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第3夜

 杏菜はわざわざ金を振り込んでくれたらしい。俺はATMの前でしばし、固まる。こんなに。  息子とはこんなに大事にされるものなのだろうか。杏菜は祐二くんが跡取りなるのがよっぽど嬉しいのか。  それとも俺への当てつけか。  俺は苦味切った顔をして銀行をあとにした。  旅行に行こう、と最初に提案したのは俺だった。お正月はさすがに康介の仕事もない。ヒロは鷹揚にじゃあ予約をせねば、と言った。  どこがいいあそこがいいと二人で話し合い、別府まで足を伸ばすことになった。草津でも良いのでは、というと別府の温泉がいい、と押し切られた。  ホテルについてヒロが貸し切りの露天風呂を申し込んだことを知って、フロントで真っ赤になった。男二人で貸し切り露天風呂とか。俺はヒロの足を踏んだがヒロはにこにこ笑うだけだった。  部屋に上がると早速、ヒロがお茶を入れてくれてまんじゅうを食べる。なにもすることなくのんびりするための二人の時間だ。俺たちはなにをするでもなく寛いだ。  露天風呂でセックスはやめようとあれほど言ったのが、火に油を注いでしまったらしい。結局、燃えに燃えてしまった。シチュエーションに弱いとはおなごみたいだ、と笑われて俺は風呂に浸かりながら真っ赤になった。 「まさか夜もするのか」 「当たり前だろう」  そうして猪口に酒を注いで「もっと飲め」、といわれる。俺は遠慮したが「口移しで飲ませてしまうぞ」という一言に負けてべろんべろんに露天風呂で酔っ払った。 「ヒロぉ」 「ん?なんだ?」  ひっく、と俺はしゃくりかえった。 「抱いてぎゅうしてぇ」  ヒロは笑って後ろから抱きしめて俺の陰茎を撫でた。康介は記憶をなくすほど飲ませると、子供のように甘える癖がある。酒のせいでろれつの回らないのが拍車がかかって、より幼く見える。 「もう出ないろ?」 「だろうなぁ。」  乳首も弄ばれて俺はいやいやをした。 「そこばっかぁ」  ヒロは首を傾げて首筋にリップノイズをさせて口付けた。 「あ、めぇくすぐったいぃ」  おぼつかないろれつで逃げようとする腕力は弱い。ヒロは「ん?クビ弱いのか?」と舐めた。 「ひゃう!」  途端、康介は跳ねる。 「…めぇ。」  涙目で睨み上げられて頭を撫でた。 「駄目だったか?」 「俺くすぐったい言ったもん」  ぺろり、と、首筋を舐め上げる。康介はばたばたと風呂場で暴れて「母さま助けてー」と泣いた。 「ん、恵さんが恋しいのかな」 「恵さん、母さま違う。」 「ん?」  ヒロは頭を傾げた。 「俺の母さま、別の人」  もう康介は、理性がほぼほぼないらしい。そうかそうか、と頭を撫でる。もっと撫でてほしいとつきだしてくるので思う存分撫でた。 「母さまー」  「俺は母ではないぞ」と言い募ると体勢を変えて抱きつかれた。全く認識ができてないらしい。  途中で寝てしまった康介を抱きかかえて部屋に戻ると、康介はすーすー寝息を立てて気持ちよさそうに寝てる。甘やかしてもらえなかったんだな、とヒロは思った。おそらくヒロは子供の頃から甘えさせてもらえなかったのだ。それで酒が入って正体不明になると、甘えたが顔を出す。そういうことだろう。  目を覚ますと康介はぼんやり天井を眺めた。 「もう起き上がって平気なのか。」  モンハンをしていたヒロが顔をあげると、康介は「喉が渇いた。」と部屋を出て行こうとする。 「ヒロはなにがいい。」 「ファンタで頼む。」 そうしてつっかけを履いて出て行ってしまう。さっきの醜態はなんだったのだろうと思うほど呆気ない。ヒロはモンハンの続きをした。  夜、布団を並べてヒロは「康介はどんな家庭で育ったのだ」と何気なく聞いてみた。康介は一瞬黙りこくって「聞いてどうする。そんなもん。」と顔を逸らした。その頬をむに、とヒロはつまむ。 「言わないとバイブでところてんの刑だぞ。」  康介は睨みながら「聞いてもいい。ただし黙って聞けよ。」と言った。  康介はいわゆる愛人の子だという。男の子に恵まれなかった上北家で、跡取りとして成長してから引き取られた。継母は冷たく、愛してはくれなかった。義理の姉二人も冷たく、康介は一人ぼっちだった。救ってくれたのは新しい父親の愛人の恵さんだった。恵さんは子供が出来ない。継母の嫌がらせは凄まじく、それでも恵さんはめげなかった。そうして父親は継母とより恵さんとの仲を選んだ。 「だから俺は家を出たんだ」  旅行先の温泉で俺は初めて人に我が家が抱え込んでいる問題を話した。  全てを話し終えた康介はどこかスッキリとした顔だった。 「あの頃は彼女もいたし、自活を考えて家を出た。俺がいたら親父の邪魔だろう?」  それなのに男に走った。父親はさぞかしガッカリしただろうな、と康介は辛そうに笑う。 「俺に跡取りを産んでもらえれば少しは立ち位置もよくなる。でも杏菜に息子ができた。」  もう諍いはまっぴらでどうせ切ろうと思ってた縁なんだ。  そうしてヒロの爪元をなぞる。 「それは…康介」  お前は辛くなかったのか、という言葉を飲み込む。酒に酔うと甘えたが止まらなくなるほど、淋しかったくせに。だけどたしかに自分が口を出していい話じゃない。  二人で黙りこくる。康介は起き上がってヒロのつむじにキスをした。 「もう一戦ヤろうぜ?」  ヒロは康介をぎゅううと抱きしめた。 「?。なんだもうヤらないのか」 「じゃああの頃のお前は、本当の母親とまだ一緒にいた頃の康介だったんだな。」  俺は疑問符を浮かべながら、「なにがだ」と問い返す。 「甘やかしの刑だ。」  そうしてヒロは俺を抱きしめたまま眠ってくれて、起きたら右腕に血が届かなく赤黒く腫れ上がってて慌てて謝った。  次の日の夜。宿屋先のコンビニで二人分のアイスを買う。俺は小豆味をヒロはチョコチップクッキーを頼んだ。  宿へ帰る手前、「もう一度風呂に入ろうか」とヒロはいう。 「なんで?」 「寒いだろう?」  あー確かに、と俺は頷いた。 「冷えるな。」 「布団敷いて銭湯に浸かってそれから暖かくして寝よう」  俺は笑ってバカ、という。 「傷ついてないっていったろ。」 「なんの話か俺にはとんと分からんなぁ。」  お互いの手の温度が温かった。   正月が過ぎればまたばりばり働かなきゃいけない。でも今は。  すーすー眠るヒロの寝顔を眺める。  俺は訳もなく目が滲みて、涙が出た。 「好きだ。」  自分でそう言って苦笑してしまう。俺はそっとヒロの頬に口付けた。腕が鬱血を起こすので腕枕はやめになった。 「なぁ、俺をナンパしたの、本当に偶然か?」  まるで奇跡的だと思う。九年間付き合った彼女にすら話したことがなかったのに。どうしてお前には心を許してしまうんだろうな。 「…おやすみ。」  そうして絡めた手を柔く握って、俺も眠りに落ちた  白詰草を手にした××君に俺は戸惑った。 「…俺に?」  ××君は頷く。俺は恥ずかしくなって「あ、ありがとう」と受け取った。この間はビスケットを半分わけてくれたし、その前はキャラメルを貰った。母様はそう言うのを買ってくれないから、俺は嬉しかった。 「瓶とかないの?」 「どこに瓶があるか分からなくて」  暗くじめじめした室内を見回す。  恥ずかしげな物言いに恥をかかせてはいけないと「あ、でもフィルム入れが確かあったはず」と慌てて探した。そこに水を入れて白詰草を飾った。 「枯れそうになったらドライフラワーにして」 「うん…」  でも俺はどうしてこんなにいろんなものをくれるのか、理解ができなかった。 「俺も××くんにお返ししなきゃって母様にいうんだけど、あなたは返さなくて良いのよって言われるんだ…」  俺が落ち込んでそう言うと頭を撫でられた。 「こうちゃんは、特別だから」 「特別?」  相手はこっくり頷く。 「俺の永遠のおひいさま」  そうして真っ赤になる××君に、俺まで恥ずかしくなって「俺、おひいさまなんかじゃないよ。」と口を尖らせた。姉たちのお下がりの服はやたらレースをつけられていて、動きにくい。 「ヒロ君は…俺のことが好きなの?」  そこではっと俺は夢から目を覚ました。ヒロ君。俺が幼少期、親友だと思っていた人。いや、名前が被っただけじゃないか。そもそも俺はあの頃姉貴達に女物の服を着せられて、あの子にだって女の子だと思われてて誤解は解けたものかと。  俺はヒロの眠る顔を眺める。汗がどっと出た。 「まさか…ヒロ君なのか?」  俺は呆然とその寝顔を眺めた。好きだった相手が女ではなく男だと知られて、死ぬほど酷い扱いを受けた。俺のせいじゃない、そっちが勝手に勘違いしてたんじゃないか。そう言おうものなら更にいじめが悪化しそうだった。俺が上北家に引き取られる話が持ち上がって、間もない頃だった。  引っ越しの日、最後にヒロ君はぽつんと立っていた。なにをいうでもなく虚ろな目をしている。 「…話さなくていいのか」  親父に背を押されて、俺はヒロ君の前に押し出された。 「ごめん、そう言うつもりじゃなかったんだ…」  まさか女だと誤解されて好きになられていたなんて。ヒロ君は俯いたままなにもいわない。 「お前、俺のことどう思ってる?」  え?と問い返す。ヒロ君は苛ついたように同じ質問を繰り返す。 「ヒロ君のこと嫌いになれないよ」  だってなにも悪いことしてないじゃないか。  じわ、と涙がにじんだ。さよならの感覚がようやく実感する。これでもう二度と会わないんだ。なかったことになっちゃうんだ。 「…なんで泣くの」  平坦な調子でヒロ君は聞く。俺は涙を袖で拭いながら「もう会えなくなっちゃうんだね。」と泣いた。 「今までありがとう。ごめんね。」  そうして笑うとヒロ君は気まずげな顔をした。 「俺、お前の顔好きだよ」 「うん」 「抜けてるところが心配」 「うん」 「お前俺がいないと駄目だから」 「…」 「好きだから。」  俺は戸惑う。 「俺、お前が男でも好きだから」  そうしてガチャガチャの俺の欲しがってたレア品を押しつけてくる。 「最後の、プレゼント」  俺は決壊したようにわあわあ泣いた。ヒロ君も少し泣き出してしまって、見つかった母様はため息を吐いた。自販機でコーラを二本買うと手渡してくれる。 「飲んでる間だけ。わたしがお父さんとお話ししてるから」  そうしてさっさと去ってしまう。ヒロ君は「俺のこと好き?」と袖で目を押さえながら言う。 「好き!」 「俺も!」  そうしてコーラをぐいーとヒロ君は一気に飲んだ。 「いつか迎えに行くから!」  俺はきょとんとした。 「いつかお前のこと迎えに行くから!」  それだけヒロ君は言うと、俺は父親と母親に手を取られて、車に乗せられた。 「あれは忘れなさい。いいわね?」  俺は黙って俯く。母親がため息を吐いた。  上北家につくとあまりのでかさに子どもながらに驚いた。何坪あるか数え切れないほどだった。今までぼろいアパートに母と二人暮らししてたのだ。母は屈んで俺の手を取った。 「男の子なんだから我慢しなさい。女の子には優しくしなさい」  ぎゅ、と力を込めて握ると、また車へ戻って去っていく。振り返りも母はしなかった。  父親に「学校は順調か」と尋ねられる。 「はい、滞りなく。」  継母はおれの目玉焼きにだけベーコンをつけなかった。父親が問い詰めると「だってもうベーコン切らしちゃっててぇ」と口を尖らせる。父親はそれ以上追究しなかった。 「最近こないな、あの…誰だったかな」  姉貴達はさっさと飯を済ませて「お父さん行ってきます」と家を出た。それから俺は登校する。新しい土地で小学生になって友達もできず、俺はいわゆるぼっちだった。先生方が可哀相だと慰めればクラスメイトに品屑だと罵られた。ヒロ君に会いたい、と俺は毎晩泣いていた。  会いたい会いたい。胸が潰れそうだった。 「康介」  父親が手招きをして呼ぶので寄っていった。 「はい、お父さん。」  父親は他人行儀な俺に変な顔をしてそれから、「母親に会いたくないのか?」と困ったように言う、  今思えば父なりの気の使い方だったのだろう。あの頃の俺はだいぶ気分がふさいでいたから。俺はきょとんとしてから泣き出した。 「ヒロ君に会いたいです、お父さん。」  父親は母親じゃなく友達の名前を出したことに内心驚いたような顔をする。 「あの、見送りにきてくれた子にか?」  若干、戸惑いながら言うのに俺は何度も頷いた。 「今日学校の帰りに寄って帰ってきてかまわない。」  そうしていくらかのお金を渡される。 「いつまでもそんなだと俺が困る。」  いかめしい顔で言う父親に怯えながら、お金を握りしめた。    小学生で一人で電車は勇気がいった。緊張しながら駅員さんに駅名を聞いて切符を買って、電車を待つ。ヒロ君は喜んでくれるんだろうか。会った瞬間泣いてしまいやしないだろうか。  学校のいつもの帰り道の待ち合わせ場所にたたずんていると、声が聞こえて慌てて隠れた。  ヒロ君だ。誰か女の子と話している。 「でもさぁ、いいのぉ。ひー君」  あれはヒロ君と一番仲のよかった女子だ。 「ひー君だけだよぉ。あの二号さんの息子と付き合ってたの。よく一緒に遊べたねぇ。ママいつも言ってるよ」  あそこのお母さんはふしだらなんだって。  そうして女子はケラケラ笑う。ぐ、と堪えた。母の別れの言葉を思い出す。『男の子なんだから我慢しなさい。女の子には優しくしなさい。』 「どうでもいいだろ、そんなの」  興味がなさそうにヒロ君は言う。 「俺だって騙されてたんだから、でも」  別れられて清々してるよ、とヒロ君は笑った。そうして二人で手を繋いでキスをしあった。  ヒロ君と彼女越しに目が合った気がして、慌てて俺は逃げ出した。母様のところへ行く。母様は留守だった。暗くなっても戻らず、俺は鞄を片手にうずくまった。 「康介?」  母様は男といた。だらしのない格好をした男だった。 「なんでここにいるの?」  ここはもうお前が帰ってくる場所じゃないと言わんばかりの言い草だった。 「お父さんが…俺が元気ないから母様に会ってこいって」 「こんなことがバレたら、あたりがきつくなるのはあなたなのよ?」  だらしがない格好の男は何度かうちを出入りしてたので見覚えがある。 「坊、お母さんが恋しくて帰ってきちゃったかぁ」  そうして頭をぐりぐり撫でられる。妙にツボを突いて痛い撫で方だった。こめかみをやたら押してくるのだ。 「やめなさいよ」  俺は涙腺が滲みながら顔をあげた。 「その、通りです。母様に会いたくてきてしまいました。」  俺はそう言うと背筋をただしてぽかんとした大人二人を残して「帰ります。すみませんでした。」と立ち去った。 「お、おい。ちょっと待てよ。」  男は慌てて引き留めたのを母親が遮った。 「坊、風邪引くなよ!」  それだけ言って二人は家へ消えていく。俺はそれにお辞儀を返しながら、家に帰って継母が何か言う前に謝って家事を全て手伝った。炊事掃除洗濯全部やるのでお手伝いさんが困り、お駄賃をくれた。継母は嫌そうに顔を歪めて、服のたたみ方、箸の並べ方、掃除の仕方までいちいち指図した。姉貴達は相変わらずわがままで、俺にちょっかいをかけるようになった。  結局のところお手伝いさんが困るので自分のぶんだけ自分がやる、ということで落ち着いた。でも姉貴達まで父親に俺を見習えとお小言を言われ、嫌がらせに俺に雑用を言いつけては押しつけた。下着を洗わされるのは正直、辟易した。さすがにメイド服を渡されたときは「いい加減にしろ」と反抗した。  事前に言ってあるのに俺に毎年チョコをくれる女の子がいた。チョコ貰っても姉貴達が食っちゃうから、と言ってもかかさず渡してくる。毎年バレンタインデーの恒例となったその子は舞という名前だった。 「すっげ、舞ちゃん今年ガトーショコラかよ」  姉貴達と一緒に食べてくださいと言われたそれをむしゃむしゃ食べながら、俺は舞と付き合う決心をようやくした。ホワイトデーにキャンディーと手紙を渡してめでたく恋人同士になった俺たちは、とてもお似合いだったと思う。時々喧嘩もしたけど、仲がよかった。  は、と邂逅から意識が戻ってくる。眠ろうとしたけど眠れず、窓際のチェアーで朝日を眺めながら夜を明かしてしまった。布団からはみだしたヒロの手がぱたぱた動く。はいはいと脇の下に納まると手を絡めてくる。  明日には東京のヒロのマンションだ。俺のアパートは先月、引き払った。驚くほどなにもない荷物の量だった。舞との思い出の品も全部捨てた。向こうが忘れるのだ。こっちが覚えられていては気分がよくないだろう。一枚だけ、舞の写真を残してあとは全部ゴミの日に出した。  片付けの時に押し入れの奥からビニ本が出てきて、ヒロにからかわれた。俺が真っ赤になって反論すると、「へえ、康介はこんなのが好みのタイプなのかぁ」とニヤニヤする。弁慶の泣き所を思い切り蹴った。  そのあともそれをネタにしつこくからかってくるので、俺はそのうちぐったりして口封じにキスした。ヒロは目を瞬いて「ま、かまわんがな」と言ってそっぽを向く。  俺が欲しがってたガチャガチャのレア品は大事にポケットに入れてある。    舞、今どうしてるかな、と俺はぼんやり思った。俺が九年間付き合った、もう手の届かない人。

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