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第5話

「オリヴァー・グレイからリトル・ヒューストンへ。この通信が聞こえていますか?」  いつもついつい楽しくて、格好つけて言ってしまう台詞だけれど、流石にギャラリーがいるとちょっと恥ずかしい。そうは思うけど僕は他の言葉を知らなかったので、いつも通り僕流に通話を開始した。  準備中の表示だった画面は、ちょっとブレてから見覚えのある壁紙を映す。いつもみんなが適当に寛いでいる共同のリビングスペースだ。  大きなソファーに座った、やっぱり見覚えのある三人が画面に映る。最初に口を開いたのは、短髪の女性だった。 『聞こえてるわよノル。ああ、なんだっけ違う? あんたの呪文、面倒で忘れちゃうわ。通信良好よ、私達のノル』  オフェリアの少しかったるそうで低い声は気持ちよくて、僕は笑顔になってしまう。上がる口角に気を付けながら、まずは四人いる筈のルームメイトが一人足りない事について言及した。 「久しぶりオフェリア。チャックは? やっぱり寝てる?」 『さっきまで死ぬ気で起きてたんだけどね。ノルから通話くるんじゃないかって。でもバタン、そのままグースカよ』 「うわぁ……チャック、また寝てなかったんでしょ」 『あたり。徹夜二日目だってさ。でもゲームじゃなくて仕事だっていうから仕方ないわ。というわけで、残念ながらアブダビとリトル・ヒューストンの記念すべき初コンタクトに参加しているのは、チャック以外のルームメイトよ』  僕の後ろの二人を意識してか、オフェリアはいつもよりもちょっとだけ丁寧な感じの笑顔を作った。  さて僕の同居人の話だけれど、一人ずつ、さくっと簡単に紹介してしまおうと思う。  まずは真ん中の、目に痛いくらいブリーチしたブロンドを短く刈り込んだ女性。オフェリアは文字を書く仕事をしている。ライターってやつだ。  僕と同じくらいの身長で、趣味はランニングで、ロビーでぼんやりしていると結構な頻度で『一緒に走る?』って誘われる。  この誘いにはどんなに体を動かしたい気分の時でもできるだけ乗らないようにしている。  オフェリアは思慮深く思いやりに長けた素晴らしい人格だけど、こと運動に関してはかなり鬼畜だ。ブートキャンプとか、ほら、流行ったでしょ? まぁつまりあんな感じになる。  その右隣のメガネをかけたアジア人の女性。彼女はチリコ。  僕は最初彼女が中国人なのか韓国人なのか全然わからなかったけど、チャックが『名前の最後にコがつく女は大概日本人だ』と言っていた通り日本人だった。ちなみにチャックはこの発言のせいでチリコ自身にめちゃめちゃに怒られていた。何事も決めつけたり勝手に判断したり偏見もったりしたらいけない。それとチャックの場合はたいてい言い方が悪い。  チリコは美術館のスタッフで、毎日机に向かって何かを書いているし、そうじゃない時はゲームをしている。本人曰くオタクという分類の人らしい。  僕は漫画とかアニメとかあんまり詳しくはないけれど、日本のサブカルチャーはSFが多くてわくわくするから好きだ。あと日本には種子島がある。僕の憧れの地のひとつ、種子島宇宙センター!  そういえばUAEの有人火星探査機も、種子島基地からの打ち上げになるらしい。アラビア語もちょっとはサマになってきたし、次に取得すべきは日本語かもしれない。  チリコとは反対側、オフェリアの左隣あたり、ソファーの後ろから覗き込んでいる男性はグレッグだ。彼はひょろりと背が高いチャックよりも大きくて、ロックバンドのメンバーで、普段はCDショップで働いている。  初めて会った時は顔面ピアスだらけだったのに、最近はなんだかすごく落ち着いてしまって個人的にちょっと残念だ。ピアスも両耳しかつけていない。でも僕は結構気に入っていた彼の顔面ピアスも、チリコが眉を顰めていたから仕方ないと思う。  僕はグレッグの気持ちがチリコに伝わるといいなぁと思っているけど、チャックはオフェリアがチリコを奪うんじゃないかと予想している。これは完璧な余談だ。  忘れるところだったけれど、今は画面向こうにいない顔がチャック。歳が近いせいもあって、なんとなく僕はいつもチャックと一緒に行動してしまう。  チャックはアメリカに本部があるプログラム会社の一員で、いつも大体寝不足だ。それなのにチリコが押し付けてくるゲームに一々ハマるものだから、彼の睡眠時間は更に瀕死状態だった。  チャックが寝ている間に通話したと知られたら、多分すごく怒るし拗ねる筈だ。僕は彼が好きだし、彼も僕が好きだから。  こんな感じの僕達だけれど、何故か割合仲良く過ごす事に成功している。  リトル・ヒューストンの簡単な自己紹介を終え、ラティーフとイーハも軽く名前と職種を名乗ってくれる。二人の事は僕が逐一リトル・ヒューストンに報告していたから、長ったらしい説明なんていらなかった。  僕たちの中で一番常識的で一番面倒見がいいのはオフェリアなので、やっぱり最初に口を開いたのはオフェリアだった。 『思っていたより健康そうでよかったわ。まあ、若干顔色が青い気がしないでもないけど、四徹目のチャックと比べたら断然マシ。ちゃんと眠れてる? ご飯食べてる? ホームシックは平気?』 「寝てるし食べてるしご飯おいしいしラティーフの家は快適だし、イギリスもリトル・ヒューストンも少し恋しいけど平気。だってここは、星空がすごくきれいだから!」 『ああ……そうねぇ。あんた、黒いキャンバスに星が浮かんでいるだけでいつでもどこでも元気だものねぇ。元気そうで安心したわ、スペースジャンキー。ところでチリが、あんたの後ろの紳士に訊きたい事があるそうなのだけれど』 「チリコが? ラティーフとイーハに? チリコに頼まれた資料用の写真はちゃんと僕が撮ってるよ?」 『もー、私だって漫画描く以外に興味あることだってあんの。ええと、初めましてってさっき言ったっけ……あの! 石油王と結婚するにはどうしたらいいんですか!?』  あまりにも元気よく、あまりにも真面目な顔で言い放ったチリコの隣の二人が、ギョッとしたように彼女を見た。  だよね、と思いながら僕は苦笑いする。  ちらりと振り返ってみたところ、ラティーフは腕を組んだまま面食らったような不思議な表情をしていた。 『チリコ、ちょっと、あんた……果てしなく失礼な質問いきなりしないの』  慌てたようにオフェリアが制するけど、当の眼鏡女子はケロリとしている。 『え、失礼? だった? いやほら、ミスター・アル=アブドゥッラーと結婚させて! とかじゃないし。日本だと「働かないで楽して生きたい」って言葉の代名詞が「石油王と結婚したい」って感じでー……』 『だから失礼だっつってんのよ。いや失礼じゃないかもしれないけど、デリカシーは底辺よ』 『えーそうかな……そうだったらごめんなさい……。でもーほらー気になるじゃんかそうそうないよ本物の石油王と通話する機会なんてさー……』 「……って話らしいですけど、えーと、石油王と結婚ってできるんです?」  振り向いた僕に対し、口を開こうとしたラティーフを制したのはイーハだ。 「婚姻の説明より先にまず、彼女の考えるアラブの富豪と現実との齟齬を指摘したほうが良いのではないかと思いますよ。ミス、あー……」 『江戸川千里子。でもチリコとかチリでいいです』 「チリ。あなたが結婚を想定とする石油王、とはどういったイメージの存在ですか? それと主に貴女の隣のオフェリア嬢へのご説明ですが、私の主人はお世辞でも大袈裟でも見栄でもなく、本当に心から寛大なので、きちんと私見や想像であることを前置きさえしていただければ、大概の事には腹を立てたりはしません」  つまり、失礼だとか気にせずとりあえず言ってみろ、ということだ。ラティーフも優しいが、やっぱりイーハも優しい人だなぁと感心してしまう。  彼の優しさを理解したのかはよくわからないけれど、ちょっと首を傾げたチリコは、上目遣いに指を折る。 『えーと……砂漠の民で、民族衣装を着ていて、イケメンで、王様か王族で、召使いとか奴隷とかを何人も屋敷に住まわせていてー……あ、奴隷はさすがに、ファンタジーのイメージが強いなーって思うけど。気に入った人がいれば、強引にでも手に入れて結婚しちゃう! みたいな。あととにかくお金。お金がたくさん。高級車にラクダ!』 『……チリ、あとでよく話し合いましょ……そちらのアブダビの紳士が、本当に心の広い紳士で良かったわね……』 「ああ、いや、怒ってはいない。怒ってはいないよ、なかなか面白いなと思って聞いてはいたが……と、伝えてくれ、ノル」  苦笑いでラティーフの言葉の通訳をしつつも、僕も人のこと言えないんだよなぁと思う。  僕だって最初はアラブってあれでしょ、ほら、アラビアンナイト、みたいなふわふわしたイメージしかなかった。  宮殿で豪華な生活をしていて、何人もの召使いがいて、急に踊りだして……と、この辺まで考えた後に『これインド映画だな?』と気がついたけど。とにかく僕達欧州の人間は、中東だとかアジアだとか、あの辺を全部一緒に考えてしまう。日本人から見てもやっぱり、中東というのは馴染みが薄い国らしい。  イーハはしばらく考え込んでいたみたいだったけど、すっと息を吸ってから、まず、と前置いた。 「この国に石油王という職業はありません」 『……えっ!? 嘘! え、だって、王族とか……』 「王族は居ります。かつて石油を掘り当て財産を築いた王族は今やすべて公務員です。UAEの石油産業はすべて国が運営しております。故に、個人で勝手に石油を売ることはできません。とはいえ公務員はかなりの給料を得ていますので、『アラブの石油産業に関わる金持ち』という意味での富豪ならば存在します。そういう意味では私の主もその一員でしょう」 『えー……石油王いないのか……そっかー……え、でも、大富豪と結婚はできますよね? 確か、一夫多妻制』 「そうですね。しかし外国人は第一夫人にはなれませんので、狙うならば第二夫人以降の座になるでしょう。第一夫人は自国民から選ぶことが義務付けられております」  イスラム教スンニ派が多いアブダビでは、基本的には一人の夫につき四人の妻が持てる。  けれど、新しい妻を娶る際には他の妻の承諾が必要で、さらにすべての妻を贔屓なく差別なく、平等に財を与え養う事が義務付けられている、らしい。この規律のせいか、最近は一夫一妻の夫婦がスタンダードになってきたという。  一夫多妻は財力が有り余っている人たちでしか実現できないのだ。  チリコとともにバカみたいに口を開けて、へーと感嘆の声を上げる。知らないルールがある場所というものは、怖いけど少し面白い。やっぱりここは、僕にとっての小さな異世界だ。 「この国の富豪と出会うだけならば、高級ホテルのロビーや金持ち向けのゴルフ場で出会えないこともないですね。いささか奮闘すれば、口説ける可能性もあります。ただ、結婚はあまりオススメしませんよ」 『え、何でですか?』 「イーハ、続きは私が。……ミス・エドガワ。君たちにとって私達は異文化の人間だ。私たちはそれを、異教徒と表現することが多い。……君がもし、我が国の男子と結婚したとすれば、大抵はイスラム教徒へ改宗することとなる。おそらくそれが、一番の困難となる筈だ」  イーハの説明を引き継いだラティーフのアラビア語を、つらつらと英語に直しながら、そっかイスラム教徒にならなきゃいけないのは大変そうだなーなんて、すごく当たり前の感想を抱いた。  例えば僕がイスラム教徒になりなさいと迫られたら、ものすごく抵抗すると思う。同じ様に感じたらしいチリコも、砂を噛んだ様な顔で唸っていた。 「何よりもアッラーを信じ、アッラーを尊ぶ事が求められる。規律も多く禁止事項は多い。飲酒、婚前性行、異性との同居も禁止だ」 『そう、ここがイスラム圏内ならばリトル・ヒューストンは罪の家になっちゃうのよ、チリ。同性愛も禁止。だから私はきっと石油とラクダと砂漠の国に行くことはないわ。……ジェンダー論を喚き散らすタイプじゃないけれど、私は素行が悪いから、アウト。本当は冷たい夜の砂漠に浮かぶ星々に、ちょっと興味があるけれど』  冗談めかしたオフェリアの言葉に、僕は少しどきりとする。後ろの二人の反応を全身で気にしつつ、彼らの言葉を待った。  幸いラティーフもイーハも、彼女のさらりとした告白は聞かなかった事にしてくれたようだ。特に何事もない様子で、少し笑ったような気配がした。 「隣国はかなり厳しいが、我が国は異教徒にいつでも両手を広げている。もし美しい星空を見たいと思った日は、飛行機に飛び乗るといい。アイルランド人の秘書をすぐに空港まで迎えに行かせるよ」 『ありがとうございます、ラティーフ。貴方がとても優しい紳士で、本当に嬉しい。星空が恋しくなったら空港に行くわ。その時は、あんたは同行しないでね、ノル。隣で煩くあれは何座の何星雲だなんて解説されたらロマンティックな気分が台無しなんだから』 「え、ひどい。僕も星空見たいのに」 『個人的に見に行けばいいじゃないの。砂漠で一泊するツアーもあったわよ。……グレッグ、あんたノルになんか言う事ないの?』 『あー。いや元気そうだから俺は特に……あ。ハッピーバースデイ、ノル。って今のうちに言っておく』  ふっと笑うグレッグは通話じゃなくても大体あんまり喋らないし、不思議なペースで生きている人だ。だって僕の誕生日は来週だ。  そういえばそんなイベントあったなーなんて思っていたら、バースデイという単語を聞き取ったラティーフが驚いたような声を上げた。 「……ノル、誕生日なのか?」 「え。えー、はい、来週ですけど。二十二歳……に、なるのかな? うん、たぶん、二十二歳です」 「随分とふんわりとしているな君は本当に……そちらの国ではあまり嬉しくないイベントなのか?」 「いやー盛大に祝う人もいますけどー。僕、子供の頃からあんまり祝われた記憶ないし自分でもおめでとう! って感じしないのでただ単に僕の実感が薄いだけです。おめでとうって言われたら素直に嬉しいです。リトル・ヒューストンの同居人はすごく祝ってくれるから恥ずかしいくらいです」 『今年はパーティーできなくて残念。またチャックが起きてる時に連絡するわ。どうせ来週あいつから嫌というほど祝われるわよ。みんなあなたの事が好きだから、寂しい。そしてあなたの成功を祈っている。……またお話しましょ、砂漠の紳士のお二方』  オフェリアは酷く珍しいにっこりとした笑顔を見せて手を振り、他の二人も手を振った。相変わらずのメンバーだ。元気で、変で、マイペースで、でも優しい。  最近感じていたホームシックじみた気持ちがちょっとだけ薄れた気がする。僕は友達が好きだし、イーハとラティーフのことも好きだと思うから、お互いに気分を悪くしない交流ができた事に満足していた。たぶん、ものすごくラティーフには譲ってもらったと思うけれど。  パソコンを閉じて、二人に改めてお礼を言って、中々刺激的でしたと言うイーハに苦笑いで謝って、気にしてないし本当に有意義だったとまたラティーフに気を使われてしまう。本当に、この人はとても優しすぎてちょっとだけ心配になる。  どう見ても気難しい中東のイケメンなのに、彼はなんでも大概の事を譲ってしまう。僕がイーハの立場だったら、きっと毎日もっと自分を優先してと怒ってしまうだろう。実際にイーハは怒っていそうだ。  そのうちにリビングに荷物が届いたとかでイーハは呼ばれ、僕もついでに自室に戻ろうとパソコンを抱えてラティーフの寝室を出た。ところで、ノル、と名前を呼ばれる。この国で僕の名前を愛称で呼ぶのは、まだ、ラティーフだけだ。 「……砂漠で、星空が見たいか?」  ちょっと息を吐いて、ラティーフが真剣な顔で聞いてくる。あまりにも真剣だから、なんだか告白でもされているような気分になった。そんな風に錯覚してしまうほど、僕は人恋しいのかなぁと苦笑してしまいそうになる。  気を取り直し、できるだけ笑顔になるように努める。 「え。えーそりゃ、見たいですけど……僕あんまりキャンプとかには不慣れで。あとツアー行く体力もあるかなぁ……」 「見たいんだな。よし。……来週末、君の時間を少々、私に譲ってくれるか?」 「……は、……はい」  手を取られて、きっちりと見つめられて、そんなことを言われたものだから。  僕はひたすらにオフェリアの言葉を繰り返してどうにか耳の熱さを誤魔化すしかなかった。  気をつけなさいよ、あの国の人たちは、『あたしたち』の事をエイリアンだと思っているから。  僕と二人だけの時にこっそりと伝えてくれたオフェリアの真意を、勿論僕は理解している。  この国はイスラム教だ。豚肉と、お酒と、そして同性愛を禁止している国。僕もジェンダーに関して演説するタイプじゃないし、恋人を探しにこの国に来たわけじゃないけれど。でもきっと、僕がイスラム教に改宗するのは、すごく大変で辛い事だという自覚はある。  落ちるものかと何度も言い聞かせながら、ラティーフの甘い匂いにぐらりと寄りかかりそうになる気持ちをどうにか堪えた。

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