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第13話

 地球って丸いんだよね、と呟いたら、隣でタブレットを弄っていたオフェリアが顔を上げた気配がした。 「……なぁに、それ。哲学? ポエム? あんた疲れてるの? それともそんな今更なことにやっと気がついたの?」  オフェリアが言葉を募らせる時は、大概とても気を使っている時だ。彼女は興味がないものに関してはズバッと一言『煩い』と言うだけに留めてしまうから。  今日は日曜日で、チャックは最近なんだか忙しそうで部屋から出てこないし部屋に入れてもくれないし、チリコとグレッグは朝から買い出しに行っている。リビングスペースで日曜の午前を怠惰に過ごしているのは、僕とオフェリアの二人きりだ。 「なんかね、イギリスはこんなに寒いのに砂漠の国は今頃灼熱だし、それって当たり前みたいで不思議だよねって実感してさぁ。地球が丸くてぐるぐる回ってるから、僕達には夜と昼があるし、地球がちょっとだけ傾きながら太陽の周りをぐるぐる回ってるから冬とか夏とかあるし、地球が丸いから赤道とか北極とか南極とかあるし……」 「当たり前すぎてあんたが疲れてるってことしかわかんないわ、ノル。あと、あんたが人恋しくて死にそうだってこともびしばし伝わってくる。彼の住処は今、暑いの?」 「んー……アブダビ……アブダビは、いまねー、四十五度だって」 「それ華氏じゃなくて摂氏? 信じられないわね、絶対行きたくない」 「室内はだいたいエアコン完備だから暑いと思うことなんて少ないよ。むしろちょっと寒いくらい。鉄道も綺麗だし、わりとみんな親切だから、規律さえ守れば安全な観光地って感じだったなぁ。僕観光あんまりしてないけど」  僕の中のアブダビは、綺麗な観光地でも情緒あふれる民族の国でもない。エアコンが効いていてちょっと甘い匂いのする、大きな屋敷が僕の思い出の大半だった。  一度、ショッピングモールに出かけて、砂漠のリゾートホテルに行ったけど。その時の一面の美しい星の瞬きは、目を閉じるだけで今も思い出せる。  そしてあの星空を思い出すたびに僕は、先日彼からもらったメールの最後の一言を思い出しては、胸が詰まって鼻の奥が痛くなる。  私はフォボスに憧れる。  それは、僕があの砂漠のリゾートホテルのテラスで、なにげなく告白した言葉と同じだ。  僕は、フォボスに憧れる。それは、僕たち人類が最先端の技術を総動員しても手が届くかわからない火星にいつか必ず堕ちる、不運な衛星を羨む言葉だった。  フォボスはいつか必ず火星の地面と出会う。  けれどラティーフの言葉には、僕の言葉とは別の、甘くて重くて痺れて泣いちゃいそうな感情がずっしりと詰まっていた。  彼は、フォボスは恋をしていると言った。  火星の魅力に囚われて何度も空に登る衛星、フォボス。  焦がれるフォボスはいつか、愛おしい火星に激突する。それがフォボスの最期だとしても、かの衛星は焦がれる火星に触れることができる。  愛しい人に触れることができる、あの衛星が羨ましい。  そんな風にしか聞こえない言葉に僕は動揺しすぎてチャックに心配されまくり、いやでも僕の妄想かもしれないしほんとにただフォボスいいよね! なんかかっこいいしさ! って意味かもしれないし、と思ってこっそりオフェリアにメールを見せたら胸焼けするわ最強の愛の告白ね、と呆れられてまた死にそうなくらい動揺した。  ラティーフは常に優しくて甘いけど、彼はメールの文面すら甘い、ということを知った。  いままでの僕は、イーハの名前を借りた彼しか知らなかった。優しい言葉の羅列は全てが柔らかく、僕はメールを保存しただけでは飽き足らず、クラウドにも保存したし、印刷していつでも眺められるようにクリアファイルに潜ませた。  私は、フォボスに憧れる。  その一言が、こんなにも僕を捕らえるなんて、きっとラティーフは思ってもみないことだろう。 「……こんなことならもうちょっとこう、時間を大切に思い出作ってきたらよかったなー……」  思い出しては愛しくなったり悲しくなったりと忙しい僕が呟くと、隣のオフェリアはさらりと言葉を返してくれる。 「あらやだ珍しいことを言うね、ノル。あんた、時間なんて過ぎていくだけの科学記号みたいに思ってるくせに」 「んー。オフェリアは占い師とかカウンセラーが向いてると思う」 「いやよ。他人を観察して理解するなんてまっぴら。あたし、好きな子にしか気を遣えないの」  なんだか今日は妙に優しい僕の同居人は、ちらりと時計を見てからタブレットに目を落とし、ところであんた暇よねとうだうだしている僕の頭を叩く。 「まあとくに、やることはない……ドイツ語の辞書を捲るくらいしか予定はないけど」 「じゃあヒューストン会議。今から三分後」 「え。今から?」  ヒューストン会議というのは、大層な名前が付いただけのシェアフラット内のミーティングだ。  僕達は結構大きなフラットを五人でシェアしている。性別も職業も年齢も結構バラバラで、人種さえもごった煮って感じだ。  基本的にはただ同じ建物を使っているだけで、各自一人暮らしのような感覚で生活している。それでもキッチンとシャワーとトイレは共有だし、色々皆で話し合う事が必要になったりもする。  チリコがお風呂の水を使いすぎる問題とか。チャックが夜中垂れ流す音楽が煩いからどうにかならないのかとか。  そういう問題が持ち上がった時、僕達はヒューストン会議を開く。そしてかなり公平で頭の良いオフェリアと、結構我儘で無茶苦茶なのに頭だけはいいチャックが主体となり、言いたい放題のディベートを繰り広げるのだ。  ディベートって言葉かっこいいから好きだけど、まあ、要するに口喧嘩だ。それでも仲が悪くならないから、僕達は本当にうまくやっている。  けれど今、緊急に口論が必要な案件なんてなかったと思う。たぶん。僕がグレンジャー教授のところに引っ越す話はとりあえずドイツ会議が終わってから話し合う、ってことで保留になったし、最近はトラブルメーカーのチャックもチリコもおとなしい。 「なんか話し合うことあったっけ……? あ、またチャックがでかいパソコン買った件について?」 「個人の買い物には口出ししないルールだし、リトル・ヒューストンの床が抜けなきゃどうでもいいわ。今日のヒューストン会議の議題は『宗教と愛』よ。または頭の固い異教徒の口説き方」 「……オフェリア、それって、」 「ただいまー! 間に合った? ヒューストン会議間に合った?」  バン、と派手な音を立ててリトル・ヒューストンの玄関ドアが開く。チリコはいつもバタバタと動くせいで、よくチャックに怒鳴られているけれど、何度言っても彼女はドアを思い切り開く。  ラフなシャツにロングスカートのチリコの後に、派手なティーシャツの背の高いグレッグが続いて帰宅する。抱えていた荷物をどさりとダイニングテーブルに置き、グレッグとチリコはダイニングの椅子を引っ張って来た。  いつも時間に遅れるチャックは、オフェリアが声を張り上げてからのこのこと出てくる。欠伸をしているからきっと徹夜明けだ。手元の携帯端末を操作しながら、低いスツールソファーに座る。  僕が状況についていけないうちに、さて、とオフェリアは手を合わせた。 「ヒューストン会議……えー、第何回か忘れたわ。多分今年六回目。今日の議題は『宗教と愛』または――」 「時間ないからさっさといくぞー。タイムリミット最長でも三時間で頼むわ。さくさく行くからよろしくリトル・ヒューストン」  端末から視線を上げずにチャックが若干の早口で捲し立てる。忙しい時のチャックはちょっと怖いくらい能率的で、なんだかイーハみたいだと思う。 「え、何、これ何?」  一応オフェリアに向かって問いかけてみるものの、短髪の美女は『だからさっき言ったじゃないの』と事も無げに言うだけだ。 「あんたとあんたの彼氏の言い訳をみんなで捻りだす会議よ。お節介だとか言わないでよノル」 「言い訳……」 「そう、言い訳。敬虔な宗教家であるラティーフ・オマール・アブドゥッラーが、禁断の愛を貫く為に必要な言い訳」  なんでそんな事、と訊くと、だって好きなんでしょと返される。  そんなことないだなんて嘘はつけなくて、僕はぐっと黙ってしまうのにオフェリアは容赦ない。 「あんたの人生なんだからあんたの選択をあれこれ言いやしないけどさ。諦めたくないものをひとりであーだこーだ言い訳して諦めるより、とりあえずみんなで足掻いてみたらいいじゃないのって思っただけ。あたしマッチョだから駄目なのよ、思考回路が暑苦しいのよね。あんたとあたしが友人なんていう素晴らしい間柄なのが悪いんだから諦めて、ノル。諦めてあの頭の固い金持ちを説得してキスを迫りましょ」 「……キス、迫れると思う?」 「失敗しても死にゃしないわよ。だってあちらの神様は自殺を許さないから。まったくあれこれうるさい神様よね、しかも隙がない。ところでもう一回訊くけどノル、彼のこととっても好きなんでしょ?」 「…………すき、です」 「よろしい。ちょっとやだ、そんな言葉だけで照れないで胸焼けするわ」  だって言葉ってすごい。  好きとか愛してるとか、思っていてもずっと飲み込んでいた。ラティーフの神様は、僕が彼に恋をすることを許さないから。  一回口に出した言葉はすごく強く意味を持って、僕の耳から再度僕の中に入ってくる。  彼のことが好きだ。  彼の真面目で固くて、でも思いやりに満ちた言葉が好きだ。普段口から零れる気持ちのいい声も好きだけど、きっちりと羅列された几帳面なメールの文章だって、ちゃんと読めば優しくて柔らかい。  アラブ人っぽくない外見も僕は好きだ。イーハは髭を伸ばしてほしいみたいだけど、ツルツルの顎の方が似合うと思う。俳優とかモデルみたいで、真剣な表情なんて本当に見とれてしまうくらい格好いい。僕の好みじゃないのは本当だけど、それは置いといて一般的に絶対に格好いい。  仕方ないと他人を許す時、ゆっくりと深い息を吐くのが好きだ。  優しい彼の寛容な息が好きだ。  好きだと言葉にしてしまったら止まらなくなって、ちょっとパニックになった。あわあわしている僕の背中をバシンと叩いて(ちなみにこれすごく痛い)、オフェリアは笑った。 「あたしたちには金はないけど考える頭とアウトプットする口がある。屁理屈だとしても、言い張ればなんとかなったりすることだってある。思想とか思考だって結局は言葉だ。誰かの言葉が、他人の人生をちょっと軽くすることだってあるわ」  こんなの泣きそうになっても仕方ない。  僕はあんまり他人の言葉に感動したりとかするタイプじゃない、って思ってた。でもどうやら、友達の言葉には大いに感動しちゃうらしい。  感動的なオフェリアの言葉を引き継いだのはチャックで、彼はパンッと手を叩いてみんなの注目を集めた。 「さくさく行くっつってんじゃんよ。まずは? 現状確認? つかノルがゲイだって全員知ってたっけ?」 「あたしとノルは最初の自己紹介でちゃんと言うわよ。あえて毎回主張するようなネタじゃないからよく忘れられるし、プライベートな相談は二人のうちに秘めちゃうけど」 「あーそうだっけ……なんかたまに忘れんだよなー。でも石油王とは相思相愛なんしょ? 泣き落とせばいけそうじゃね?」 「駄々こねて大富豪困らせてハッピーエンドになるわけないでしょあんた恋愛シュミレーションゲームなんのためにやってんのよ」 「二次元の女の子の下着見るためだっつの、あんなんで対人スキル上がるかっての。なぁチリ!」 「えっ、なんで私に振ってくんの……いやまぁ、その、確かにゲームと現実は違うけど、選択肢無限大だからゲームよりはほら、トゥルーエンドの選択肢も多いはず……問題は宗教の概念だけ?」 「この際距離とか歳とかどうでもいいわね、ノル。あんたのフットワークはわりと軽いし、年の差も人種の差もささいなこと。そう、問題は宗教。偉大なるアッラーから、彼をどうやって奪うか」  これは本当に難しい問題だった。  リトル・ヒューストンのリビングで円になった僕たちは、一斉に頭をひねる。  僕は宗教がよくわからない。でもわからないなりにも、それがあの国の人たちの人生の中心に位置していることは理解した。  生活に、人生に、もしかしたら命そのものに、信仰が根付いている。  禁忌はただのルールじゃない。ちょっと言い方は悪いかもしれないけど、決して破ることのできない呪いのようなものだ。 「例えば、神様が休息する日とか、そういう日は無いの? 神様の目から逃れられる日……」  果敢にも手を挙げたグレッグに、オフェリアがタブレットをいじりながら答える。 「うーん……ぱっと見、ないわねー。軽い感じの信者は『海外ならオッケー』みたいなルールを勝手に信じて飲酒したり豚肉食べたりしちゃってるみたいだけど。要するに不真面目な例だからなんの参考にもならないわね。アッラー、全知全能で世界どこにいても存在するらしいわよ」 「そっかぁー。休みなしなのねーアッラーさん。神様の休息日とか神様の目を潰して今がチャンス! とか悪くないと思ったんだけどなー」 「こえーことサラッと言ってんじゃねーよジャパニーズ、神さまの概念どうなってんだよ……。まー確かに、目隠しは割合ロマンティックぶった理由付でいーんじゃないの。神さまは今見てない! っての、古い映画にありそうじゃん」 「全能の神さまに隠せる目があればねぇ……」 「でも、彼とノル、二人の問題なんだから、ノルの神様の方にちょっとだけ配慮してもらうってのはダメなのか?」 「パートナーは平等スタイルね。……ノル、あんたの信仰する宗教は?」 「一応国教会だと思うけど、最近はよく火星に向けて祈ってる、けど特定の宗教ってわけじゃないしなんていうか、今のところ僕しか信者のいない宗教みたいなもんだから――」 「それ。それいいんじゃない!? 新しい宗教作ってさぁ! 同性愛おっけーにしたらいいんじゃない!? そんで石油王にノルの宗教に鞍替えしてもらお!」 「チリ、あんたそんな簡単に無茶苦茶なこと――」  と、オフェリアが苦言を呈す前に、僕たちの会議はドアチャイムに中断された。  リトル・ヒューストンにはやたらと荷物が届く。その八割はチャールズ・ヘンストリッジ宛てだから、ドアチャイムに反応するのは大概チャックだった。  だからその時も僕はチャックがまたなにかおっきな荷物頼んだのかなーとか、新作の日本のゲームかなーとか、でも最近よくわかんない世界のネット注文お菓子みたいなのにはまってたしそれかなーとか、そんなことばかり考えていた。  まさか、リトル・ヒューストンの玄関先に、見知った懐かしい人が――イーハが立っているなんて思いもしなかったから。 「…………え、は……え!?」  チャック越しに彼の顔を見た僕は、見間違いかと思って思い切り顔を顰めてしまった。びっくりしすぎると人間は思いもよらない顔を晒しちゃう。  いつものきっちりとしたシャツとネクタイに、ベストを着込んだイーハの顔は涼しい。汗ひとつかいていないイーハは、夏のイギリスの光景に馴染んでいた。  そういえば彼はアイルランド人だ。アブダビのあの大きな屋敷が妙にしっくりきていたから忘れがちだった。 「こんにちは、どうも生身でははじめましてですね。ノルは久しぶりです。まぁまだ一週間も経っていませんが……髪型変えましたか?」 「え、ああ、えーと、これは朝チリコが勝手に編み込んだまま……え、なんで? なんでイーハが、イギリスに……?」 「私は私の仕事を粛々とこなしに来ただけですよ。まずは貴方に、お荷物のお届けです。動いて喋るので多少はうるさいですが、ノルは気に入ってくれるでしょう。ああ、サインはいりません。私は宅配業者ではなくただの秘書なので」 「……主人を荷物扱いする秘書がどこにいる」  さらりと、深い声が響く。  それは耳に馴染む不思議なアラビア語だ。  もしかして、と思っていた。思っていたけどまさか本当に、彼までイギリスに来ているなんて信じられなくて、僕はちょっと笑いそうになる。  いや、別に囚われのお姫様じゃないんだし、彼の宗教は旅行を禁じてはいないし、勿論裕福な人だから国外に出ることなんて造作無い筈だ。  それでもきっと会いに来てはくれないんだろうな、と諦めていたのは、僕たちが馬鹿みたいに真面目なせいだ。だって会えば気持ちが先走る。きっと好きですと口走ってしまう。  ラティーフとは、あと半年くらいは会わない心づもりだった。  半年もすれば、お互いちょっとは落ち着いて、なんとなく落とし所が見つかるんじゃないかな、なんて思っていたから。  それなのになんであなたは僕の家の玄関の向こうで、僕と同じく眉を寄せているのだろう。  まったく理解に苦しむ。  現状から冷静に考察することを諦めた僕は、もう考えることを諦めて、イーハに向かって愚直に問いかけた。 「で、えーと、なんでここに? 仕事って、会議か何かです?」 「いえ、私の主のバカンスの準備です。ラティーフはいつも通りの無欲なバカンスに、相対性理論と宇宙の本をリクエストしてくださいました。勿論私が見繕ってもいいのですが、紙の本はかさばりますしデータで読むのは目が痛いと煩いものですから。それならば動いて喋る専門家を同行させた方が早い、と考えました」 「バカンス……バカンス? 待って待って、それ、僕のことです? つまり僕は今、ラティーフのバカンスに同行するように求められている?」 「パスポートとビザの準備は完璧です。そちらのチャールズが随分と積極的に協力してくださいました。私が手配した宿は少々熱い場所にありますので、帽子と日よけの準備も必要ですが……」  イーハの視線を受けたチャックが、ぞんざいに後ろを振りかえる。一緒に僕も振り返ると、チリコとグレッグが親指を立ててダイニングテーブルの上を指さした。二人がさっき抱えてきた荷物はきっと、僕の旅支度用品なのだろう。  どうしていいかわからない僕は、とりあえず一番手近なチャックを睨む。飄々とした親友は、壁に凭れたままわざとらしく肩をすくめて眉を下げた。 「誕生日プレゼントだよ。ハッピーバースデイって言葉で言っただけじゃ足んないっしょ、やっぱ派手に祝わなきゃさぁー。あ、でも旅の装いは選んでねーから今から選ぶぞー。フライトまでえーと、」 「あと二時間半ですね。まあ、最悪その身一つでも問題ないでしょう。少々強引に事を進めた自覚は勿論ありますが、私の代わりに、私の主とバカンスを楽しんでくれますね?」  珍しく微笑んだイーハの後ろで、額に手を当てるラティーフがひどく照れている様がうかがえた。  僕はちょろい。でも多分、ラティーフの方がちょろいと思うよ。彼ってば、僕のどこがそんなにツボなのか全然わからないけれど。 「あの、えーと。……僕でよければ願ってもない、バカンスのお誘いですけど……でも、平気なんですか? その、神様的なアレとか」 「そちらの方はこれから貴方達が発つ二時間半の間にどうにか足掻いてみるつもりです。随分と白熱していらっしゃるようですが、手ごわいですよアッラーは。なにせ隙がありませんから。しかし私はこの度、憧れの台詞をぜひこの口から言わせてほしい。――後は任せてお行きなさい。信仰の問題も、これからの先の問題も、とりあえずは置いておきなさい。貴方がやるべきことは、まずは旅行の服を選ぶことです」  なんてずるいことを言うんだろう、この人は。なんて、ちょっと感動してしまった僕だったけど、よくよく考えたら何も解決してないしすごく強引だ。やっぱりイーハは強くて最高だ。不躾でデリカシーはチリコとチャックの次くらいになくて、でも僕達に嫌われない度胸があるから大好きだ。  感動している僕は、照れているのかそれとも頭が痛いのか判断つかないラティーフと共に、僕の自室につっこまれる。  オフェリアとチリコとグレッグは相変わらずアッラーに勝つ方法を熱く議論している。そちらに目を向けたイーハは無表情なのに随分と嬉しそうに見えた。 「そもそも神と宗教に優劣はないでしょ?」 「戦って! 勝った方が! 正義なんだよ!」 「チリ、あんた最近なんのアニメ見たの? だいたいどうやって競うの」 「んっ。んー……コインゲーム?」 「運じゃないのそれ」 「……中々面白おかしい議論になっておりますね。あ、飛行機の時間まで貴方は自由時間で結構ですよラティーフ。私は皆さんの白熱した会議に参加させていただきますので。心躍りますね。こんなに気分が良いのは久しぶりです。私は貴方の神を尊重してはおりますが、一度本気で対抗してみたかったんです」 「恐ろしいことを言う男だな。……これ以上更に飛行機に乗せられるのか。お前は私を……私とノルを、どこに捨てに行く気だ」 「バカンスはどこでもいいと言ったじゃありませんか」  文句はききませんよ、と言ったイーハに向けて深い息を吐くラティーフが、ふと僕の方を見る。  視線が合う。僕はずっと彼を見ていたから、そりゃ合ってしまう。  ラティーフはいつもの、仕方ないなという優しい息を吐いて、ほんの少し眉を下げた。  久しぶり、と声をかけるべきなんだけど。  なんだか、胸がいっぱいで、言葉はうまくまとまらず僕の喉からは掠れた息のようなものだけが漏れた。  ただ、自分でもびっくりする程好きだなと思って、僕は少し笑ってしまった。

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