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豊穣祭
僕は手に持った深紅の浴衣に向けて溜息を吐いた。緑風から借りた、白い牡丹があしらわれている深紅の浴衣。深紅の色は黒鵜様の瞳の色と同じ。
その瞳の色の浴衣を着ることができるなんて、夢にも思わなかった。僕が浴衣をぎゅっと抱きしめて感動に打ち震えていると緑風が声をかけてきた。
「朱華、そんなにぎゅってしてたら皺になっちゃうよ? ほら、早く着替えちゃお」
僕の朱色の浴衣を着た緑風が僕の着付けを手伝ってくれる。一応一人で着れるけど、この浴衣を持っているだけで僕の手は震えて着ることができないでいた。そんな僕を気遣って着付けを手伝ってくれる緑風。
緑風は僕が黒鵜様に恋をしていることを知っている。知っていると言うか、小さな時に緑風が僕の家に遊びに来ていきなり瑠璃様が好きなんだと言われ、僕の想い人も教えろと言われて教えたのだ。
この事は二人だけの秘密で誰も知ることはない。知ったとしても、僕も緑風も想いが叶うなんて思ってないし、僕も緑風も想い人に想いを伝えようなんて思ってない。
そんな図々しいことなんて、出来る訳がない。僕も緑風も今は想い人の姿を見れるだけでいいんだ。
高望みはしない。
「ああっ! 豊穣祭始まっちゃう! 朱華、早く!」
外から聞こえてきた笛の音。豊穣祭が始まる合図だ。
***
からんころんと下駄を鳴らし、僕と緑風は社に向かう道を足早に歩いていた。ぴーひょろぴーひょろと聞こえてくる笛の音に、どんどんと強く打ち付けられる太鼓の音。晴れた空には煙が上がっている。
「急がなくちゃっ!」
僕は懐に入れておいた懐中時計を取り出して時間を見る。まだ午の刻だ。舞が始まるのは未の刻からだから、そんなに急がなくても間に合う。
「緑、もうちょっとゆっくりいかない? 舞が始まるにはまだ時間があるよ」
「ダメ! 最前列で瑠璃様の舞を見るんだから! 今日の機会を逃したら、もう瑠璃様の舞い方の姿見れることできないかもしれないでしょ!」
足が止まりそうになる僕の腕を掴み緑風がずんずんと歩いていく。足早に歩かれて息が上がって苦しくなる。
「りょ、緑、もうちょっと、ゆっくり……」
「あ……ごめん。朱華、ボク朱華の事考えてなかった。体に負担かかったらダメだから、ゆっくり行くね」
体の弱い僕は早歩きをするだけでも息が上がって胸が苦しくなってしまう。本当は早く社の境内に行きたいだろうに、緑風は僕の体を気遣って横にならんで歩いてくれる。
「緑、一人で先に行って? 最前列、取れないかもだよ?」
「ダメ。朱華に何かあったらボク悲しいから。だからダメ。一緒にゆっくり歩いてく」
足の運びを小さくしてゆっくり歩いてくれる。こうやっていつも僕の体を気遣ってくれる緑風。
いつか、緑風に今までの恩返しがしたい。
***
「ああ……」
社の広場に集まると、すでに何十人、何百人という人が家から持ってきたのであろう茣蓙を敷いて座っている。拝殿の前には台座が設えてあり、台座の端に社の家紋が記された幟が風に揺れている。台座から少し離れたところでは篝火が焚かれてある。
「緑、ごめん。最前列、取れなくて……」
「いいよ。遅く朱華の家に行ったボクが悪いよ。もっと早く、朝からいくべきだったんだよ。もしかしたら、昨日の夜からここに来てた人もいたのかもしれないし」
「……え? そんなに早くに?」
「だって、瑠璃様だもん。あんなに美しい人を一目見ようとする人は多いと思うよ。ボクだけじゃなくて」
「そっか」
また気を使わせてしまった……
こんなに優しい緑風に、僕は恩返しが出来るのだろうか。
「朱華、ここ暑いからあっちの木の陰に入ろ。ほら、早く」
緑風が僕の腕を取って木陰に連れてってくれる。
「朱華、ここに座っててね。露天で何か飲み物買ってくるから」
「僕も行くよ」
「だ~め! ここ、案外いい席だよ。ほら、見て」
緑風が台座のほうに指をさした。
「ここからだったらきっと舞がよく見えるよ。だからね、ここほかの人に取られちゃ嫌だから、朱華はここでお留守番してて。すぐ戻ってくるから」
そう言って緑風が走っていってしまった。茣蓙を敷いて座っている人の背中越しによく台座の上が見える。後列に座ったら見えなくなってしまうだろうけど、ここはほかの所より少し高いところにあるみたいだ。
僕はその場に座って額から出ている汗を手ぬぐいで拭い、茶巾から遮光薬を取り出してそれを額に塗る。
「朱華」
後ろから声が掛かって僕は振り返った。そこにいたのは、紺色の浴衣を着た黒鵜様だった。
「珍しいな。お前が豊穣祭に来るなど」
「てん、ごう、さま?」
「ん?」
「あ、いえ。すみません。少しぼーっとして……」
「暑さにやられたのか?」
そう言って僕の額に手をあててくる。僕は顔が熱くなってしまって、黒鵜様をまともに見ることが出来ない。
「熱はないようだ。……だが、顔が赤いな。どうした? 朱華」
「なんでもありません!」
僕は首を横にぶんぶん振って、顔を俯かせた。今の顔を見られたら、僕は恥ずかしくて二度と黒鵜様の顔が見れなくなる。
「隣、座っていいか?」
がさりと音がして、音のほうを見ると黒鵜様はすでに僕の隣に座っていた。
す、すごく近いような気がする。腕が触れそうな程近くて僕の顔は更に赤くなる。
ドキンドキンと鳴る胸の高鳴り。
僕は張り裂けそうな程鳴る胸に手を置いて、緑風早く帰ってきてくれないかな、と黒鵜様の顔をまともに見れないまま俯いていた。
この時僕は知らなかったんだ。黒鵜様が僕を愛おしそうにじっと見つめているのを。
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