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第9話
夜中に言い様のない寝苦しさに目を覚ました真也は、隣に寝ている赤松の姿に驚いて飛び起きた。
辺りを見渡し、ここが赤松の寝室であるという事、昨夜部屋で飲んでそのままここに泊めてもらっているのだという事を思い出して小さく息を吐いた。
背中を向けていたはずの赤松がこちら側に身体の向きを変えて、相変わらず静かな寝息を立てている。
「……呑気なオッサンだな。俺に喰われねぇかとか考えないのかよ」
真也がゲイだと知っても赤松は全く態度を変えなかった。それどころか同じ部屋、同じベッドで寝るなどとんだチャレンジャーだ。
けれど、そういうおおらかなところもこの赤松という男の人間的魅力。
“くろかわ”で出逢って何の因果か関わりを持つことになって。
知り合ってまだ数カ月。真也が赤松について知っていることと言えば、あの店の常連で、三十七歳バツイチ、現在このマンションに一人暮らしというその程度の情報だけだ。
ここ最近、頻繁に飲みに行く程度の付き合いこそあれど、この男についてほぼ何も知らない。
マイノリティーである自分を同族以外の人間に悟られないようして生きてきたはずなのに、どうしてこの男の前ではそれをあっさり認めてしまったのだろうか。
「……」
自分でもよく分からない。
「……ん」
その時、モゾモゾと隣で寝ている赤松が動いた。ビクッとしてそちらを見ると、赤松が眠そうな訝しげな目で真也を見ている。
「何だ? 慣れんトコで眠れんのか?」
赤松の声が少し掠れた。
「そんなデリケートに見えます?」
「見えるよ。おまえ、強がってるとこあるけど、結構繊細なタイプだろ?」
「……は」
「今日……あ、いや昨日か。飲みたい気分なんて言ったのも、泊まるなんて珍しいことしてんのも、それなりの理由があったんだろ?」
「……」
確かに理由はあった。友和と別れて、一人になって。
新しい相手を見つけようにも、負った傷は意外にも深くて。
けれど相変わらず復縁をせがみ連絡を寄越す友和に嫌気がさして、でも友和と過ごした楽しかった時間が全て風化してしまうほどの時が流れたわけでもなく、未だ古傷は疼く。
今夜は一人になりたくなかった。赤松の誘いは、真也にとって渡りに船だったのだ。
「よく分かんねぇけど。うだうだ考えてないで、寝ろ。ガキンチョが」
そう言った赤松が真也の腕を掴んで、強引に真也の身体をベッドの中へ引きずり込んだ。
そのまま上からボスっと乱暴に布団を掛けられ、なぜかすっぽりと赤松の腕の中に入れられた。
「……え。なんすか、この手」
「子供とか、こうやってやるとすぐ寝るだろ?」
「俺、二十三ですけど」
「俺からすりゃ、まだまだガキだよ」
思いの外、屈強な赤松の腕の中は、照れくさいやら恥ずかしいやら。心地悪い訳ではないが、むず痒いことこの上ない。部屋が薄暗くて良かったと心から思った。
赤松の腕の感触や密着している匂いに心臓がやたらバクバクしてせわしないのに、真也はそこから逃げ出してしまいたいとは思わなかった。
「ほーら。ねんねしな」
少し茶化すように笑う赤松の声が、暗闇のなか至近距離で響く。
「……殺しますよ」
「ははっ、怖ぇえな」
「つか。あんた分かってます? 俺、男相手に性的興奮湧く人種なんですけど」
「ははっ。それは怖くねぇよ。灰原くらいなら力で負ける気しねぇし」
確かに、腕っ節という意味でなら赤松の言葉に納得できてしまうのだが、言われっぱなしなのはなんだか悔しいという思いが湧きあがり、真也も負けずと言い返す。
「寝てる間に、襲うかもしれないっすよ?」
「……相手は誰でもいいのかよ」
赤松が呆れたようにフッと笑った。
「時と場合によります。……興味あるなら試してみます?」
口に出してから、しまったと真也は思った。
相手はノンケ。いくらゲイである自分を否定しなかったからといって、そういう欲を向けられる事に嫌悪感を抱かないわけはない。
「──っは! 冗談っすよ、冗談!!」
咄嗟にそう誤魔化した。
「マジに取んないでくださいね。俺にだって好みはありますし。あんたがあんまりガキ扱いするんでムカついただけです」
背中を向けたまま、自分の身体にまわされた赤松の腕を引き剥がそうともがくと、赤松がさらにその腕に力を込めた。
「──ちょっ、と」
「おまえどっちよ? 普段抱く方? 抱かれる方?」
「は? ……何言ってんすか、冗談だって言ったでしょ」
「俺は抱く方なら男もいけるけど」
真也はそう軽く言い放った赤松を驚きの表情で振り返った。
「おいおい。なんつー顔してんだよ。クール灰原どこ行った?」
「あ、あんた……」
「別に驚くような事じゃねぇだろ。たまたま、そういう人間っつうだけのことだ」
ああ。そうか。あの言葉は真也に向けられた言葉ではなかったのだ。
この男そのものの価値観、倫理観がそのまま口を付いて出ただけのことだったのだ。
「おまえは、どうしたい?」
赤松の手が真也の顎にそっと触れる。
「何かを忘れる為にこの身体が必要なら、利用すりゃいい。おまえにそれが出来るなら利害は一致してるっつーことだろ?」
これは悪魔の囁きか。
この男はどこまでも真也の予想の斜め上を行く。
赤松は黙ったまましばらくこちらを見ていたが、やがてフッと小さく笑うと真也の頭をクシャッと撫でで背中を向けた。
「まだ外は真っ暗だ。……明日は休みだ。ゆっくり寝ろよ、な?」
「……」
今なら、言い訳ができるかもしれない。
あの夜は、酷く酒に酔っていたから。あの夜は酷く人恋しかったから。あんたが妙に優しいから──。
真也は、たった今離れた温かな赤松の肩に手を伸ばした。布越しでも分かる適度に締まった筋肉に覆われた大きな背中にしがみつく様に身体を近づけ、その首筋に唇を寄せた。
「本当に利用させてくれるんですか?」
「どうせ誰にも必要とされてない身体だ。おまえに貸すくらいワケねぇよ」
赤松がゆっくりとこちらを振り向きながら答えた。
「……優しくして欲しいのか? それとも激しくして欲しい?」
そう言った赤松の顔がゆっくりと近づいてそっと唇が重ねられる。思ったよりその唇はとても柔らかくて、ほんの少しのワインの香りとミントの香りが真也の鼻を掠めた。
赤松は見掛けに寄らず、優しいキスをした。何度も何度もその感触を、味を確かめるように。
「……ん、ぁ、ちょ、赤松さ」
いつの間にか着ていたシャツはたくし上げられ、一旦離れた赤松の唇は今度はゆっくりと首筋に落ち、鎖骨を舐め上げ、落ちた唾液ごと真也の胸に吸い付いた。
やばい。気持ちいい。なんだこれ。この男相手に、こんな──。
「……で?どっちだよ?」
「──は」
「優しいのと激しいの」
この男が、どんなに優しく自分を抱くのか。この男がどんなに激しく自分を抱くのか。
見てみたいと思った。
「──どっちも、してよ」
「……はは。元が図々しいやつはとことん欲張るなぁ」
「利用していいって言ったの、そっちだろ」
そう言って今度は真也から唇を重ねる。
今は少し欲張ってみたい。この男が自分をとことん甘やかすなら、思いきり我儘に、欲しいままに──。
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