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突然の縁談
まな板の上で小松菜を切っている時だった。夕餉の準備に取り掛かり、後は小松菜を御浸しにしてと考えていたところで玄関の方から音が聞こえてきた。
「父様かな?」
壁に掛けている時計を見ると時針が酉の刻を告げている。僕は目の前にかけてある手拭いで手を拭き、玄関に向かった。
「父様、お帰りなさい」
「ただいま。うん、良い匂いがするね。今日は何かな?」
「今日は頂き物の鯖を味噌煮にして小松菜の御浸し、それから豆腐の味噌汁だよ」
「そうか。朱華、いつも悪いな。お前ばかりに支度をさせて」
「いいよ。僕はこれ位しか出来ることがないし……」
父様の羽織を受け取り、父様の後ろからついていく。寝室の箪笥から父様の部屋着を取り出して渡し、父様の着替えを手伝う。
「朱華」
父様の体に着物を掛けたところで父様に名前を呼ばれて僕は父様を見上げる。
「今日話しがある。食事が終わったら、居間に茶を持って来てくれ」
「話?」
「朱華にとっても、とても良いお話だよ」
良いお話って何だろう。ニコニコと笑っている父様がこう言うのだから、本当に良い話なのだろう。
「分かった」
僕は父様の帯を締めると台所に向かって途中で止めてしまっていた食事の支度を再開した。
***
夕餉も終わり、お盆に茶器を乗せて居間に入る。上座に座った父様が美味そうに煙管を燻らせている。
こうゆう時の父様は上機嫌な時だ。本当に良いお話が聞けるのかもしれない。
僕は湯のみを父様の前に置き、急須を傾けて茶を入れる。僕の湯のみにも茶を入れると盆を脇に置いた。両手で湯のみを持って一口啜り、父様の顔を見る。
「で、父様、お話って?」
ぽんぽんと灰皿の中に灰を落とした父様がニコリと微笑んで僕を見た。
「あのな、朱華。お前を娶りたいと言うお方がいるのだ」
「僕、を?」
「そうだ。」
娶りたいお方、と父様が言った。
僕は色無しだ。娶りたいってそんな奇特な方がいるのだろうか?
それに”お方”と言う言い方は、身分の高い方なのではないだろうか。
「本当に、僕……なの?」
「そうだ。先方は嫌に乗り気だ。お前でないなら嫁は娶らないと言っているそうだ」
突然沸いた僕の嫁入りに父様は喜んでいるみたいだ。
山奥の川に捨てられ死にそうな赤子だった僕を拾ってくれて、男手ひとつで育ててくれた父様。小さい頃から病弱で風邪を引くだけでも死にそうだった僕を育ててくれたのは父様だ。
何重もの苦労をかけてしまっているのは知ってる。
だけど
「……父様、先方にもうお返事はしたの?」
「いや、まだだ。朱華の意見を聞いてから、と思ってな」
それでも
「少し、考えさせて……」
「分かった」
黒鵜様のお側に少しでもいたいと思うのは僕の我が侭なのだろうか。
***
この国の結婚相手は、大体が親が決める。
二十年前の銀黒戦争で開国して、他国の文化が入ってきて恋愛結婚が許されるようになってきたけど、まだまだ親が子の結婚相手を決める事が多い。
親が子の結婚を決めると言うことは、相手の家と自分の家の双方の利害が一致しているから。
親の言う事は絶対で、逆らうことは許されていない。顔合わせがあればまだいい方。顔合わせがないまま、祝言を挙げる家が大半だ。
昔から、この国は相手の顔も名前も知らずに結婚をしていた。想い人がいても、想いは叶うことはなく、親に言われたまま結婚する。
それが、どんな相手でも……。
中には、子を授かった時点で嫁を蔑ろにする家もあった聞く。だから、子の決心が揺らぐことのない様に、親は相手の名前を言うことはない。
***
寝室に移り、僕は布団の中にもぐりこんでもくもくと考えていた。だけど、考えても考えても答えは出なくて…
「父様、まだ、起きてる?」
ごそりと音がして父様が寝返りを打った。寝てしまっているのか。
「起きているよ」
僕は父様に背を向けたまま、口を開いた。
「お相手様は、どんなお方?」
「とても誠実なお方だ。お前に十年も片思いをしていたのだそうだよ」
十年。
僕と一緒だ。
初めて黒鵜様にお会いしたのは、僕が虐められているときに助け出して下さった、あの六歳の時だ。
十年も拗らせた片思い。
叶う訳もないと諦めながら、それでも僕は毎日店を訪ねて下さる黒鵜様の顔を一目見れるだけでいいと思ってきた。
手に入らないのは分かってる。唯、それでも、あの方のお側にいたい……。
「十年も……僕なんかに……」
色無しの僕に十年も片思いをして下さるなんて、なんて奇特な方なのだろう。
「朱華、”僕なんか”と言うなと何度言えば分かる」
父様の硬質な声に僕は思わず振り向いた。
「お前は器量も良いし、気立ても良い。料理も上手だし、家事だってそつなくこなす。朱華、何故そんなに自分に自信がない。私はお前をどこに嫁に出してもいいと思える位、自慢の息子なんだけどね?」
「だけど……」
僕は色無しだ。
色無しってだけで町中の人は蔑むような目でみてくるし、口を開けば顔を真っ赤にして怒って家の中に入ってしまう。酷いときには、話をせぬうちに逃げ出される。
そんな僕がどうやって自信を持てると言うのだろう。
「僕は町中の皆に忌み嫌われてる」
「はぁ……」
父様の大きな溜息が聞こえてきて僕はびくっと体を揺らして布団の中に頭を入れた。
「朱華」
父様の手が伸びてきたのか、僕の頭をゆっくりと撫でる。
「町中の人がそうゆう目で見てきたとしても、私はお前をそのように思ったことはないし、お相手の方も十年お前を見てきたんだよ? お前の良いところをいっぱい見てきて、それで今回、是非朱華をお嫁にと申されているんだ。たった一人の人かもしれないが、お前を好いている人がいてくれる。私とその人だけでは駄目か?」
僕は寝返りを打って父様に体ごと向くと、父様の顔を見た。
「朱華、私の幸せはお前が幸せになってくれる事だよ」
「父様の幸せ?」
苦労をかけてきた父様。
僕に目掛けて投げられた石から庇ってくれた事だってあった。色無しを育てて、と父様自身陰口を言われたことだってある。僕を拾った時は一時店も閑古鳥が鳴いて客足が無かった事もあった。
そんな父様にいつか親孝行をしたいと思って来た。必死に薬師の勉強をして、やっと最近一人で薬を作れるようになったけど、やっぱり父様の腕には敵わなくて……。
「僕が幸せになることが父様の幸せ?」
「そうだよ」
なら
それなら。
父様を幸せに出来るなら、僕は自分の心に蓋をしよう。
「父様、そっちに行ってもいい?」
「なんだ? 甘えん坊か?」
「うん。僕がお嫁に行ったらこうやって一緒に寝ることもできないでしょ?」
父様がくすくすと笑って布団を捲った。僕は起き上がって父様の布団に入り込み、父様の隣に体を横たえる。腕を広げた父様が僕を抱きしめてくれた。
「父様、お相手の方に了承した事伝えて」
僕の声は震えていないだろうか。
「朱華……幸せにおなり」
父様の優しい声に僕の目に涙が溜まっていくのが分かる。父様の為。父様の幸せの為だ。自分の心なんて、蓋をしてしまえばすぐに分からなくなる。どっちにしても、望んでも手に入れられないならば、諦めるしかないじゃないか。
「僕、幸せに、なるよ。父様」
紡いだ言葉は僕の心をいっそう冷えさせた。
父様の胸に顔を埋め、抱きしめている手に力を入れると父様も強く抱きしめ返し、優しくあやすように背中を撫でてくれる。
父様の優しさが今はこんなにも辛い。
だけど、明日からはきちんと笑うから。
だから
だから今だけは――
泣く事を許して。
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