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顔合わせ前夜
あれから何日たったのか、分からない。
たまに緑風が僕の様子を見に来てくれるけど、僕は返事もする気力がなくて、緑風の話す声に唯相槌を打つだけ。
瑠璃様も来て下さって、色々お話をしてくださるけど、僕はそれに頷くだけだ。
黒鵜様は来て下さらなくなった。お店の帳場に座っていても黒鵜様が来る事は無い。
それは、そうだ。僕は黒鵜様にごめんなさいって言って背を向けて逃げてしまったんだ。
でも、どうすればよかったの?
僕は、お嫁に行くんだ。黒鵜様が何か言ったところで、それが覆ることはない。
「……」
もし、もしも……
黒鵜様と一緒にどこかに逃げ出せたら……
ここではないどこかで一緒に暮らせたら……
「はぁ……」
そんな事できる訳が無い。力の無い人間が、故郷を離れて暮らしていけるほど、甘い世界じゃない。
なにより、ここには父様がいる。僕が逃げ出してしまったら、父様がどんな目に合うか……
それに、お相手様は十年、僕に片思いをして下さったんだ。真剣に考えて下さった方に対して、逃げ出すことは失礼だ。
僕は、もう答えを出してしまったんだから……
「……ッ」
「朱華……」
かたんと音がして振り返ると、父様が店と家をつなぐ廊下の入り口に立っていた。
「また……お前は……」
父様がスタスタと歩いてきて目線を会わせる様に座ると僕の頬を手の甲で撫でた。父様の手の甲には僕が流した涙がついていて、僕はまた泣いてしまったんだと顔を父様から背けた。
「朱華、何故、何も言ってくれない。なんで、泣いている。私は……」
「大丈夫、父様。僕、幸せになるから。だから、何も言わないでッ」
「……朱華」
父様ははぁと溜息は吐いて家の奥に向かっていった。
僕はその背中を見送って顔を店の入り口に向ける。そろそろ黒鵜様が薬を買いに来てくださる時間だ。
「……」
来るわけ、無いか……
僕はごめんなさいって言って逃げたんだから。
***
僕はことりと茶碗を机の上に置いた。僕の向かい側では、夕餉を食べ終えた父様が茶を啜っている。
「朱華、もう少し食べなさい。ここのとこあんまり食べてないじゃないか」
僕は父様に向かって無言で首を横に振った。
「細いのに、更に細くなってどうする。お相手様も心配なさるぞ?」
「心配……」
そう言われても、食事を喉が通らないんだ。こうやって食事をしている時だって、店番をしているときだって、気づいたら黒鵜様の事を考えてしまう。
最後に見た黒鵜様の顔と、黒鵜様が僕を何度も呼ぶ悲痛な声。それを思い出すと、僕はいてもたってもいられなくて何も出来なくなる。
「……っ」
「朱華……。泣いてないで、父様にちゃんと言ってくれ。でないと私は分からない。何があったのか。お前が何を考えてるのか」
僕は子供みたいにいやいやと首を横に振って、食器を片付け始めた。
「……朱華」
父様の震える声が聞こえてきて、僕は父様に顔を向けた。その目は潤んでて、今にも泣きそうな。
「二人だけの親子なんだ。私に言ってくれ。……お願いだ」
目頭のところに手をやった父様が、眉間を揉むと手を離して僕を見た。
「……じゃ、じゃぁ。僕、この縁談……」
「朱華! 断ると言うのか!? 顔合わせはもう明日だ!」
「だって、だって……黒鵜様に好きだって、夫夫になってほしいって……」
「そうか、とうとう。……朱華、明日は顔合わせだ。今日はすぐにでも寝なさい」
やっぱり、無理なんだ。
どこの部隊かは分からないけど、隊長と薬師だ。身分の低い僕が、隊長と言う身分の高い人の縁談を断るなんて、無理な話だったんだ。
僕は片付けを再開して、食器を乗せた盆を持って居間の入り口に向かう。僕は入り口に立って振り向きもしないで父様に言った。
「父様、冗談だよ。黒鵜様が僕を好きになるわけなんて、無い」
父様が何か言ってたけど、僕は涙をこらえるのに必死で、その言葉も耳に入ってこなかった。
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