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番1

 舞台は大成功のうちに幕を閉じた。  鳴り止まない拍手と歓声を受け、再び緞帳が開く。  煌びやかな衣装に身を包んだ演者たちが、客席に向かって笑顔で手を振っているが、そこにノアとデニスの姿はなかった。  小さなざわめきが次第に大きくなる中、ランドルフは勢いよく席を立ってロビーへ出た。 「どこへ行くんだ!」  フレッドの問いかけにも答えずに、ランドルフは脇目も振らず早足で進んでいく。  初めて訪れる劇場にも関わらず、その足に迷いはない。  なぜなら彼の目指す先は、甘い芳香が教えてくれるからだ。  本能の赴くままに、ランドルフはその足を進めた。  早足はやがて駆け足となり、遂にはロビーを全力で駆け抜けていた。  目の前に現れた“関係者以外立ち入り禁止”の看板と鎖を追いやると、奥を目指してひたすらに進む。 「お客さま! ここから先へは立ち入らないでください!」  制止の声にも立ち止まることなく、奥の部屋へと向かうランドルフ。  勢いよく扉を開けると、中から一際甘い香りが噴き上がった。  そこには全身を真っ赤にしながら荒い息を吐くノアの姿が。  ランドルフと目が合った瞬間、ノアは大輪の薔薇を思わせるような極上の笑みを浮かべたのだった。 **********  舞台を降りた瞬間に限界がきたノアは、その場に崩れ落ちた。  体の芯が燃えるように熱く、全身に汗が滲んだ。  全身の疼きが止まらない。  意識が朦朧として、一言も話すことができないノアは、デニスに引き摺られるように楽屋へ戻ったのだった。 「ノアにいさん、まさか発情期?」  首を振って否定したが、その姿は見るからに発情しているようにしか思えない。  デニスから発情抑制剤と水を手渡され、大人しくそれを飲んだノアだったが、こんなもので治るわけがないことはわかりきっていた。 ――この疼きは、彼にしか治せない。  ボックス席で自分を見つめる、黒い髪に黒い獣の耳の男。  愛しいいとしい、己の番。 ――犬? それとも狼? 凛々しいけれど、どこかまだあどけない顔をしていた……。  彼の顔を思い出し、顔を綻ばせたノア。  それは長い間ともに過ごしてきたデニスすら見惚れてしまうほど、とてもとても美しいものだった。 「ノアにいさ」 そのとき、外が騒がしくなった。 「なに?」  デニスは驚き、慌てふためいたが、ノアにはわかっていた。  刻一刻と濃くなる匂い。  蜜のような甘い香気が、自分の元へと近付いてくる。  ガチャリと音を立てて扉が開いた。  そこにいたのは、思っていたとおりの人物。 ――僕の、運命。  ランドルフを見た瞬間、高鳴る鼓動、湧き上がる感情。  彼の全身から迸る香りが、自分の発するフェロモンと混じり、絡み合うのがわかった。 ――僕だけの、番。  脇目も振らず、ランドルフの胸に飛び込むノア。  ランドルフは腕を大きく広げて、それを受け入れた。  目が眩むほどの芳香を吸い込んで、ノアの理性は今度こそ崩壊した。 「お願い……」  それだけ言うとランドルフは心得たとばかりに大きく頷き、自分のジャケットでノアを包むと、そのまま横抱きにして部屋をあとにした。 「ノアにいさん!!」  デニスの悲鳴や、劇団員の咎め立てする声が聞こえたが、ランドルフは気にも掛けずに歩き続けた。 「ランドルフ!!」  行く手を遮るフレッドを睨み付けたランドルフは 「どけ」  と一言吠えた。同時に発せられる、アルファ特有の威圧。  普段のランドルフからは想像もつかないほど強大で苛烈なオーラに、フレッドは恐怖すら感じた。 「ね、早く……」  苦しげなノアの声が聞こえる。 「あぁ、そうだな」  蕩けるような笑顔で応えたランドルフは、再びフレッドに鋭い目を向けた。  その眼差しに恐れ慄き、一歩後退ったフレッドの横を、ランドルフは足早に通り過ぎて行く。 「彼を、どうしようと言うんだ?」  震え声で尋ねるフレッドに、ランドルフは 「これは、俺の番だ」  そう言い捨てると、夜の街へと消えていったのだった。 **********  ノアをしっかりと腕に抱きしめたランドルフは、劇場からほど近いホテルに駆け込んだ。  まるで壊れ物でも扱うようにソッとジャケットを開くと、中からは頬を赤らめ蕩けるような表情をしたノアが現れた。 「僕だけの、匂い……甘い……幸せ……」  熱に浮かされたように囁くノアの姿に堪らなくなったランドルフは、噛みつくように唇を重ねた。  ノアもまた自ら口を開いて、ランドルフを受け入れる。  互いの舌を絡ませながら、擦り合わせるように舐めしゃぶる。  クチュクチュと淫らな音が耳を犯し、それがふたりをますます興奮させた。  ノアの口内はまるで瑞々しい果物のようだと、ランドルフは思った。  甘く、爽やかな香りが口から鼻孔に抜ける。  いつまでも味わっていたいと思うほど、甘美で胸躍るくちづけだった。 「んっ」  苦しげな声を耳にして、ランドルフは慌てて唇を離した。  ノアの口の端から一筋の唾液が流れ落ちる。それを彼は指で掬い、パクリと咥えた。  ぽってりと赤く染まった唇にチュウッと吸い込まれた細い指は、離れるときにチュポンとかわいい音を立てた。 「甘ぁい……」  薄紅色の舌をチロリと覗かせて微笑むノアを見て、ランドルフの理性はついに崩壊した。

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