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浴衣
父様から縁談を告げられてから一週間がたった。
僕は相も変わらず店の帳場に座る日々を送っている。僕が縁談を了承してから父様はますます店に出なくなった。
嫁に行く僕の嫁入り衣装や花嫁道具を選んだり、お相手様との祝言の日時の交渉など、今まで以上に生き生きとして動いている父様。
そんな父様も良いなとは思うけど……
「……はぁ」
僕はお相手の方を幸せにすることが出来るのだろうか。
心を偽ったまま、このまま嫁入りして大丈夫なのだろうか。
偽りを隠したままお相手様と過ごす事ができるのだろうか。
でも、結婚してしまえば忘れてしまえるだろう。
本当に黒鵜様を忘れる事ができるのだろうか。
あげれば切が無い程僕は悩んでいた。
「しゅかー!」
からんころんと店の入り口で鈴が鳴ったので顔を上げてみると、黒い髪に緑の瞳をした可愛らしい少年が立っていた。
「緑、いらっしゃい」
五十嵐緑風 、僕と同じ年で僕と同じ医師・薬師科の学部を卒業した子だ。緑風は薬師ではなく医師を目指しているけど。
緑風もちょくちょくこの店に顔を出してくれる。医師を目指しているから自分も忙しいだろうに、外で長い事過ごすことが出来ない僕の暇つぶしに付き合ってくれる。
「もう、朱華。そんな顔してたら、幸せになんてなれないよ」
そんな顔?
僕が首を傾げて緑風を見ると、緑風は眉を寄せて笑い、僕の頬をふにっと抓ってくる。
「店の外から見てたけど、今から嫁入りする人って感じがしなかった。嫌なら、翡翠さんに言ったら?」
ぐいぐいと僕の頬を手の平で引っ張ると、手を離した。
父様に?
僕の嫁入りを喜んでくれて、僕の幸せを一番に考えてくれる父様に?
「そんな事できないよ」
何よりも、僕が幸せになることが父様の幸せだ。
この縁談を断ったら、父様を幸せにすることなんて出来ない。
「じゃ、もうそんな顔しないで。ほら、朱華笑って。幸せは笑ってたらくるってボクの父様が言ってたよ」
にこりと笑って緑風が僕を覗き込んでくる。無理に笑ったら、僕の笑顔は引きつったものになってしまった。
***
「ねぇ、朱華。今年の豊穣祭どうする?」
「どうするって……」
大福帳を睨んでいる僕の目の前で、頬杖をついて緑風が聞いてきた。
豊穣祭は、秋の豊作を願って行われる祭りだ。毎年行われるこの夏の祭りは社の境内で舞い方が舞を踊り、秋の豊作を祈るのだ。
去年は黒鵜様が舞い方を努めた。黒鵜様の舞に皆が酔いしれていたと聞いたが、僕も緑風も行かなかった。
小さい時にいった豊穣祭で僕は奇異の目で見られて石を投げられ、それから僕は怖くなっていけなくなった。そんな僕にいつも付き合って僕の家で一緒に過ごしてくれる緑風。
「今年こそ行こうよ。今年の舞い方は瑠璃様なんだ。ボク見に行きたい。いつも朱華が断るからボク毎年行けないんだからねっ! 今年は絶対行くよ!」
柊瑠璃 様、緑風の想い人。
黒曜石のような黒く長い髪に宝石のような瑠璃色の瞳を持つ柊瑠璃様は、深淵の黒曜と言われる程の美貌の持ち主で、黒鵜様が隊長を務める紅蓮隊中隊の副隊長だ。
「朱華、まだ怖い?」
眉を寄せて泣きそうな顔で緑風が聞いてくる。
怖くないと言ったらうそになる。僕は今でも豊穣祭が怖い。嫌悪と蔑むような目、どこからか石が飛んでくるのでは、と言うあの恐怖。
でも、緑風が見たいと言うのなら。
「いいよ。行こうか」
「ほんと!?」
「うん」
「ありがとっ! 朱華!」
緑風に向かって笑ってそう言えば、緑風が僕の手を握ってブンブンと振る。ここまで喜ばれるのなら、少し位嫌な思いしたって、緑風の笑顔で帳消しになる。
「浴衣どうしようかなぁ。新しいの買っちゃおうかな……」
「紫 さんに怒られるよ? この前だって新しい着物買ってたでしょ?」
「だって……瑠璃様が舞方を努めるんだよ。変な格好でなんて行けないよ」
「緑はいっぱい浴衣あるでしょ? 無駄使いしないで、何個もある浴衣の中からお気に入りのを着ればいいでしょ。去年着てた浴衣、気に入ってるって言ってなかった?」
「あの藍色の浴衣?」
「うん」
「アレはあれ。今年は今年のを着るの!」
「緑、無駄使いしないで貯蓄の事も考えないと。緑は給金もらってもすぐ着物や装飾に使っちゃうんだから……僕なんか、浴衣三つしかないよ」
僕が怒った顔をして言うと緑はしょぼんとして下を向いてしまった。
「じゃ、じゃぁさ。去年朱華が着てた浴衣貸してくれない?」
「僕の?」
「うん。朱色のあの浴衣」
「あれは父様からのお下がりだよ? あんなのでいいの?」
「アレがいいの! 今年、朱色の買おうって思ってたから。それに、朱華あの浴衣着てたらすごく大人びて見えたし。あの浴衣着てたらボクも大人びて見えるかな、って……駄目?」
「駄目じゃないけど……でも、本当にあんなのでいいの?」
僕が聞くと、緑風がこくこくと何度も首を振って頷いている。
「分かった。当日僕の家で着付けしてそれから豊穣祭に行こう」
「うん! ありがと! 朱華! 大好きッ!」
「どういたしまして。僕も大好きだよ」
がばっと抱きついてきた緑風の背中をぽんぽんと優しく叩くと緑風が抱きついたまま僕を見た。
「あ、そうだ。朱華にはボクの浴衣貸してあげる」
「いいの?」
「うん!」
「じゃ、お言葉に甘えるね」
「朱華、豊穣祭までにどの浴衣がいいか考えておいてね」
「うん」
緑風の浴衣、何着もあるから何がいいかな。僕がそんな事を思っていると、店の入り口で鈴が鳴りお客様が来たのだった。
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