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第27話

 触れてくれと願うのに、大きな手は自分の頼りない手の内で迷っている。ジョアンにはその理由がよくわからなかった。  ダンの名を呼ぼうとした時視界が陰った。横に座っていたダンが半身を乗りだしてジョアンの顔の脇に手をついた。濡羽色の瞳の奥で燃えるような光が揺れている。  以前同じことをされた時は鳥肌が立つほど嫌悪したのに、今はその頭をかき抱きたいとさえ感じる身勝手さ。それを望むのは身体なのか心なのか。どちらでもいい、と鷹揚に肯定するとまた身体の奥で熱が上がる気がした。  見上げた先にはダンはいる。うっすらと寄せられた眉根、切なげな眼もとには色気が宿っている。なのに、何を迷っているのだろう? 「ダン?」 「ジョアン、まだつらいか? 我慢できないほどか?」  質問の意図がとっさに理解できずに、ジョアンはぼんやりした顔でダンを見て首を傾げた。  自分を見つめる灰色がかった緑の瞳の子供のような無垢さが歯がゆくてたまらない。ダンは苦悶に満ちた表情で歯を食いしばるように言った。 「そうか......まだなんだな。」 「なにが?」  部屋には夜の香りが満ちている。否、そう思っていたのはジョアンだけだった。さっきの眩暈とは違う、酩酊を呼び起こすその匂いは、ダンが近づくと同時に強くなってジョアンの頭の芯に響いてきた。 「…...ああ、いい匂いがすると思ったら。お前だったのか。」  ダンは何度も(まばた)きしてその言葉を反芻した。その意味が固く乾いていた気持ちを甘く湿らせてゆく。  口に入れ、唾液に触れた瞬間にほろほろと溶ける粉菓子のようにジョアンは微笑んだ。花はほころび夜に溶けてゆく。  初めて発情期を迎えて以来ずっと番がいたジョアンにとって、他人のフェロモンを嗅ぐのは久しぶりだった。  獣人のαがこんなに艶やかで饒舌に誘いかける匂いを放つとは想像もしていなかった。そもそも人間である自分が獣人のフェロモンに反応するかどうかも分からなかったのに。  怠く重い両手を上げて、ダンの顔を縁取る髪に触れた。  自分の髪とは違い、かたくうねる感触にすら心の芯が鈴のように響き始める。ダンの髪をかき乱すジョアンの震える手が「愛おしい」と告げている。 「我慢できるのか?」 「今まで散々我慢してきたんだ、これ以上我慢することなどあるものか。」  その一言にダンの身体を押しとどめていたものが崩れた。  ジョアンの視線を受け止めたまま、意を決したようにゆっくりと息を吐く男の顔はもう欲望を隠そうとはしなかった。  頬を撫で、手を滑らせて耳の輪郭を辿り、そのままうなじに触れる。夢の中とは違い、そこに残る二つの噛み痕を指先で辿ると、ジョアンは顎を上げてうっとりと目を細めた。喉元に唇を這わせ、鎖骨を舐める。そして、最後となる噛み痕をつける予定の場所にダンは何度も口付けた。    背筋を伝わって下りてゆく感覚は、ジョアンの身体の奥の忘れかけていた傷から血を洗い新しい蜜を溢れさせてゆく。

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