3 / 22

想い人

「…………か、朱華」  父様(ととさま)に呼ばれ僕は顔を上げた。 「出かけてくるからな、店番たのんだぞ?」 「帰りは何時になるの?」 「夕方には帰ってくるから、夕餉は一緒に取ろう」 「分かった」 「では行ってくる。良い子で待っていろよ?」 「父様、僕はもう十六歳で成人を越えている大人だよ。子供扱いしないでよ」  ぷくっと頬を膨らませたら、父様が大きな声で笑いながら出ていった。  最近父様はよく店を留守にする。  山の恵みで成り立つこの店は父様が営んでいる薬屋だ。父様の仕事はこのフェイ国で最も少ないとされている薬師と言う仕事だ。  僕は魔力も無いし力もないから、父様が留守にする間の店番をするか、山に薬草を取りに行くか、家事をする位しか能が無い。行く行くは僕も父様の様な薬師になりたいと思っているけれども…… 「……はぁ」  僕は下を向いた時に流れてきた髪の毛が目に入り溜息を吐いた。白い肌に白い髪。色が無いのは魔力も力も無い証。この色を見るたびに僕は落ち込んでしまう。  父様は綺麗な色だと言って僕を褒めてくれるけれど、町に住む同じ年の子や、子供達の親は良い顔をしない。  実力だけに重きを置くこのフェイ国では色が無いのは唯の穀潰しと同じだ。 「……はぁ」  もう一度溜息を吐いてぱんぱんと頬を叩く。だめだめ、めげてちゃ。  父様が言ってたじゃないか。胸を張って生きろと、僕は何も悪いことはしていないのだから、と。 「仕事だ。仕事」  僕は気を引き締め、居間の茣蓙から立ち上がり、叩きを持って店の方に歩いて行く。店の中に入ると掃除を始めた。叩きで店の棚の上に積もってしまっている埃を払い落とし、箒で床を掃く。粗方それも終わると雑巾を掛ける。  いくつもある棚の中には父様が作った薬が入っている。紙に包まれた薬は水に濡れてしまうと、駄目になってしまう薬もあるから、雑巾をかけるときはいつも緊張する。  桶に浸した雑巾を硬く絞り、精魂込めて雑巾をかける。一つの棚が終わったら乾拭きをし、また他の棚に移る。  掃除も終わり、店の入り口にある看板を外に出すと僕は帳場に座った。帳場に設えてある引き出しから算盤を出し、帳場に置くと帳場の横にかけてある大福帳も帳場の上に置く。  懐中時計を懐から取り出して見てみると、時針が丁度巳の刻を指している。 「さ、開店だ」  誰もいない店の中で気合を入れ僕はお客様が来るのを待った。 ***  からんころんと店の入り口で鈴が鳴り、お客様が入ってきたから僕は大福帳を睨んでいた顔を上げた。 「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用件でしょうか?」  数刻もしないうちに来たお客様は毎日この店に何かと顔を出す、フェイ国でも最強と名高い将軍、天豪一黒(てんごういっこく)様の子息、天豪黒鵜(てんごうこくう)様だった。 「天豪様、今日は何用で?」 「傷薬が底を付きそうでな、今日もそれを頼みたい」  夜の闇のような漆黒の髪、燃えるような赤い切れ長の瞳、すうっと通った鼻、薄い男らしい唇、背が高く屈強な体躯を持つ天豪黒鵜様は、町中の誰もが振り返る程の美男だ。 「傷薬ですね。少々お待ちくださいませ」  僕は一礼をして店の奥にある蔵に入る。天豪様がいつも頼む傷薬は、このお店で最も高価な物だ。父様が作る薬は、町中の者が高い金を出して欲しがる程に素晴らしいものだ。天豪黒鵜様はその中でも最も高い物をお買いになって下さる。  僕もたまに薬作りをさせてもらうが、父様の腕に比べたらまだまだだ。これでも一応薬師見習いを終えてる身なのだが。  漆塗りの小さな箱から紙に包まれている薬を取り出し盆の上に置き、恭しく持って帳場に戻ると天豪様が店の中を見回していた。 「お待たせ致しました」  天豪様の前にすっと盆を差し出すと、盆に乗せた薬を取って皮袋の中にそれをしまい天豪様が代金を出してきた。一個五千ゼニもするこの薬を天豪様はいつも十も買って下さる。  フェイ国最強と誉れ高い将軍の子息にして、僕達の年代の中でもずば抜けて強い天豪様はあまり怪我をする事はないが、それでも部下の為にと薬を買っていくのだ。  十八歳と言う若さで忍の紅蓮隊中隊隊長を務める天豪様に仕える事ができる人達を僕は羨ましいと思ってしまう。 「朱華、その頬どうした?」  頬?  僕がきょとんと首を傾げると天豪様が頬に触れた。 「赤くなっているが?」  赤くなっていると言う天豪様の言葉に合点が行き、僕はくすりと笑って頬を擦った。 「朝餉の支度の為に外に出たときに薬を塗るのを忘れていました」 「朱華、きちんと薬を塗れ。お前の肌は弱く、日光の日に数分当たるだけで火傷のようになるだろ」 「大丈夫ですよ。少しだけですし――」 「その少しが命取りになると言うことを忘れた訳ではないだろ」  ぴしゃりと天豪様に言われて僕は俯くしかなかった。  僕の肌はとても弱い。外に出るときは、必ず遮光薬を塗らないとならない。数分日光を浴びるだけで肌は火傷のように真っ赤になり、何日も寝込む事もある。  昔この色の無い所為で同じ年の子に虐められていたところを助けて下さったのも、天豪様だった。その時僕は、水を掛けられ薬が落ち、真夏の日光に晒されてしまった肌は火を炙られたように焼け爛れ、そのアトは今でも額に残ってしまっている。  助けだされた時に、僕は息をしていなかったのだとか。何日も寝込んだあげく、やっと起きれるようになった時には、父様が子供のように泣きじゃくっていた。  そんな場面を見ていた天豪様が僕を心配してくれるのは、きっとお優しいからに違いない。 「きちんと薬を塗れ。良いな」 「……はい」 「よろしい」  天豪様の声が優しく聞こえて僕は顔を上げる。天豪様の優しい微笑みを見て僕の顔が真っ赤になったのは言う間でもない。 「朱華、では行ってくる」 「行ってらっしゃいませ。天豪様」  入り口に向かって歩いていた天豪様が振り返って僕を見た。 「朱華、もしやと思うが、虐められてはいないだろうな?」 「そんな事はありませんよ。学校の時とは違いますし、皆もういい年です。他人を虐める暇があったら、訓練なり何なりするでしょう」 「そのような事は無いと信じたいが、虐められたすぐに言え。良いな」 「はい。お気遣いありがとうございます」  天豪様のお気遣いが嬉しくて僕は頬が緩んでしまうのが分かった。 「では行ってくる」 「はい。いってらっしゃいませ」  深くお辞儀をし、からんころんと入り口の鈴が鳴る。顔を上げて入り口を見ると、もうそこに天豪様の姿は無かった。  僕は大福帳を広げて数字を書き込もうとしたけど、口元が緩んでしまうのを止める事が出来なかった。  初めてお会いした虐められて助けられた時以来、僕は天豪様に恋をしてしまっている。  適わぬ恋だとしても、それでもいい。  紅蓮隊中隊の隊長と一介の薬師なんて、釣り合う訳が無い。  でも、心の中で想っている事を、どうか、許してください。 「……黒鵜様」  ぽつりと呟いた僕の声はしんと静まり返った店の中に消えていった。

ともだちにシェアしよう!