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べっ甲の簪

 僕と黒鵜様は、人の流れに従いながら縁日のある道を歩いている。露店が出された社の前の道は、豊穣祭以外でこんなに賑やかになることはない。  一年に一度だけある夏の祭り。  露店を冷やかしている人や、夫夫で露店を見ている人、店先でそのままイカ焼きを食べている人に、林檎飴を頬張っている人など、実に様々だ。  黒鵜様の存在はその中でもキラキラと輝いて見えた。通りすぎるものが僕の横にいる黒鵜様を振り返り、明らかに頬を赤面させている。  黒鵜様を恋い慕う人は多い。僕もそのうちの一人だ。  黒鵜様と隣り合って歩いているだけで天にも昇ってしまいそうだ。 「朱華、腹が減らぬか?」  黒鵜様の問いに僕はきょとんと首を傾げて黒鵜様を見た後に、そう言えば朝から何も食べて無いことを思い出す。きゅ~と鳴った僕のお腹の音を聞いて黒鵜様がぷっと吹き出した。 「あそこに焼き蕎麦がある。あれを食べよう」  焼き蕎麦屋の隣には林檎飴屋に綿菓子屋、焼き玉蜀黍(とうもろこし)屋。僕は目線を彷徨わせてから黒鵜様を見ると、黒鵜様が僕の手を取ってにこりと微笑んだ。 「朱華、林檎飴も綿菓子も気になるのは分かるが、まずは腹ごしらえだ。早くしないと花火が上がる時間になってしまうぞ? 焼き蕎麦を食べた後に林檎飴を買おう。な?」  子供の様に諭されて、僕は顔を俯けて頷くだけだった。  それよりも、黒鵜様に握られている手が熱い。ときんときんと鳴る音を黒鵜様に聞かれるのではないかとそればかりが気になった。 ***  焼き蕎麦と林檎飴を買った僕と黒鵜様は、縁日から少し外れ木陰に来るとそこに座った。  竹網で出来た箱に入った焼き蕎麦を受け取ると、僕は割り箸をぱきっと割って黒鵜様に渡した。  僕の隣に腰を下ろした黒鵜様が受け取った箸でずるずると焼き蕎麦を食べている。なんとも豪快な食べ方に僕はくすりと笑って焼き蕎麦を食べる。黒鵜様が焼き蕎麦を食べている姿は、まるで肉にがっつく犬みたいだ。 「おいしいですね。天豪様」 「そうだな」  ちゅるちゅると僕が食べる音とずるずると黒鵜様が啜る音。僕はその二つの音が嬉しくて、だけど、胸がいっぱいで三分の一程食べたところで箸を置いた。 「む? もう食べぬのか?」 「なんかお腹がいっぱいで……」 「朱華、少食なのは知っているが、もっと食べた方がいい」  僕が持っている箸を取って黒鵜様が焼き蕎麦に箸を突き入れ箸に焼き蕎麦を巻きつけて僕の口元に持ってくる。ぐいっと押されるままに口をあけて食べると黒鵜様がにこりと笑って僕の頭を撫でた。 「後少しでいいから食べておけ」  もぐもぐと食べ終わるとまた口元に焼き蕎麦を巻きつけた箸を持ってくる。僕がもう食べれません。満腹です。と涙が出そうになったらやっと止めてくれた。 ***  二人で檸檬水を買い、林檎飴を持ってプラプラと歩く。  何をするわけでもなくて、唯露店を見てひやかしているだけだ。黒鵜様が一つの店の前で足を止め、地面に敷かれた風呂敷の前に座った。  黒鵜様が手に取って熱心に見ているのはべっ甲で出来た(かんざし)。 「天豪様、そのべっ甲の簪は首都から取り寄せた大変高価なものでさぁ」 「ふむ」 「ここの椿が綺麗でございやしょ? 名の有る簪職人が作ったものでございやしてね? 恋人に送られてはどうですかい?」  露店の人が僕を見てから言ってくる。  こ、恋人?  この人は何か勘違いしているのだろうか。黒鵜様と僕は別に恋人でもなんでもない。強いて言うならば、僕が勝手に想っているだけだ。 「店主、このべっ甲の簪をくれ」 「へぃ。五萬ゼニでございやす。……はい、確かに代金頂戴しました」  和紙で出来た紙袋に入れた簪を黒鵜様が一撫でしてから懐に入れて立った。  恋人にでもあげるのだろうか。   そうだ。黒鵜様はこんなに素敵な方なのだから、恋人の一人や二人いてもおかしくない。 「朱華、そろそろ花火が上がる」  黒鵜様が空を見上げて言う。僕は俯けていた顔を上げ、空を見上げようとしたところに黒鵜様の顔があって僕の頬は赤くなってしまう。  おたおたしたように顔を下に向けると黒鵜様が僕の手を取った。 「朱華、打ち上げが始まってしまう。少し急ぐぞ。いいところを知っているんだ」  手を取られて黒鵜様がゆっくりと歩かれ、僕は黒鵜様の後ろをついていく。 ――黒鵜様、その簪を上げる恋人はいるのですか? ――黒鵜様、その方はどんな方ですか? ――黒鵜様、迷惑でなければ、僕が貴方を恋い慕っている事を許してくれますか?  僕は黒鵜様の背中を見ながら、出来もしない質問ばかりが頭に浮かんでいた。

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