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第22話
廊下に出ると、運悪く母親とばったり顔を合わせてしまった。明らかに眉をひそめたことがバレたらしく、文句を言うためかペタペタと早足でこちらに近づいてくる。
「三保、早くウワサを撤回しなさいよ」
長い巻き髪の先をクルクルと弄りながら母は告げた。髪の毛をクルクルさせるのは母のクセだ、しかも機嫌がよくないときのクセだ。ウワサの撤回、って言ったってもう学校中に駆け巡ったウワサを消すには一人ずつ違うんだよ、と言いに行くしかない。高校にはそれこそ何百人の人がいるだろうし、そんなの無理だ。横井だって、ウワサを撤回しようとは微塵も思っていないみたいなので俺一人でするしかないのだ。もちろん罪悪感を抱いている蓮も手伝ってくれるだろうが、そんなこと頼みたくはなかった。
「ただのウワサでしょ」
どうしてそんなこと気にしているの、と母を見つめると俺のその対応にもっと苛立ちを感じたらしい母は腕を組んで俺を睨んだ。
「三保。男と付き合うなんてそんなくだらないことやめなさい」
「…付き合ってないってば。それに、くだらないって失礼だよ」
「三保、あなた本当に」
「だから、違うって言ってるでしょ。一体誰から聞いたのさ」
「…平江よ」
それだけ聞いた俺は母に背を向けて廊下を歩きだす。俺が貧血で倒れたり早退したときに学校側から連絡があったらしいし、もしかしたら平江はそこで大まかなウワサを耳にしたのかもしれない。味方だって言ったくせに。
洗面所へは向かわずに、平江の部屋へと足を運んだ。一階の離れに使用人用の建物があって、その中でも一番端の部屋が平江の住む部屋だ。使用人は全員出払っているらしく、建物の中はしんと静かだった。平江、と書かれた扉のノブを回すと鍵もなくあっけなく開いてしまった。
「…平江?」
いないとはわかっていたが、一応名を呼びながら中の様子を確認する。平江らしく中はかなり綺麗に整頓されていて生活感がないくらいに物が少ない。クローゼットを開いても、中にあるのは数着のスーツのみだ。幼い頃、両親が喧嘩しているのを聞いたときは平江の部屋によく逃げ込んだ。彼は怖がる俺を優しく諭して「三保さんなら大丈夫ですよ」と言葉をくれた。
そういえば、平江の誕生日に折り紙で作ったクジャクはどこに行ったんだろう。俺が小学生の時に平江に渡した気がするのだが、ずっと部屋の中央に飾られていたので恥ずかしくて俺が「いつまで飾ってるの」と言ったら「三保さんから頂いた大切なものですよ。ずっとに決まっています」と笑顔で答えられたような。別に探すつもりもなかったが、なんとなくデスクの一番上の引き出しを開くと驚く光景が視界に広がった。
「えっ…」
無数の写真。しかも、俺の。引き出しの奥にはちゃんと俺があげたクジャクも入っていたが、優に千はこえるだろう数の写真がそこにはあった。震える手でその写真を手に取ると、全てカメラ目線ではないことに俺はごくりと息を呑む。嬉しそうにハンバーグを頬張る俺、眠そうな顔でシャツのボタンを留めている俺、リビングでテレビを見ながらうとうとしている俺、そして脱衣所で服を脱いでいる俺。思わず寒気がしてすぐに引き出しを閉める。キョロキョロと辺りを見回して、誰もいないことがわかってから俺は平江の部屋を飛び出した。
自分を落ち着かせるために、洗面所でしっかり顔を洗う。ゴシゴシと目を擦って、歯磨きもする。顔も口もさっぱりしたのに、頭の中は靄がかかったように晴れなくて、それを誤魔化すために俺はぺチン、と自分の頬を叩いた。
「三保さん、大丈夫ですか?」
頬に手を当てたまま、突っ立っていると後ろから声が掛かった。鏡越しに見える平江の姿に、俺は無意識のうちにヒッと小さく悲鳴を漏らす。
「へ、平気」
「そうですか?顔色が優れませんが、また体調でも崩されたのかと」
心配そうにこちらへ近づいてくる平江に、俺は一歩後ずさった。平江に写真を撮られた覚えなどないし、ましてや両親に思い出に残そうと写真を撮られたこともない。だからこそどうしてあんなに俺の写真があったのかが不思議で、不気味だ。
「…三保さん?」
「べ、つになんでもないから」
「そうですか?」
平江に背を向けて、縮こまった俺は顔を見られないように濡れた頬を拭くようにタオルを顔へと覆った。
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