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第10話

 きっちりとした白い詰襟の服が、私はあまり得意ではない。 「……まあ、及第点というところでしょう」  三日ほどでどうにか整えた髭の評価は、私が思っているよりも低かったが。まあ、煩い秘書がそれ以上言葉を連ねなかったのでとりあえずは良しとした。  人種の性か、個人の体質的なものか定かではないが、毎日きちんと髭を剃らねば私の輪郭はあっという間に毛むくじゃらになってしまう。  いっそ髭を伸ばし整えた方が剃るよりも楽だということは十二分に承知している。が、勿論私は、髭を伸ばすつもりは毛頭ない。 「きちんと装えばそれなりの威厳も装えるのですから、そのまましばらく中東の石油王ぶっていてくれませんかね」  運転席でハンドルを握るイーハに返す言葉も慣れたものだ。 「この国に石油王はいないよ、イーハ。髭を伸ばしてカンドゥーラに身を包む大富豪の装いは、私の身に余る。帰ったらすぐにサンダルとティーシャツに着替えて、つるりとした顎にもどってやる」 「それなりに似合っていますけどね。きちんと時間をかけて伸ばせばもう少し格好もつくでしょうに」 「毎日髭の生えた自分の顔を眺めると思うとうんざりするから嫌だ。おまえがこの話を口にするたび私は何度でも言うぞ。私は、私の髭面がとても苦手だ。愛してはいるが負い目だらけの家族の顔にそっくりだからだ」 「……髭を剃るより、貴方のその真面目すぎる性格をもう少しこう、雑にした方がいいのでは」 「雑とはなんだ……ああ、いや、まぁ……言いたいことはわかるが。別に私は真面目なんかじゃないだろ。他人より頭が固くて、己のマイノリティを消化しきれないだけだ」  ため息で会話を終わらせ、私はふとこの話題に懐かしさを感じた。  私たちのおきまりの髭に関する口論だ。しかしなぜか、とても久々に口にした気がする。その理由を考えた末、最近は私の髭どころではない騒々しい日々に手一杯だったことに思いあたった。  私の家に、あの宇宙に詳しい青年が来てからというもの、私とイーハはもっぱら彼のことについて話し合い、髭の話などしている暇はなかった。  ノルと過ごす日々は些か騒がしい。実際に彼がそれなりによく喋る、という事実もあるが、あの綺麗な口をぎゅっと閉じていたとしても、私の心はいつでも騒がしく浮き足立つ。  この三日ほどは何かと理由をつけて直接顔を見てはいないが、イーハから聞かされるノルの話は、やはりどこか騒がしい気配を残した。 「そうだ、ノルに訊きましょう」  予定通りの時間に予定通りの場所に車をつける。いつも完璧すぎる秘書は、着きましたよと声をかけるだけでドアを開けたりはしない。私もそれを望んではいないので、先程の彼の言葉に眉を寄せながらも車を降りた。 「訊くとは、何――、待て、イーハ、おまえ今ノルと言ったか?」 「言いましたよ。先日オリヴァー本人がノルと呼んでくださいと言ったものですからありがたく友人ぶることにいたしました。きっとノルなら貴方のアラブ人ぶった髭面を気に入ってくれるはずです。ノルが言うなら貴方もきっと少しくらいは思い直す筈ですね」 「いや、さすがにこの件に関しては彼の言葉だとしても……」 「その髭、とてもかっこいいですね。と、彼なら言うかと思いますが。……すいませんがラティーフ、妄想で動揺するのはやめてもらえますかびっくりしますので。私が」 「いまのはおまえが悪いだろう……」 「人聞きの悪い。タチの悪い悪戯をしかけるのならば、もっと大々的にひっそり準備をこなし貴方の尊厳が一切傷つかない場所と方法で盛大に行いますよ。ああ、こちらです。失礼、先程ご連絡したイーハ・オコナーですが、こちらに本日――」  エントランスの受付に声をかけるイーハの言葉から意識を切り離し、私はぐるりとあたりを見回す。  宇宙開発センターのさっぱりとした佇まいは、少しSF的だ。  以前この建物に入った時、私はほとんどその内装や内容に興味を抱いていなかった。結果手持ちの本を読んで時間を潰したものだが、今はこの建物がとても興味深いものに溢れている事を知っている。  宇宙、惑星、恒星、銀河、衛星、軌道エレベータ、ワームホール……現実とファンタジーの境目のような不確かな世界の研究が、この場所で行われている。宇宙はそこにある。そこにある、とされている。けれどそれらは我々にとってはとても遠くて、手を伸ばせない。  実在が確認できないものに関して、我々はどのように存在を証明するのか。そんな些か哲学的な事を考え始めたとき、高らかで陽気な声が上がった。 「やぁ! 待っていたよ、ラティーフ! なんだ、今日は一段と男前じゃないか」  優雅に歩いてきた男は少し小太りで、当たり前のようにカンドゥーラを身につけ、当たり前のように整った髭を蓄えている。  記憶の中の彼と同じように、現実の彼は人好きのする笑顔を惜しみなく振りまいていた。 「こんにちは、お久しぶりです。ムハンマド・アル=ハーリド」 「うん、いつぶりかな……いつだったかの会議ぶりか? 君とここで握手ができることが嬉しいよ」  そう言ってにこやかに差し出された手を取り、私は出来うる限りの笑顔で彼と握手を交わした。  アポを取り付けたのは一昨日だというのに、ムハンマドは嫌な顔一つこぼさない。彼の心の広さに感謝しながら、私は宇宙開発研究の大スポンサーであるムハンマドの後ろにひっつく研究者達を見た。  その中には蓬髪の、痩せたメガネの白人男性がいた。彼の横に寄り添うように立った金髪の青年は、びっくりしたように目を見開いている。ということはあの神経質そうな白人男性が、噂に聞くミスター・アニントンなのだろうと当たりをつけた。  ノルは驚くと猫のように瞳孔が小さくなる。その顔はとても可愛らしいと思うが、私はポーカーフェイスが苦手なので、殊更愛おしい猫を意識しないように努めてムハンマドとの温かい握手を終えた。  今日この場に赴いた目的は、ノルの迎えではない。いや、時間的にタイミングが合うならば一緒に帰ることもやぶさかではないが、とりあえずそれはおまけのようなものだ。  私の主な目的の方――ムハンマド・アル=ハーリド氏は、ころころとした艶やかな顔に柔和な笑顔を見せながらも少しだけ傲慢に目を細めた。 「君が自ら出向いてくれるなんて光栄すぎるな。今度はなにか、趣向が変わるような物を食べたのかい?」  前回の彼の誘いを断る言い訳は『腹の調子が悪いので』だった事を少々当てこすった言い方だ。しかしこの程度の冗談で済ましてくれるムハンマド氏はやはり、私などよりも格段に心が広い人物だと再確認する。 「先日は折角お誘いいただいたというのに、申し訳ありませんでした。腹の調子は万全ですよ。どうも私は、魚介類に縁がない」 「水の中の生き物は時として我々の命も奪うからな! それならば私たちのディナーのメニューは肉で決まりだ。しかし晩餐の前に、ぜひこの施設を案内させてほしいのだが。君が宇宙に興味があったなんて初耳だな。……いや、この際無礼は承知で言うが、本当かい?」  私の急な接近に対し素直に首を傾げ訝しるムハンマド氏に対し、苦笑を零した私は顔の力を少々抜いた。 「最近急に、と言ったらとても怪しいでしょうね。実は少し前に、宇宙開発に関わる友人ができたことがきっかけです。彼の話で、随分と興味深い分野だということを知りました」 「ほう。しかし宇宙と言っても広い分野だ。海に興味がある、と言っても海洋生物、海流、地形、成り立ち……全てが別の分野に相当する。それと同じだな。ラティーフ、君が興味を抱くものは?」 「まだ私は全てにおいて初心者ですが。……私はフォボスに興味がある」  この言葉に、楽しそうに笑顔を深めたのはムハンマドで、ハッと息を飲んだのはノルだった。 「フォボス! 火星の周りを必死に走る衛星か。あの小さな星が、アブダビの偏屈な若者の興味を引いたというのは、これは心踊る話だ! ……あー、いや、失礼。決して君を愚弄しているわけでは……」 「私は私自身の事を『偏屈な人間』だと十分心得ておりますよ。そしてまだ勉強を始めたばかりの初心者です。それでも宇宙に『希望(アル・アマル)』があると信じ始めています」  火星へむけて打ち上げ予定の我が国の探査機の名前を口にすると、ムハンマド氏はより一層笑顔になった。ただのひやかしではなく、純粋に宇宙事業に興味があると少しでも伝わっていれば、と思う。  寛大でにこやかなムハンマド氏は、私をとある富豪だと研究員たちに紹介する。いつでも研究のための資金を求める学者たちは、不器用な笑顔で私を快く迎えてくれた。  それは単に金目当てということではなく、私が宇宙に惹かれていると明言したせいかもしれない。  私はこれから、火星に興味を持つ金持ち、ムハンマド・アル=ハーリド氏と個人的なディナーの約束をしている。その約束には若干打算的な部分もあったが、久しぶりにきちんと対峙した氏はなんというか、気の良い変人といった風で、私は胸の内に抱いていた不安を取り払う事が出来た。ムハンマド氏との会食は非常に有意義なものになるだろう。  彼はとても良い人間で、そして金を持っていて、やはり変だ。有り余る金を宇宙などという手の届かない場所へ放り投げるというのだから、どう考えても私以上の変人だろう。  直接夕食の店に出向けば良かったものの、宇宙センターに寄り道をしたのは、ムハンマド氏に誘われたからだ。かの変人富豪はやはり誰かれかまわず宇宙の話をしたいようだが、今なら私もその気持ちがわからなくもない。  一通り施設の中の説明を聞き、気になる部分や興味の沸いた部分を質問し、件のアニントン教授とも一言二言話した。彼の耳馴染みのない固い英語は、隣の麗しい青年が綺麗なアラビア語に変換してくれる。  とても有意義だった旨を伝え、さてでは夕食の席に移動しようかという流れになった際、私はちらりと時計を見た。研究者たちがどのような勤務スタイルを取っているのかわからないが、いつも大体ノルが帰ってくる時間に差し掛かっている。  すっかりご満悦のムハンマド氏に断り、私はこの施設で働く友人に声をかけた。 「ノル。ちょっといいか」  奥の方でなにやら書類の整理をしていたらしいノルは、はっと顔を上げると緊張した面持ちでこちらに走ってくる。 「はい、えーと……何でしょう、アル=アブドゥッラー……さん」 「いつも通りでいい。私も君も、仕事じゃないからな。君の事を友人として紹介したいんだが」 「え。え? え、でも、僕ただの通訳ですよ?」 「私の友人の職業が何かなど、紹介するときに必要ではないだろう?」  私の言葉にノルは口を塞ぎ、そして呆れたように息を吐く。仕方ない、という風に零れる彼の表情の変化が好ましい。が、勿論そんな感情は精いっぱい押し込み、私はさらりとムハンマドに異国の青年を紹介した。  勿論、ムハンマド氏が喜ばない訳がない。  君がラティーフを陥落させた人間かと、少々語弊がありそうでその実まったくその通りの事を並べたて興奮した氏は、良ければノルも食事を一緒に、と誘ってきた。最初は慌てて辞退の意を叫んでいたノルであったが、結局全てはムハンマドの要望通りに事が運んだ。どうやらノルは、私達が聞き分けのよくない大人だということに気が付いたらしい。  呆れたような顔をした後に、肩を竦めてから笑う。仕事は片付いたので、という彼の言葉を信じ、私とイーハはノルを連れて宇宙センターを出た。  運転席にイーハが乗り込み、私は後部座席に、ノルは助手席に乗る。  そこまで私達は穏やかに談笑を続け、スマートに車を発進させた。 「……え。僕本当にあの大富豪とディナーしなきゃいけないんですか!?」  最初に声を出したのはノルだ。それに答えたのはイーハで、彼の声は今日もいつも通り平坦なのだが、妙に浮ついた明るさがある。その原因に心当たりがある私は、苦笑交じりに外を眺めながら二人の会話を聞く。 「勿論。何のために貴方を攫いに行ったと思っているんですか。これから貴方に似合う小奇麗なジャケットを見繕うためですよ」 「えー……僕はまた、見るからに大富豪な見た目のラティーフと仲良しな通訳アピールで、アニントン教授に嫌がらせする目的かと……」 「残念ながら三割くらいはそれも目的の内です。見ましたか、あの目を見開いた驚愕の顔。大変最高です。清々しい。私は権力とか金とかそんなものをひけらかす人間は大嫌いですがね、使えるものは使っていくべきだとは思います。大変、いい気味です!」 「確かにミスター・アニントンは、かなり驚いていたとは思うが……あの人が君たちの敵か。そんなに偏屈そうには見えなかったが……」 「敵ではありませんよただ個人的に気にくわないだけです。あとノル、言い訳をさせていただくと、本当に今日はムハンマド氏にお誘いを受けて宇宙センターに顔を出したのですよ。元々氏からラティーフへの食事の誘いはありました。延期に延期を重ねていたディナーが現実になっただけです。……大人げないと思いますか? いや大人げないですねわかります。わかっています。わかっていますが私はいま気分がいい!」 「落ち着いてくださいよイーハ、大人げないとか思ってないですよちょっと反撃とかしちゃう貴方達はとても、えーと……なんかこう、かわいい、です……僕もちょっとだけ、すっきりしちゃいました。友達の自慢が出来て嬉しい」  笑い声を洩らすノルの顔を、直接対面して見なくて良かったと思う。彼のはにかんだような笑顔の麗しさは、私を大いに動揺させるに違いない。 「貴方の心が宇宙のように広くて助かりますよ、ノル。それともう一つとても大事な事をお聞きしたいのですが、ラティーフの顎の髭についてですが――」 「その話本当にするのか。いいじゃないか、三日で伸びるんだから」 「そうもいきません。最早これは私の命題です。ノル、彼の髭をどう思いますか?」 「髭……え、髭? あー髭……格好いいと、思いますけど。あのー、もしかしてラティーフ、最近ずっと会えなかったのは、まさか、髭を伸ばす為、とか……?」 「…………………己の髭面が嫌いなんだ」  彼の問いかけにイエス、と答えるには勇気がいる。  私の髭の生えた顔をできるだけ見られたくない、という彼にとってはどうでもいい理由で、この三日間ノルとの接触を避けていた。  実のところ私が盗み聞きしたせいで発覚したお互いの感情について、まだ整理ができないという理由もあるにはあったが、それはとりあえずは置いておこう。……と、思ったのだけれど。 「良かった……僕、うっかりこの前貴方にそのー、ほら、いろいろバレちゃったから避けられてるのかなーとか、勝手に悲しくなってました」  やはり彼を不安にさせていたということを知り、私は己の不甲斐なさを大いに反省する事となった。 「あ、でもそうじゃないならいいんです! 髭かっこいいですね、なんだか中東の映画俳優みたい。他の人よりちょっと背が高いからかな。格好いいけど、伸ばす度に僕に会ってくれなくなるなら、いつもの外国人観光客の仮装をしたラティーフの方がいいです。ていうかどっちでもいいんですけど、うーん……あーでも、僕はつるりとした方が好き……」 「ノル。口を閉じて。それ以上は私の主の心の許容を超えていますよ。あと私は貴方ならば私の味方になってくださるものと信じていたので、今ひどく残念な気持ちでいっぱいです」 「えー。イーハは髭派なんです?」 「というか献身的で誠実な部下として、主の威厳の為に髭を強要しています」 「あはは。イーハは強いですよねほんと! そういうところ本当好きです。そういえばラティーフ、さっきの話なんですが……」 「うん?」  実際に様々な物の許容量を超えた私は経典を唱えて心を落ち着かせていたのだが、名前を呼ばれて意識をふと前方に向ける。 「さっきの話とは?」 「さっき、ミスター・アル=ハーリドに言っていた事です。貴方がフォボスに興味を持っているなんて知りませんでした」 「ああ……それは、君が熱心に話してくれたからだ」  これは本当の事だ。あの砂漠での夜、星空を見上げながら彼が呟いた言葉は、十分に私の心を揺さぶった。  フォボスに憧れる。そう言った彼の瞳がまっすぐと捉えた星の海を、私はいつでも羨んでいる。火星の軌道を回る衛星。冷たい宇宙の中で、慣性だけで走り、そしていつしか火星に墜落する、小さな塊。 「フォボスは火星に、熱烈な恋をしているようだと、思った。そう思ったら、どうにも……いつか墜落する小さな星に、興味が湧いた」  些かロマンチストすぎた、と思った。しかしノルは嘲笑する事も、驚く事もせず、柔らかに笑みを零したようだった。 「恋かぁ……ああ、でも、そうなのかも。フォボスは火星の引力に捕らわれて衛星になったと考えられています。火星に捕らわれて、逃げ出せもせずに毎日三回も顔を出して、そのうち火星に追突しちゃうんですから、確かに恋みたいなものかもしれませんね。……かなりロマンチックな例えですけど。僕もそういう例えができたら、オフェリアに雰囲気が台無しとか言われなくなるのかなぁ」 「だが君の言葉は美しい」  だからとても好きだ、と、続けそうになった言葉を飲み込む。私の不自然な沈黙はどうやら伝わってしまったらしく、ノルも不自然に黙ってしまった。 「……お二人がとても気の合う素敵な関係だということは嫌というほどわかりましたので、もういい加減どのように関係性を落ち着けるのか、お話し合いをしては?」  しかし沈黙をさっくりと破ったイーハの言葉に、私達は肩を落とす。まったくもってその通りすぎるのだが、秘書に言われる話題ではない。私と同じことを思ったらしいノルも、随分と情けない声を上げた。 「……イーハ……いや、うん……そうなんですけどー……」 「おまえ……本当に不躾だな……」 「なんとでもどうぞご自由に罵倒なさってください。私は貴方がたに嫌われない自信だけならば、この場の誰よりも持ち合わせておりますので」  とりあえずは今日の食事を円滑に。それ以外の問題はその後に、と私はまた棚上げにしてしまう。  あと何日あるのだろう。あと何日、私は彼と共に過ごせるのだろう。私はその間に、この感情と関係をどういう方向に落ち着けるのだろう。  まだ、うまく纏まらない。とにかく私はノルの事を大事に思っている。そしてノルもどうやら同じような気持ちらしい、という事は知っている。後は私がどの程度、私の宗教と向き合い、ノルかそれとも神か、どちらに譲るのか決める事になるのだろう。  生まれた時から祈りを捧げる神に、背くことはできない。  けれど私は、もう一人では抱えきれない想いを、一人の青年に抱いている。 「……ノル、近々……あーいや、明後日。明後日なら暇だ。明後日、あれだ……食事に行くか」 「えっと……はい、あのー……喜んで」  棚上げしている問題を少しでもどうにかするべく、私はやっと彼にそう声をかけることに成功した。  ただし、私達の運命を決めるディナーはこの後、実現することはなかった。それもまた運命という奴なのかもしれないが、この時の私には、数日後に訪れるなんとも言い難い運命の事など、知る由もなかった。

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