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第12話
ウワサ拡大に拍車をかけたのは、次の日のことだ。三時間目にあった体育でそれは起こった。
「今日は持久走な〜」
体育の荻野がストップウォッチを掲げてそう言った。生徒たちはえぇ〜、と不満の声を上げながらもスタート位置に立っている。俺も持久走に自信はないので不満の声を上げておいた。亜久津はブンブンと腕を振って準備運動に励んでいて、「負けねぇからな!」と冬馬に勝負を挑んでいる。冬馬も冬馬で亜久津に負ける気はないらしく、亜久津を睨みながらスクワットをしている。二人とも元気だなぁ、と思いながらその様子を見ていると後ろから内海が「あっ、あれ横井先生じゃない?」と声をかけてきた。
「えっ…」
たしかに、運動場の端に見えるあの白い塊は横井だ。ひらひらと手を振られたが、俺は振り返さずに無視した。
「なぁ鹿山、あのウワサって本当なの?」
俺の代わりに内海がひらひらと手を振り返している。内海は俺のことを鹿山、と呼んでくれる数少ない友人の一人だ。初日から何か問題を起こしていたらしいので、危ないやつかと思っていたが比較的温厚で優しい。俺と昼飯食おうよ!!!!!とうるさい亜久津を避けて内海とご飯を食べている。
「ウワサって、何が?」
とぼけるようにそう言ってみせれば内海があははと笑った。
「それ誤魔化してるつもりなの?」
「誤魔化されて…くれない?」
「えぇ〜、教えてくれてもいいのに」
ひらひらと振っていた手を止めて内海が不満そうな顔でこちらを見る。
「亜久津から聞いたんでしょ、ウワサは」
「聞いたけど…やっぱり本人から直接聞きたいじゃん」
悪戯っ子のような笑みを浮かべて内海が言うので、俺は少し考えたあとに「俺もわかんないからなぁ」とつぶやく。
「キスされたのにわかんないの?」
「その時俺意識失ってたから、本当に知らないというか」
「じゃぁ横井先生は鹿山の寝込みを襲ったってこと…?」
信じられない、という顔でこちらを見るので俺は戸惑いながら小さく頷いた。
「持久走始めるぞー!!男子は1500メートルだからこのトラック五週したやつから終わってよし」
大きなストップウォッチの前に立っている萩がそう叫び、よーいどんと掛け声をあげる。話をしていた俺と内海は一瞬で遅れたが二人並んで走りだした。
「正直嫌だった?」
運動が得意ではない俺にわざわざペースを合わせて隣で走ってくる内海はまだまだ話し足りないようで、質問を投げかけてくる。
「だから、されたどうかもわかってないんだって」
「もしされてたとしたらどうすんのって話だよ」
…嫌じゃないに決まってるだろ。あの人顔良いし。とは勿論言えなかったが、すぐに回答ができない俺を内海がふぅんと意味ありげに言った。
「からかってるだけだと思うけどね、立場だってあるし」
本当にキスされたなんて思っていない。きっとあの人は俺の反応を見て楽しんでいるだけで、保健室に毎日来いというのもただの暇つぶしに過ぎないのだ。真に受けたら一番しんどくなるのが自分だとわかっている。
「横井先生よく見たらイケメンだもんね、男同士だけど俺も気持ち悪いって思わないかなぁ」
半周過ぎたところでもう息が上がっている俺の隣で涼し気にそう言ってのけた内海が段々ペースを上げていく。もう話は終わったということか、このやろー。対抗して俺もペースを上げようとしてやめた。はっはっ、と息を荒げて深呼吸するように空気を吸い込むと、走って舞った砂が喉に直接刺激して咳が止まらなくなったからだ。
「ゴホッ、ゴホッ」
「おぉ~、大丈夫か?ミホちゃん」
苦し気に何度も咳を繰り返す俺の肩をぽんと叩いたのはすでに二週目に入った亜久津だ。亜久津も疲れを見せない顔ですぐに俺を追い越していった。
やっとの思いで一周を走り終えて、タイムを確認しようと顔をあげればまた運動場の端に横井が立っているのが見えた。俺の視線を受け取ってすぐにひらひらと手を振ってくる。振り返すつもりなど微塵もないが、腕を上げる気力もない。春休みに自宅から全く出なかったので体力が著しく低下しているようだった。気づけば他の人と大きな差を付けられている。
「ゴホッゴホッ」
一度クセになった咳が止まらず、ぜぇぜぇと上手く息が吸えない。やば、と思った途端見知った感覚が襲ってくる。ヒュ、と喉から変な音が鳴った。
カクン、と足に力が入らなくなって視界が反転する。膝に激痛が走って顔を顰めると、頭上からプリンセスッ、と焦った横井の声がした。プリンセスって呼ぶんじゃねぇよって思いながら意識が飛んでいく。
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