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第2夜

「またあの子のところへ行くの」  姉に言われて俺はこくんと頷いた。 「本当にこうちゃんのことが好きなのね」  俺は言い募る。 「でもこうちゃんは俺のこと好きじゃないみたいなんだ。」  そう不安そうにいうと優しい姉はぎゅってしてくれた。 「いい?大切なのは自分の気持ち。相手を好きだという気持ち。」  俺は頷く。 「わたしもね、好きな人ができたらあなたに真っ先に教えるから。」  ちゃんと大切にするのよ?、と姉は笑った。  康介は寝てるときは無防備な顔になる。安心しきったような、全てを信頼されてるような、そんな顔。ヒロは鼻をつまむ。 「どこで覚えたんだよ。そんな高等技術。」  康介は「んん」、と唸った。ヒロはため息をつく。 「俺以外に誰にもみせんなよ」  そういって掻き抱いても、康介は一向に起きる気配がない。無防備にもほどがある。 「俺のこと、好き?」  聞こえてないと分かっていても聴いてしまう。康介はにへら、と笑った。鼻をつまんでさすがに起きたか、と身構えると案の定だった。 「俺が好きって言ってもヒロの好きはいっぱいあるから」 「いっぱいってなんだよ」  ヒロが不服そうにいうと、康介は目を開けた。 「俺だけ好き?」  康介がそう言うとヒロは間髪入れず答えた。 「勿論」  そう言うと康介はケラケラ笑う。 「嘘だろう」  ほらね、信じてくれない。ヒロは内心ため息をついた。 「なにをいったって通じないよ。康介には。」  康介は考えた風に唇に手をやる。 「あんたさ、きのこの山とたけのこの里、どっちが好き?」 「は?」 「だからどっちが好き?」 「どっちも好きだけども…」  ていうかそれは褥を共にしたあとにする会話なのかヒロには分かりかねた。 「俺ね、いっつも思うんだ。きのこもたけのこも選べないならロジェのチョコを選べば良いじゃないって」 「パンが買えないならお菓子を食べればいいじゃない?」  「そこまでいってないだろう」と不服そうな顔に口付ける。そうすると康介は黙り込む。 「目玉焼きは何個?」 「パンの数だけ」  そうして俺たちの月初めは始まる。 「ヒロさん恐いっす。殺気だって」  後輩にそう言われて俺は我に返る。 「すまん。つい癖が出た。」 「なんの癖すか」  そういう後輩は壁ぎりぎりまで身を寄せて距離をとっていた。よっぽど恐かったらしい。 「いやなに。康介が珍しく飲み会らしくてな。それは良いのだ。」 「はぁ…」  俺の康介自慢に飽きたらしい後輩はそれであっさり受け流す。 「飲み会にな、康介目当ての女が紛れ込んでるからに決まってるからな」 「根拠のない論理展開はやめてください。」  どん引きな後輩は放っとく。 「俺は康介を信じているが、何しろ康介は隙だらけだからな。」  「知らないんでその殺気、仕舞ってください!」という後輩に俺はにこやかに言った。 「今GPSで位置を特定してるのだがどうもおかしくてだな。」 「そりゃ俺も彼女にそれくらいしたことありますけど。」 「なぜ今、歌舞伎町の漫画喫茶などに康介がいる?」  二人で顔をあわせて首をひねった。  仕事を終えて帰ってくると、康介はいなかった。いつものことだ。問題ない。康介の用意してくれたご飯を少しつまんでから、風呂に入ってさっさと寝具に納まった。  昨日、康介に何があったか知りたい。そのために今日は休みにしてもらった。普段から業績に貢献を挙げているとこういうとき助かる、と思った。 ドアのあける音で目を覚ます。いつもこの時間帯に帰ってきてたのか。玄関で出迎えると驚いたように「仕事は?」と聞いてきた。 「休みをもらった」  いささか康介は眉を寄せる。 「どうして」 「お前、昨日どこにいた」  康介が黙り込む。 「なに怒りたいわけではない。知りたいだけだ。」  また沈黙。 「話さないなら話さないまでだ。手段に移らせてもらう。」  エネマグラを取り出すと康介は真っ青になった。 「分かった!言う言う!」  「うむ」と頷く。気まずそうに康介は口を開いた。 「その前に聞かせてくれ。どこにいたってなんで…」  場所を知ってるんだと言いたそうに口を濁す。ヒロは「GPSをつけている」と堂々と言った。 「じ、GPSつけてんの…」  まぁしょうがないか、と康介は思った。彼女と付き合ってた頃、俺もよくやられては問い詰められた。 「恵さんから呼び出しがあって」  ヒロは首を傾げる。 「恵さん?」 「俺の、母親。」  沈黙。 「それで?」 「恵さんが歌舞伎町に行きたいと。、」 「康介のお母さんがなぜ歌舞伎町に?」  言いづらそうに康介は口を割る。 「ヒロと…、付き合ってて相手男性なんだって言ったら心配しちゃって。お前の店に行って顔見たいから、漫喫で待っててくれって」  ヒロが慌てた。 「なんでそういうことを早く言わん!」 「いや、だから、恵さんが言うなって。」  途端落ち着きがなくなったヒロは、おろおろし始める。 「そ、それで康介のお母さんはなんと言っているのだ」  康介も戸惑ったように「いい男だけど百合や杏菜にとられないようにね、って」 「百合?杏菜??」  康介は顔を背ける。 「俺の、姉貴」  「そ、そうか。」とヒロは動揺した。 「俺たちの仲は認めてもらえただろうか」 「格好いい彼氏ね、って。」 「それだけ?」  こくん、と康介は頷く。 「言ってくれればドンペリかシャンパンの一本や二本、…はぁ。」  ヒロはため息をついて、康介にもたれかかるように抱きついた。 「杞憂で良かった…」 「お前なぁ」 二人で久々に晩飯を共にする。今日はヒロが作るのを申し出た。謝罪の気持ちの表れらしい。 「その、百合さんとか杏菜さんはどういう人なんだ?」  ご飯を炒めながらヒロは聞いてみる。途端、康介はいやな顔をする。 「どうだっていいだろ」 「俺はお母さんのお目通りに適っただろうか…」  冷凍の魚介類をいれて、更に炒める。康介は指輪を弄った。 「ヒロにも姉弟っているか?」 「ああ、上に一人姉がいる」 「苦労するだろ?」  康介は俯いて指輪をいじりながら、しょげたように言う。 「姉は俺の唯一の理解者だ。いつだって味方をしてくれた。」  康介はため息をついた。 「羨ましいわ」 「康介のお姉さん達は意地悪なのか?」 「意地が悪いっていうか、自分勝手というか。」  炒めたご飯を別皿に盛る。卵を適当にほぐした。 「あいつらとは気が合わないんだ。昔から。」  ヒロは眉を下げて「そうか」と言った。 「俺の姉はだな、優しくて可愛くてふんわりした人だった。」 「俺の姉貴達なんか性格きつくてさ、姉妹げんかおこされると俺が引っ張り出されるんだよ」  ヒロはこと、とオムライスをテーブルにのせた。 「出来上がり」 「頂きます」  ヒロの作ったオムライスはやっぱりそつなく美味しかった。  彼岸花の咲く頃だろうか。ヒロが珍しく出かけないか、と言った。俺たちはインドアでいつも楽しんでいたので、デートは久しぶりである。 「ちょっとドライブしよう」  ヒロは職業上、外車を一台持っている。それで遠出をしようという。 「どこまで?」 「なぁに車で一時間かからぬ距離よ」  康介は分かったというと手早く支度した。  連れてこられたのが墓石が連なる、いわゆる墓場で康介はどんびいた。勺と水を片手に歩くヒロのあとを歩く。  ぴたりと足が止まる。 「俺の、姉だ」 「は?」  俺は墓石とヒロをなんども見比べた。ヒロはとても哀しそうな顔をして、墓石を撫でた。 「姉貴、久しぶり」  俺は思わず黙り込む。墓石に手を合わせながらヒロは言った。 「17の秋にな…交通事故で。」  二人で黙って手を合わせて墓周りの雑草を抜いて墓石を綺麗に磨いた。 「姉貴はとても美人でいつも皆の人気者でな」  ぽつぽつと合間合間にヒロは話す。 「好きな人ができて…、俺に嬉しそうに報告してくれてな。その一年後だ。亡くなってしまった。」  俺はずっと黙っていた。 「姉貴、連れてきたよ。俺の好きな人。やっとつかまえた。」  ぎゅ、とヒロを抱きしめた。 「康介から抱きついてくるなんて珍しい。」 「見せつけてんの」  ヒロがとても傷ついた、見たこともない顔をするから。  でもそれは言葉にならず、俺たちは無言で抱きしめ合った。 「そろそろ行こうか。」  俺は頷いて手を離した。その手を取られて抱き返される。 「愛してる。」 「…お、れも。でも」  「姉に聞かせたいのだ。」と耳元で言われて仕方なく「俺も愛してる。」と呟いた。 「永久に?」 「…永久に愛してる。」 「俺は幸せになってもいいだろうか。」 「…」  ぎゅと手を掴んだ。 「当たり前だ。」  ふふ、とヒロは笑った。嬉しそうなつらそうな、なんともいえない笑みだった。 「今度は康介の姉御を紹介してもらわねば。」 「うげ、勘弁してくれ。」  そうして手を繋いで歩く二人を見守るように彼岸花が揺れていた。  それは嵐のようにやってきた。会社に姉から電話がかかってきたのだ。 「百合姉、会社に私用で電話をかけてこないでほしいとあれほど…」 「あんた今年のクリスマスどうすんの」  こちらの意見も聞かず開口一番これである。ため息をつきそうになった。 「今年は帰れないかも知れない。正月には帰るから。」  百合姉は黙り込む。 「あんた男と付き合ってるって聞いて父さんぶっ倒れたわよ。」 「知らないよ。放っといてくれ。」 「良いから一度顔見せにきなさい。いいわね?」  そうして一方的にガチャン、と切られる。康介はまたため息を吐いた。 「クリスマス一緒にいられないかも知れない。」  康介がそう溢すとヒロの飯を食べる手が止まった。 「なんの冗談だ。」 「家族に説明しなきゃいけないことになった。」  ヒロは必死に「それがなぜクリスマスに一緒に過ごせない?」と食い下がった。 「一度帰ってこいって言われて。」 「でも」 「家族にきちんと説明してくる。ヒロと、俺の仲。」  「一応、長男だしな」と言ってラーメンの汁を啜る。何とか時間を合わせて駅前で落ち合い、近くのラーメン屋さんに入った。とはいえ、ヒロはもうすぐ出勤時間だし俺ものんびりしてられない。 「俺も、いこうか?」  康介は「やめてくれ。話が拗れる。」と断った。 「心配だ。」 「大丈夫だ。だめなときは縁切るから。」  「それに恵さんは認めてるんだから」と付け加えると、ヒロはしょぼんとして「そうだな…」と頷いた。 「クリスマスはヒロもかき入れ時で忙しいだろう?どうせ一緒には祝えないんだ。その代わり正月は戻らなくて良いと思うから。」  気まずげにヒロは視線を逸らす。 「どうしたんだ?」  しばしの沈黙のあと、いいにくそうにヒロは口にした。 「無理して休みをいれてしまった…」  お互い沈黙し合う。 「仕事いれてこい。まだシフト変えできるんじゃないか。」  ヒロはすっかり拗ねたようで「康介は俺をなんだと思っているのだ。」とうなだれた。 「恋人だと思ってるよ」  ヒロは「俺も行きたい」とごねたが、さっさと店に送り出し、ラーメン屋をあとにした。  さて、と。時計を見る。スマホをタップして俺は杏菜に電話した。  久しぶりの我が家は特に代わり映えなく、杏菜が子供を連れてきていた。三歳になる祐二くんはよく笑いよく喋る。早速ゲームに熱中して杏菜にお小言を言われていた。 「…で、男性と付き合っているのか、康介は?」  父親はいかめしい顔をして眉根を寄せた。 「はい。」 「分かってると思うが結婚して子供を産まないのであれば祐二を跡取りにする。」 「かまいません。」  恵さんが心配そうにその横で座っている。百合姉は台所でビールを飲んでいた。首を突っ込みたくないらしい。 「財産分与にも関わる話になる。分かってるだろうな。」 「はい。」  親父は苛々とコーヒーを飲んだ。 「あなた、少しきつくしすぎです。男だろうが女だろうがこうちゃんが選んだんですよ。」 「お前は甘やかしすぎだ。」  親父の一言に恵さんはぷう、とふくれた。 「コーヒーのおかわりいれてあげないんですからね」  年の差婚で再婚した二人だから、親父は恵さんに甘い。慌てて親父は謝った。 「あなたはなにがそんなに気に入らないの。格好いい方よ。」 「格好いいとか良くないとかじゃなくてだな」  二人で話し始めようとするので杏菜が割って入った。 「じいじとばあば、喧嘩しちゃったー」  そうして祐二くんを抱きしめる。子供の前でいちゃつくな、とでも言いたげだった。 「…その、だな。康介」  親父は言いづらそうに口を開く。 「本当に分かってるんだろうな」  俺は頷く。 「跡取りは祐二くんでかまいません。遺産の相続権も放棄します。」 「お前にその覚悟があるならいいだろう。」  親父は更に苛つくらしく、恵さんにコーヒーのおかわりを頼んだ。 「俺が親戚中のいい笑いものだ。」  そうこぼす親父の苦味切った顔を、俺は黙って見た。  家に着くとほっとする。ヒロの匂いのする布団にダイブすると風呂も歯磨きも飯の支度さえ忘れて眠りこけた。誰かが髪を撫でてる感触に目を覚ます。 「…ヒロ?」 「あ、起こしちまったか。なんかうなされてたから」  それで頭を撫でてくれてたのか。 「少し、疲れた。」 「カプチーノ、入れようか?」 「いい。」  俺はヒロの背後に回って抱きついた。 「なんだ今日は。甘えたさんだな。」  俺は黙ってヒロの匂いを嗅ぐとまた眠りに落ちていった。  ものすごい美人だった。すらっとした鼻通り、目が知的で口元は賢そう。年は俺より五つは上だろうか。 「あなたがこうちゃん?」  俺は緊張して「え、と」とどもった。 「弟がね、溺愛してるらしいから。ナイショで見に来ちゃった。」  ふふ、と笑う。俺は真赤になってしまう。 「××のこと好き?」  俺はきょとんとする。××君とは友達だからだ。 「好き、だけど」  そっぽを向いて答える。××くんのお姉さんの前でそう言うのは恥ずかしかった。 「仲良くしてあげてね。」  そうして頭を撫でて去っていく。とても綺麗な人だな、と思った。  目を覚ますと、二人で布団に倒れこけててヒロが寝ている。その髪をさらった。  なんの夢だっけ。  勘当を言い渡された俺はもう二度とあの敷居をまたぐことは許されない。俺はヒロにぎゅと抱きついた。  心が苦しいなぁ、とどこか上の空で思った。恵さんに何度も謝られた。あの家で親父なりの配慮をしてきてくれて、結果としてこの道を選んだのだ。  親父の蔑むような目を思い出す。  当然だ、と思った。あれだけ守ってもらって、結局的なところ恩を仇で返した。当然だ。  ヒロの寝顔はすっと鼻筋が通っていて、誰かと重なるのにそれが誰か俺には分からなかった。くあ、と欠伸をすると時計を見た。仕事に行かないとな、と思った。勘当されたのだ。自分の食い扶持は自分で確保していくしかない。  起こさないようにそっと布団を抜け出すと、朝ご飯代わりに牛乳を一杯飲んで、ヒロを起こした。 「起きろ。朝だぞ。」  ヒロは眠たげにまぶたを開いた。「キスして、康介」などというから頭をはたいた。

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