24 / 30

第24話

 Ω特有の華奢な骨格と細い腕。皮膚の薄い肘の内側を晒して、ジョアンは寝椅子に身をゆだねていた。しっとりとした褐色の肌は窓から入る光を跳ね返して白く輝いている。  ダンは黙ったまま手を清め、ジョアンの肌を消毒してくれた。  並べられた器具を見ていると忘れていた光景が断片的に頭の中に蘇ってくる。以前同じ薬を目にした時は、何を考えていたのだろうか?  ある日突然最初の番の相手から「後見人が変わる」と告げられた。その時の相手が好きだったわけでもないけれど、急な話で不安になった。なのに、「次の相手はジョアンのことをとても気に入っているから、発情周期を無視してでも早く番を解消したいだろう?」と言われた。あの時自分は頷いたのだろうか?  閉じ込められた部屋は真っ白で何も置いてなかった。暴れまわって落ちて怪我しないようにと床に敷かれた(とこ)の上に寝かされて、不機嫌そうな医者に腕を掴まれたっけ。  今は目の前に獣人のαがいる。小瓶の中の液体を慎重に注射器に吸い上げている。真剣な表情から、自分よりも緊張しているのが伝わってくる。何かあった時に対応できるようにずっと家にいると言って、仕事は人に頼んで全てを準備してくれた。  どうして自分のためにここまでしてくれるのだろうか。そう言えば一度もその理由を聞いたことがなかった。とりとめのない疑問が頭の中に浮かんでは、答えのないまま消えてゆく。   今から数日後に、自分はこの男を抱きしめることができるのだろうか。二度と他の獣人に匂いを付けられぬよう繋ぎ止めておくことができるのだろうか。 「怖いか?」  注射器の先を見たまま逡巡するジョアンにダンが声をかけた。 「いや。ただ、どうしてお前がここまでしてくれるのかと考えていた。」  その言葉にダンは目を丸くしてかたまり、噴きだして笑った。 「ふっ、あははははは......はははっ......全くお前は。」 「何だよ。」  つられてジョアンも笑顔になった。 「そういう所だ。こんな時にも揺るがないお前の心が愛しい。」 「心だけか?」  揶揄うような言葉に、ダンは慎重に顔を近づけた。数日前より確実に匂いが強くなっている。身体に直接揺さぶりをかけてくるそのフェロモンを味わいながら、今すぐにでも抱き寄せたい気持ちを振り払った。 「早くそのおしゃべりな唇を塞いで、一晩中お前の身体と戯れたいに決まっている。」  間近で視線が絡み、柔らかく結ばれてはほどかれる。優しく温かい波が二人の間を行き来するようだった。天井を向いて目を閉じたジョアンが、一つ深呼吸して小さな声で言った。 「そうか......誰かを手に入れたいというのは、こういう感じなんだな。これまで俺を手に入れようとして来た人の気持ちが今分かった。俺は、お前を自分のものにしたい。」 +++  「ジョアン、始めるよ。拳を握って。」  針の先に膨らむ水滴に、記憶にない過去の自分が反応する。急に走り始めた心臓に身体が逃げ出しそうだ。揺るがないわけがない、怖くないわけがないのだ。  こぶしを握りこんで血管を浮き立たせる。布越しに腕を押えられた感触に今はまだ叫び出しそうになる。  そう、今はまだ。この苦しみを越えれば、きっと。

ともだちにシェアしよう!