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第4夜

 舞との初旅行は伊豆だった。ネットで予約した俺たちは海には泳ぎに行かず、離れ島へ船で行ったり、伊豆の観光スポットを回った。途中ですり下ろしたての鰹節を売ってて、一口店の人がくれたのが吃驚するほど美味しかった。「卸したばかりじゃないと出ない味だよ。」と笑う店の人につられるようにそれを一袋購入した。海鮮類も美味しく、夜はセックスをして身を寄せ合って眠った。 「ねぇ、康介。」  二人で手を繋いで夜の海辺を散歩してると舞が口を開いた。 「わたし人を殺したことがあるの。」  俺は数瞬、理解をするまで時間がかかった。 「それはどういう?」 「わたしのことを好きだって言ってくれた人をね」  殺しちゃった、と言う。明日は雨が降るよ、とか今日ご飯が美味しかったね、とかそんなことを言うみたいに。何気なく。 「よく、分からないんだけど…」  舞の顔も夜の暗さでよく見えない。 「舞が殺したの?」 「そうよ。」  それきり沈黙して、舞の手を引くとまた歩き出す。 「舞、もっと具体的に。そんな抽象的じゃ分からないよ」 「康介には言っておきたかったの。わたしを好きなあまり死んでしまった人がいること。」  驕りかな、と笑う顔は頼りなくて俺はただ舞の手だけをずっと離さなかった。  しばらく立ってから舞はふ、と息を吐いた。 「わたし、好きよ。康介のそういう追究しないでくれる優しさ。」 「人間誰だってそれ以上言いたくないことの一つや二つはあるもんさ。」  舞は「うん。」と頷く。 「いつか舞が話したくなったら、話してくれればいいから。」  黙って宿へ戻って玄関で靴を履き替えるとき、彼女の目の縁が赤く染まってるのに、俺は初めて気付いた。  舞は利発な子だった。物静かな面もあったけど、大抵笑い飛ばしてしまう。一緒にいると楽だった。傍にいればいるだけで、ぽんぽん話題が出てくる。今思えばあれも舞が巧く話を誘導してくれてたのだろう。 「康介、飲みすぎ」  仕事のプロジェクトが失敗して落ち込んでる晩だった。珍しく自棄酒をしていると、ろれつの回らなくなった俺の傍で、付き合って飲んでくれてた舞がそう心配そうに言う。 「おれのせいだ…、おれのせいでけーやく破断。」  むしゃくしゃしてそういうと舞は呆れたように「康介一人の責任じゃないでしょう」と頭を撫でてくれた。 「母様…」  舞は少し驚いたように康介を見る。康介は泣きじゃくっている。 「ああ、もう。はいはい。泣かないの」  そうして頭をよしよしと撫でた。 「おれのこと、きらいにならない?」 「ならないならない。」 「本当?」  まるで小さな子供だ。舞はぎゅ、と康介を抱きしめた。 「ほら、いいから寝ちゃえ。」  そうして舞に抱きしめられながら康介はうつらうつらと眠った。  舞に他の男の影がいつのまにできてたのか、康介に判然としない。飽きられたか、と思った。その割に以前と同じように、楽しそうに接してくる。二股か、と思ってしばらく様子を見ることにした。そいつが選ばれるにしろ、俺が選ばれるにしろ、舞が決めて選ぶことだ。俺はそいつを舞が選んでも恨み事は言うまい、と心に言い聞かせた  ただ時折、舞が疲れたような表情を見せることが多くなった。それだけが心配だった。  決定的に二人の仲が決裂したのは、舞が毎回毎回セックスを断ってきて一年たった頃だった。一年間一度も性交渉なし。これはおかしくないか、と康介が言うと舞が怒ったのだ。なにが逆鱗に触れたのか、康介には分からない。ただ舞は気が障れたように、泣き叫んだ。もう許してくれ、と。そんなになるまで俺は舞を追い詰めたのだろうか。呆然と泣き喚く彼女を見つめた。  それからは喧嘩の絶えない一方だった。仲がよく相性だっていいと思っていた。周りからもお似合いだとちやほやされて、二人でまんざらでなくこっそりテーブルの下で手を繋ぐ仲だった。なにが原因か全く分からなかった。俺が何かしたのだろうか。謝っても諭しても舞の情操は不安定なままだった。 ※※※※※※※※※※※ 「ヒロ、わたし好きな人ができたの」  嬉しそうに報告してきてくれた姉貴の笑顔。 「本当に?姉ちゃん」  うん、とほほを染めて姉貴は照れたようだった。 「頑張ってアタックしてみるね!」  「俺にも紹介してよ」、口を尖らせると「だってまだ付き合ってないんだもの」と俯きながら言う。それでも嬉しそうな姉貴に俺はバイト代でささやかながら、アンクレットを買って送った。 「これなら彼女にもバレないだろ。足首なら隠れるし、恋愛成就の意味あるから」  姉貴は「悪いわ、なんだか」と申し訳なさそうに言う。 「姉貴だって働いてしょっちゅう俺に飯奢ってくれるじゃないか。これぐらいさせてくれよ。」  「そんな高いもんじゃないし」とはにかむ顔にかなりいい品だと知れる。 「大事にするね。」  笑った笑顔の姉貴の顔が張り付いたまま。今日も目が覚めると姉貴のいない現実が待っている。  いっそ残酷なほど、夢の中では幸せだった。姉貴は生きてて好きな人と愛し合って、幸せになっている、はずだった。なのに、現実では交通事故という自殺でなくなった。  あれは事故なんかじゃない。自殺だ。  その証拠に姉貴からの留守電が無言で入っていた。何度も息を吸って話そうとしては、結局何も言わずに切れた。警察には届けなかった。姉貴の死を警察みたいな国の犬に荒らされたくなかった。姉貴が選んだのだ。自分は死ぬ、と。尊厳死、なんて言葉が頭の隅をよぎる。まさにその通りだろう。辞書に載ってるのと多少意味は違うかも知れないが。  姉貴の部屋を片付けていたとき写真が一枚舞い落ちた。姉貴と見知らぬ女性が写っていた。横にI love you,Mai.と書かれていた。  次の日、俺はその写真を持って探偵事務所を訪れていた。 「鏑木舞。これがプロフィールだ。」  無精髭に太ったの男は資料をこっちに投げて寄越した。俺はそれを受け止めて、ぱらぱらとめくる。 「お前の姉貴、だったか?お姉さんと一緒によく遊んでいたりするが…、そんな関係ではない、と周りは言っている。」  まるで姉妹みたいに仲がよかったってな、と探偵は付け加えてコーヒーを啜る。俺は黙ってその資料を見た。 「上北康介…?」 「お前んとこの姉貴が死ぬ前日に、鏑木舞がそいつと付きあい始めたんだとよ。それで自殺とかわけ分かんねぇよ。どう見ても事故だろ。」  くあ、と欠伸する探偵はどこか狸に見える。姉は好きな人の名前は絶対明かさなかった。紹介するときにその子の口からあなたに言って欲しいから、と。  手が震えて数枚資料を床に落とした。髭面の探偵は「おい、俺の仕事した資料落とすんじゃねえや」とどうでも良さそうに言った。    小さな頃の康介はそれはそれは可愛らしかった。フリルのドレスを着てお人形さんみたいに髪を結って。本人はそれを大分気にしてて、それでからかうと、すぐ意地になって言い返してくる。 「ヒロ君なんか嫌い!」  ある日こうちゃんはそういって保育園の廊下を駆けてった。こうちゃんはすぐ憤るくせに少し時間が経つとけろっと謝ってくるのだ。「さっきはごめん。」と。  誰かが幼い康介に話しかけるとみるみるうちにヒロの機嫌が悪くなっていくので、みんな遠慮して康介には近寄らなかった。或いは康介が近寄っても周りが遠慮をしてしまって、康介はただ目を丸くしている。 「こうちゃん」  無視をされて泣きそうな康介の頭を撫でるのはいつもヒロだった。 「こっちきて遊ぼ?」  別に自分がそうしてくれと周りに指図したわけではないのに、周りが気を使ってしまって、結果的に康介が傷つく。それぐらいは幼いヒロでも分かった。  だから自分が守らなくてはいけないのだと、ヒロは考えていた。 「ヒロ君…」  泣きそうな顔で康介はヒロを見上げる。その顔は酷く庇護欲をそそる。  ぎゅ、とヒロは康介を抱きしめた。 「俺、こうちゃんのこと離さないから。」  一生守るよ、と言うヒロに康介はしがみついた。  康介の母親はそんなヒロを疫病神のように扱った。理由は母親だから、としか言いようがない。幼いヒロに義理の姉妹の服を着せないと困窮してしまうぐらいの貧乏生活に、ヒロは邪魔でしかなかった。 「君。」  保育園の運動会で康介の母親が話しかけてくるので、いささかヒロは緊張した。 「なんですか?」  歓迎されてないことは明白だった。母親は迷惑そうに「康介につきまとわないでくれる?」と一蹴した。 「どうしてですか。」 「君のために言ってんの。」  本当のことバレたら康介半殺しにされそうだから、と笑う。ヒロには何のことかさっぱり分からなかった。 「おねんねは卒業しなさい。」  ヒロはただ冷静に「なんでですか」と返した。 「その意味が分かる日が来たら君も立派な大人だよ。」  そう笑う顔はゲスびてて俺は足早に立ち去った。大人になれば色々あるわ、と姉はいっていた。知りたいことも知りたくないことも。ぎゅっと目を瞑る。 「ヒロ君?」  俺を見つけてきょとんとするこうちゃんの顔がすぐ横にあった。 「どうしたの?」  俺はこうちゃんを抱きしめてなんでもない、と言った。こうちゃんさえいればいい。こうちゃん以外なにもいらない。  五歳になって身体検査の時だろうか。男の子と女の子に分かれて身長体重を測るときなぜか、こうちゃんは男子の列にいた。 「こうちゃん?」  俺はクビ傾げる。 「なんでこの列にいるの?女子はあっちだよ?」  こうちゃんも首を傾げる。 「そうだよ。女子はあっちの列だ」 「なぁに、女子に虐められた?」  ううん、と、康介は頭を振った、 「俺は男だから」 「は?」  またよくない戯言か、俺は先生に言いつけた。 「先生、こうちゃんが男子の列にいる。」  先生は困った顔をした。 「康介君は仕方ないのよ」  先生はそういって俺の頭を撫でた。俺は何が何だか分からなかった。こうちゃんの脱ぎっぷりは男顔負けで俺が恥ずかしかった。それから、男物の下着を身につけてるのに目を点とした。 「こうちゃん?」 「なぁに?」 「こうちゃんは女の子だよね?」  いぶかしげに言うヒロに康介はきょとんと「そんなわけないじゃん。俺は男だよ。」となんでもない風に返した。  今思えば可愛らしい失恋の仕方だと思う。好きな子が実は男だった。そうして今でもそれを引きずっている。 「おら、ちゃんと飲めよ。」  両隣の男に精液をぶっかけられても鏑木舞は怖じ気づかなかった。 「さすが姉貴が惚れただけあるわ」  鏑木舞は絶対に康介と別れないと言い張る。なにをしても頑なに拒絶をした。 「こっちに尻向けろっつってんだろ。」  男が多少手痛くケツを叩いた。 「お、なに?ケツドラム?」  男は野卑に笑い合って、鏑木舞の尻を叩いた。そうしてアナルにそのまま解しもせず突っ込む。舞はうめいた。 「康介と別れろって言ってんの。金ならだすっつってんだろ。」  鏑木舞は燃えるような目でヒロを睨んだ。まだそんな反抗心が残ってたか。 「予定変更。両手を拘束しろ。金額は倍の上乗せだ。」  男どもからマジっすか、という声が上がる。 「やり!生で出していいって!」 「中だし中だし」  男達は意気揚々と抵抗する舞の足を押さえつけながら、手を縛り上げる。ボールギャグをもう一度きつく嚙ます。 「だから金で解決してやるって言ったのに。」  一年間まるまる示談として高額なお金を差しだしてもパワハラと称して嫌がらせしても近所に悪い噂を流しても、鏑木舞は無視し続けた。金で駄目なら身体で分からせた。それでも鏑木舞は多少の揺らぎはあっても「康介には触れるな」と猫が毛を逆立てるように抗った。  姉貴がこの女を好きなわけが分かるような気がした。 「お前さ、荒山優子って覚えてる?」  男達に揺さぶられて鏑木舞は目尻に涙を浮かべてる。たぶん聞こえてなどいないだろう。 「俺の姉貴なんだけどさ、お前のこと好きだったんだよね。」  あの探偵が調べたところは全て出向いた。好みじゃない雑貨屋さん、好物でない料理店、一緒に行ったらしい遊園地の姉貴の嫌いな絶叫コースター。全部くまなく見た。 「全部姉貴の嫌いなものとか場所ばっか。」  俺はため息を吐いた。 「姉貴は俺になにもいわなかったけど、それでも嬉しそうだったよ。」  二人目の男が腰を振る。パンパンとこぎみよく音が響いた。 「姉貴最後になにもいわなかったけどさ、これ俺から姉貴への返事。」  立ち上がるとジーンズのジッパーを下ろして、無理矢理立たせた。 「俺も混ぜろ」 「荒山さんもヤりたいんすかぁ」  間抜けな声の男に頭をはたいて、俺は鏑木舞の中に中出しした。  泣きながら衣服を整える鏑木舞はそれでもなにもいわなかった。気丈だと思う。それがなおさら許せない。好きな人を二人も奪われた。こんな女なんかに。 「鏑木」  俺が声をかけると睨み上げた。 「俺こんな形でなければお前に惚れてたわ。」  そうして一千万、ぽんと置いた。 「お前たぶん妊娠すっから。子供の学費と生活費代な。」 「…。」  金だけ受け取って鏑木舞は睨みつけながら泣いた。 「田舎でも帰って暮らせ、な?」  そうわしわしと頭を撫でると、その手を振り払われた。 ※※※※※※※※※ 「ヒロ?」  康介が覗き込んできた。 「…。なに、今何時?」  時計を見るともう夜の七時近かった。 「珍しいな、お前がぼんやり考え事してるの。」  そうして「今日は海鮮丼にしてみた。」と誇らしげに言う。 「あー、酢飯混ぜて上に乗っけただけのやつな」  茶化したつもりなのに、康介は神妙に頷く。 「それなのに旨いってお手頃だろ?」  俺は大きな欠伸をした。 「キスして、康介。」

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