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第7話

 どこもかしこもどう見ても高級リゾートホテルだったので、本当に久しぶりにどきどきした。  わぁすてき! っていうよりも、わぁ~ウェルカムドリンクとかこぼして汚さないといいな~的などきどきだ。そりゃもちろん、素敵な場所だと思うけど、とにかく僕の存在が場違いで不思議な気持ちの方が強い。  思えばイベント事に疎いというか、疎遠な人生だ。バカンスとかパーティーとか観光とか外食とか、そういうものの記憶がほとんどない。僕が引きこもりなんじゃなくて、僕の家族がイマイチ家族らしからぬ人たちだったからだ。血は繋がっていたみたいだけど、決定的な物が欠落していた。  それは愛情だ、なんて言うつもりはないけれど、ただ最低限の衣食住と勉強するためのお金は保証してほしかった。ついでにちょっとでも旅行とか連れて行ってもらえてたら、ラティーフみたいにさらりとベルボーイにチップ渡したりできたんだろうなーとは思う。  動物園の鳥みたいにキョロキョロしてしまう僕が放り込まれたのは、やっぱりチリコに怒られそうな豪華な部屋だ。  そんなに高い部屋じゃないと言い訳のようにラティーフは言うけど、本当に言い訳にしか聞こえない。  かろうじてプライベートプールは付いていないだけで、部屋は三つもあるしテラスにはクッションがたっぷり乗ったデイベッドがあるし、ベッドはツインなのに大きいしバスタブは丸くて広い。  まさかこれからドレスコード付きのレストランでディナーとか言わないよね? 僕フルコースのナイフとフォークの順番若干怪しいんだけど。  と思って警戒していたら、夕飯は部屋に運ばれてきた。僕は何処かに泊まるときは安いホテルだし、もちろんルームサービスなんてものを見るのも初めてだ。 「ラティーフ、夕飯はそれでいいんですか? 昼間もスタバでちょこっとつまんだだけでしょ?」  銀のトレーに乗せられた夕食は、野菜とかバケットとかチーズとかスモークサーモンとか、手でつまめるものばかりだ。 「腹の足しになるかどうかと言えば微妙だが、君の話を存分に聞くには、レストランで前菜が出てくるまでの時間すら惜しい。足りなかったらなにか頼むさ。……それと私は、ディナーというやつが苦手だ」 「あー。僕もそうですけど、なんか、わかります。あなた、とても面倒くさがりだから。正装するのも面倒だなぁとか思ってそう」 「……どうしてバレたんだ?」 「だっていつもティーシャツにサンダルじゃないですかー」  眉を上げて不服そうな顔をつくるラティーフと同じように、デイベッドに腰掛ける。彼は味のない炭酸を飲んでいたので、僕も同じものをきらびやかなグラスに注いでもらった。  薄暗くなりかけたテラスは、涼しいというよりはまだぬるい。デイベッドの真ん中にトレーを置いて、ラティーフが促す。 「座って、ノル。もうすぐ夜が来る。君の話を聞く夜だ」  ……実はちょっと気がついていたのだけれど、ラティーフの言葉は微妙に痒くて面白い。それなのに気障で嫌味に聞こえないのは、彼が本当に紳士で、そしてやはりとても綺麗な顔をしているからなんだろう。  正直人の見た目にほとんど拘ることがないから、君は美しいとか綺麗だとかかっこいいだとか言われても、それってなにか得なのかなぁと思っていた。最近は、得なこともあるよなぁこれも遺伝子の優劣のうちだもの、と思うようになった。少なくとも彼ほどの男前なら、ちょっと気取った台詞を口にしてもダサくない。 「さぁ、君の、宇宙の話だ」  彼はまずそうやって促した。  といっても、講師は僕だ。学者でもなければ今のところ専門家でもない。そして僕は興味ないことに関してほとんど知ろうとしないから、とても知識が偏っている。その上ロマンチストじゃないから雰囲気とか気にしないしうるさい。  それでもいいか、一応確認を取って了解を得てから、僕はどの話から始めるべきなのか考えた。  地球の話をして、と言われたらきっと大体の人はどこから話そうか考えると思う。それと一緒だ。でも大体の人はまず地球は丸くて青くて海と山があって……って話し出すと思うから、僕も見た目とか大きさの話から始めた。  宇宙は大きくて広くて暗くて寒くて、無重力で真空だ。  落ちていく重力や引力がなくて大気がないから摩擦や空気抵抗も無くて、つまりポーンと何かを蹴ったらそいつは他の何かにぶつかるまで延々と飛んでいく(人間が宇宙空間で物質を蹴ったら、同じ力が人間の方にも加わっちゃって、蹴った本人も後ろに向かってぐるぐる回転しながら飛んでっちゃうけど)。  何もない、とはそういうことだ。空気がない。引力がない。摩擦がない。エネルギーは力を保ったまま、延々と運動する。  宇宙は大きすぎて広すぎるから、研究者は結構困っている。僕たち人類は、大気圏から出るまでに大変な労力を使うし、とにかく本当に宇宙は広いから、フィールドワークができないのだ。  とても基礎的な事を適当に並べたてながら見上げた空は、もうずいぶんと暗い。砂漠の空には雲ひとつない。年間通してほとんど雨が降らないから、もちろん星を遮る雲もない。  明かりが引いたスクリーンに、ぽつぽつと煌びやかな天体が浮かび始める。黒いシーツに空いた針の穴のような星を見上げて、僕はその数の話を始めた。 「僕たちが住む地球が所属する天の川銀河には、約二千億個の星があると言われています。そんでもってさらに、宇宙全体の中にこの銀河ってやつは、推定一千億個から一兆個あると推測されています」 「……考えるのも面倒になる数字だな。膨大だ、ということはなんとなく知っていたが、思っていたより桁が多い」 「最近は『銀河は二兆個ある』って人もいますからねー。方程式の答え変わっちゃうから代入する数に兆単位の開きとか持たせないでほしいですよねー」  宇宙にはとんでもない数の星が存在している、というのはふわっとご理解いただけたと思う。次は距離の話だ。 「地球に一番近い天体は皆さんおなじみ月です。地球の唯一の衛星ですね。地球から月までの距離は三十八万キロメートルで、光の速さなら一秒ちょっとってところです。勿論僕達人間は光の速さでは移動できないので、アポロ十一号は月まで四日とちょっとかけて到着しました」  これが速い! と思うか遅い! と思うかは人それぞれだ。僕は速いと思ったし、ラティーフもそう思ったようでその程度で行けるものなのかと零した。宇宙飛行士は何カ月も宇宙に滞在する、というイメージがあるせいかもしれない。  ただしこれは本当に一番近い月の話。  地球から一番近い太陽以外の恒星(プロキシマ・ケンタウリって奴が今のところ一番近い筈)までの距離は四.二四六光年。光年っていうのは光が自由空間を一年で通過する長さで、一光年は大体九.五兆キロメートルだ。そろそろ訳が分からなくなってきたと思う。  ちなみに冥王星探査機ニューホライゾンズは、秒速三十キロメートルの速さで進み、木星でフライバイして(要するに加速して)約十年で冥王星にたどりついた。太陽系の端にたどり着くまで、約十年。  ニューホライゾンズと同じ速度で進んだと仮定すると、単純計算でプロキシマ・ケンタウリまで大体四万年かかる。  四年でも四十年でも四百年でもない。四万年だ。  ちなみにこれ、天の川銀河で一番近い恒星の話で、勿論天の川銀河には他にも二千億から四千億個の恒星があると言われているし、最初に述べたように宇宙には恒星をもりもり含む銀河が兆単位で存在する。とんでもない量だ、ということはもう言わなくてもわかると思うし、そのとんでもない量のうちの一番近い場所に行くにも、現状四万年かかるってことだけでも覚えていてほしい。  僕たちは、太陽系以外の恒星にはたどり着けない。  宇宙は広すぎて、人類の手はほとんど届かないのだ。 「人類は、孤独なのか。……と、君は言ったな」  ぽつりとラティーフが漏らした言葉に、僕は頷く。 「現在、学者の大半がそう思っていると思います。なにせ大気があって水があって重力がある天体なんて、奇跡みたいなものなんですから。僕達に馴染み深い数式で、ドレイク方程式というものがあります。これ、現時点において『知的生命体がある星の数』を仮定する方程式なんですけど、まあさっくり言うと恒星が惑星を持つ確率とか、その惑星で生命が生まれる確率とかを、仮定で代入します。大体仮定の数をぶちこむので、学者によって随分数が違っちゃうんですけど」  一応ちゃんと説明すると、ドレイク方程式は知的生命体がある星の数Nを求める、以下の式である。  N=一年間に銀河系で生まれる恒星の数(R*)×その恒星が惑星を持つ確率(fp)×一つの恒星で生命に適した星の数(ne)×それらの惑星で生命が誕生する確率(fl)×それらの知的生命の通信技術が電波天文学を有する程度に進歩する確率(fc)×惑星の寿命に対し文明が存在する期間の割合(L)。  要するに確率を絞る式だ。ふわっと宇宙人いるかなーではなく、天体の数、文明が出来上がるパーセンテージ、その宇宙人が交信できる期間などを勝手に仮定して、最終的に僕達人類の他に知的生命体は存在するのかどうかという確率を出す。  この式を提案したフランク・ドレイクはN=一〇だと提示した。つまりこの宇宙に現在十個の知的生命体が存在しているということになる。  ドレイクと共に巨大なアンテナから宇宙人へのメッセージを送ったカール・セーガン博士の答えは、N=一〇〇万だったけど。掛け算ばっかりの式だから、どこか一つでも値がぶれれば計算結果に幅が出る。 「ちなみに近年の計算結果では、三十九~八十五パーセントの確率で人類は観測可能な宇宙においてたった一つの知的生命体である、つまり宇宙には我々しかいないって話です」 「……たった一つ? 宇宙人はいないということか? 君は先ほど、宇宙はとにかく広大だとあんなに力説したのに?」 「僕もそう思いたいんですが、とにかく地球の環境が奇跡なんです。あと、人類は宇宙のフィールドワークができないから、ドレイク方程式に代入する値が不確定、ってのがネックなんですよねー。そこで近年注目されているのが、火星です」  火星、赤くて岩だらけの星。  大きさは地球の半分くらいで、重力は地球の三分の一くらい。大気がほとんどないから水は液体で存在できず、水蒸気か氷になってしまう。人類が、月の次に目を付けている惑星が火星だ。  なにせ近隣の惑星ときたら、表面温度五百度の地獄みたいな金星とか、どでかいガスの塊の木星とかだ。火星は他の星に比べたらかなり近い方だし、人類が両足で立てる地面がある。火星移民計画とかはやっぱりまだ荒唐無稽だと思うけれど、探査自体には非常に興味がある。  火星には過去、海があったと考えられている。  そしてこれがとても重要な事なのだけれど、火星に生命の痕跡があり、生命が発生したと確定できれば、ドレイク方程式のflの値(惑星で生命が誕生する確率ってやつだ)が上がるのだ。  宇宙のどこかに、知的生命が存在しているという仮定の方程式の答えに、ほんの少しだけ希望ができる。たぶんそれは本当に少しだ。  でも僕は、火星の調査にとても期待しているし、興味をもってこれに関わりたいと思っている。  人類は孤独だ、なんて、とても寂しい。 「寂しい、か。……悲しい、とかではなく?」 「うーん、僕はあんまり悲しいとは思わないですけど、寂しい、とは思います。宇宙は真空なので音がしません。無音です。静寂すぎる暗くて冷たい宇宙で、こんなに賑やかに喋って喚いて騒いでいるのは僕達だけだなんてなんだか滑稽じゃないですか。やっぱり悲しいとは思わないけど、寂しいです」 「君は少し、というか、かなり、不思議な感性を言葉にする人だな」 「……変です? あーまあ、変かなぁ。変人って言われますし、僕も自分で変な奴だなぁって思いますし。だから今ちょっと面白いというか、不思議な気分でそわそわしています。僕の変な話を真面目に聞いて感心してくれる人なんて、滅多にいないから」 「リトル・ヒューストンの面々は違うのか?」  ラティーフの率直な疑問に、僕は苦笑いで言葉を選ぶ。 「チャックは僕の話あんまり聞いてくれないし、チリコは途中で寝ちゃうし、オフェリアは浪漫じゃないとか言って星の話はパスされちゃうし、グレッグはそもそもあんまりウチにいないからなぁ……」 「こんなに興味深い君の話に、需要がないだなんて信じられないな。それでも、君たちの仲の良さは伺える」 「仲はね、いいです。友達っていうか、気の合うご近所さんって感じだけど。でもやっぱり僕は宇宙が好きで、孤独で広い真空の世界にあこがれていて、今は火星に行ってとにかく宇宙人の存在証明のための手がかりを掴みたい、と思っているので、そんな話をこんな素敵な環境を用意してゆっくりと聞いてくれる人にはとても感謝しています。……ラティーフ・オマール・アブドゥッラーって方なんですけど」  ちょっと気障な言い回しをしてしまって、直後に照れてしまって、テラスが薄暗くて良かったと思う。  しばらく僕達は無言だった。今の発言はちょっとやっぱり駄目だったかなぁ素直に話を聞いてくださってありがとうございますって言った方が良かったかなぁ、と不安になってちらりと彼の方を見たら、頭を両手で抱えて屈みこんでいた。  具合でも悪いのかとびっくりしたものの、彼が全力で照れていて言葉も出せない状態なのだと気が付くと、再度恥ずかしさがぶわっと襲ってついでにこの人大丈夫かなって心配になる。  ――大丈夫かな、こんなに素直な人で。  お金を持つというのは、とても多くの味方と敵ができることなんじゃないかなぁ、と思う。そのどちらも、きっと彼の言動を見ているし、彼の隙を狙っている筈だ。  それなのにラティーフはとても優しくて、とても素直な人だ。感情は表情には乗らない。でも、言動が大らかで、動揺すると言葉に出る。彼はきっと僕と同じマイノリティを持った人で、それによってとても心を縛っているんだろうなと思うから、余計に心配になってきた。  きっと僕は彼に気に入られている。それくらいは流石にわかる。  でも本当に真面目な人だから、そして敬虔な人だから、言葉の隅に匂わせるような一言を添えることすらしない。  なんだかそれが、悲しいような辛いような愛おしいようなわけのわからない気持ちになってきて、僕まで頭がくらくらしそうだった。  だから僕は星を見上げた。  冷え始めた砂漠の空気がすっと肺を満たす。きっと宇宙はもっと冷たく、もっと痛い世界だ。有害な光線で満ちたかの暗い海は、僕達大気圏の生命を拒む。そして距離と真空は、隣の惑星への航行すらも阻んでいる。 「…………僕達が火星に向かうとすると、最良の軌道で片道二五〇日ちょっとかかるといわれています」  地球と火星は同じ軌道を同じ周期で回っているわけではないから、日によって距離が変わる。  更に宇宙は加速すればするだけ速く移動できるものの、勝手に止まったりしないから逆噴射による減速が必要になる。たくさん加速してたくさん減速するには、たくさん燃料を積まなくてはならない。  一番いい位置で無駄のない軌道を取り、加速減速の燃料もなるべく効率よく済むように計算すると、片道二五〇日。帰ってくる時も軌道と位置を選ばなくてはいけない。軌道の待ち時間も含めて最短、大体四年くらいかかる計算になる。  現在火星への有人探査機ミッションは行われていない。これからUAEが計画しているし、マーズワン計画もあるけれど、火星は人類未開の地だし、本当にそこまで行けるのかも怪しいと思う。  たった四日で行ける筈の月だって、まだ一回しか到着していないのだ。 「正直宇宙関連の計画って予算かかりまくるし、開発は遅れまくるし、シャトルの発射なんて延期しまくるし、最悪計画自体がとん挫します。だから僕が生きているうちに、人間が火星の土を踏む事はないのかもしれない。僕が死んでからもどうかなー本当に行けるのかなーって感じです。……でもそんな火星に、確実に到着するものがあります」 「…………それは?」 「フォボスです。火星の引力に捕らわれた二つの衛星のうちの一つ。フォボスは火星から九〇〇メートルしか離れていなくて、火星の引力で少しずつ火星に落ちています。一億年とか三億年とか言われていますけど、そのくらい後にはかなりの確率で、フォボスは火星に墜落すると言われています。だから僕は、フォボスに憧れます。僕達人類が、たどり着けるかどうかもわからない星に、フォボスは最期、絶対に到着するんだから」  それがフォボスの最期だとしても、やっぱり僕は羨ましいと思う。  宇宙人に会いたい。宇宙人がいる事だけでも証明したい。その為には火星に行きたいし、研究だけなら宇宙に行かなくてもできるけど、待っているだけでは時間がもったいなさすぎる。火星は往復四年なのだ。いや、まあ、これから他のエネルギーとか開発されたらまた違うだろうけれど、とにかく現状では四年の旅だ。  僕はフォボスに憧れる。こんな訳のわからない本音を口にしたのは実は初めてだ。そして僕はこの日、こんな訳の分からない言葉に感動してくれる稀有な人が地球上に存在した事を初めて知った。  ラティーフは星空を見上げる。  砂漠の、雲一つない、建物も山も見えない一面の星空だ。 「君の言葉はかなり不思議だ。そして、とても美しいな」  僕は、この人が僕にとってとても甘い事が嬉しい、ということに気が付いた。  それが良い事なのか悪い事なのか、考え始めるとちょっとよくない事だけはわかったので、ただただ愚鈍に空を見上げた。

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