい。その一方で杯を空けるたびに体温は上がり身体が濃くなってゆく。獣人の好む植物(ボタニカル)を漬け込んで匂い付けしたこの酒を飲むと自分の身体が獣人に近づいてゆく気さえした。  透明な液体が瓶の半分あたりまで減ったころ玄関の扉が開く音がした。ようやくダンは帰ってきたようだ。  静かな家の中でジョアンを探し、少し早足で庭に続く扉を開けたダンの目に、頬杖をついてグラス越しに自分を見るジョアンが映った。  酔いに任せて残った液体を飲み干す動きも月下のとろりとした光のせいか官能を感じさせさえする。  重症だな、と苦笑をするダンにジョアンは机にしなだれていた身体を起こして手を振った。 「待ちくたびれた。お前も飲むか?」  ダンは軽くなった瓶を手に取り、ぼんやりとした輪郭で自分の顔をじっと見る瞳に微笑みかけた。 「ずいぶん飲んだな。」  ふふと笑い、ジョアンは唇の端に零れた水滴を舐めた。月の光の下でもわかるほど潤んだ目、柔らかい曲線を描く口。自分が手に入れた相手はつくづく美しい。理性が本能に押し遣られて眩暈を起こしそうになる。  酒のせいか、少し離れていてもジョアンの甘い香りが飲み物の匂いに混ざって漂ってくるのだ。違う、これはおそらくジョアンの発情周期のせいだ。まだ月が満ちたばかりだというのに、番がいるというのに、こんなにも強烈に誘いかけてくるのかとダンは驚いた。 「ダン、頼みがある。」  ジョアンがダンに求めた。その声には涼しい夜の風を喜ぶ葉ずれのような響きがあった。 「何だ。」 「薬を手に入れて欲しい。俺はもうこれ以上待てない。」  薬という言葉にダンは反射的に身体を緊張させた。  番解消治療のための薬だ。予想してなかった訳ではない。心のどこかでそれ以外にジョアンを今の番との(ばく)を断つ方法はないと思っていた。でも、調べるほど今のジョアンが損なわれる可能性の高さに困惑するばかりだった。 「セトは先のことは自分で決めろと言った。俺は、お前さえ良ければ番になりたい。嫌か?」  ダンは即座に首を横に振る。嫌なわけがない。それは、答えずともジョアンには伝わっているはずだ。 「……この前のことを気にしているのか?」 「当たり前だ。思い出すだけで心が焼けて死にそうだ。  俺は何もできないことよりも、自分が何もしていないことが辛い。  人の町を離れることを選んだ。これも自分で選んだことだから賛成して欲しい。どのみちこのままお前に触れることすらできないまま発情したら、地獄だ。」 「ここは……地獄か。」  ジョアンを攫ってきた負い目、番がいるせいで身動きのできない歯痒さ。全てがないまぜになって気持ちに(もや)がかかってゆく。どこかで決めなければこのまどろみのような時間にも終わりがくるのだ。 ジョアンの発情期がその一つだ。   「寝てる間に俺に触れていたんだろ? 起きている間もお前に触れることができるならば、天国になる。」  花弁をほどくようにジョアンの顔に微笑みが広がっていった。

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