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十年の片思い

 僕は溢れ出る涙を袖で拭い、それでもぽろぽろ出てくる涙を止められないでいた。  ずっと、ずっと好きだった人。  近いようで遠い存在だった人。  その人が今、僕の目の前にいる。 「……ひっ……うぅ……ぅぅ……」  擦っても擦っても後からどんどん溢れてどうしようもない。 「……朱華」  黒鵜様のその声に僕は顔を上げた。秋桜園で聞いた、あの悲痛な声。  苦しいような、悲しいような、寂しいような、そんな声。 「……その……すまなかった。朱華、お前がそこまで嫌なのなら、この縁談……」  え? 「………なかった事にしよう」  僕は毀れてくる涙をそのままに、黒鵜様の顔を呆然と見ていた。  顔を俯けているからどんな顔をしているのかは分からないけど、落ち着きのある低い声は、いつもと違って震えてて、とても切なげに聞こえて―― 「俺は……朱華、お前が好きだ。お前を苦しめたい訳じゃない。だから、この縁談――」 「違います! 違います!」  黒鵜様の言葉を遮って僕は叫んだ。 「何が違うと言う? お前はこんなにも泣いて……」 「苦しいなんて、思いません! 僕が泣いてるのは、嬉しいからっ!」 「……え?」  僕の言葉に黒鵜様が俯けた顔を上げてこっちを見る。 「僕も、黒鵜様が好きです。ずっと、ずっと……」  子供の時からお慕いしているのは、黒鵜様、貴方ただ一人。 「朱華、黒鵜。お互い何か思い違いをしているみたいだから二人だけで話し合いなさい。私達は他の間で待たせてもらうから。終わったら給仕に言ってくれ」  風華様の声に僕と黒鵜様は一黒様の隣に座っている風華様を見た。眼を細めて笑うその表情は、暖かくて優しい。  子供の時に僕と黒鵜様を見守っていてくれた時と同じ笑顔。  風華様が一黒様と父様を早くと促して襖に立ち、振り返って僕達を見ると言った。 「二人が何を思ってるのか知らないけど、君達はずっと一緒だった。一緒にいすぎたから相手の気持ちも分からなかったのかもしれないね」  ふふっと笑って襖を閉めると、百合の間の中には僕と黒鵜様だけになった。 ***  父様達が出て行っていったいどのくらいたったのか。お互い顔を俯けて、話そうとするのに、話ができなくて、もどかしくて、おかしくなりそうだ。  僕は僕で口を開けてもすぐに噤んでしまって、何も話せないでいた。 「朱華、その……俺を好きだと言うのは本当か?」  恐る恐ると言うように、黒鵜様が声を上げた。僕は机を見ていた顔を上げて、しっかりと黒鵜様の目を見て頷く。 「夢、か?」 「夢じゃありません。僕は黒鵜様が好きです。子供の時からずっと」  「ずっと……」と呟いた黒鵜様が、定まらなかった瞳をこちらに向けてほっと息を吐いた。 「いつから?」 「黒鵜様、貴方に助けて頂いた六歳の時から」  黒鵜様の固まっていた肩の力が抜けたのが見ていて分かった。 「俺と、同じか……」 「……同じ?」 「俺はお前を始めてみた時に一目惚れした。水を浴びせられているのにも関わらず、凛とした力強い目に引き付けられた。あの時のお前は本当に綺麗で、見るのが眩しかったのを今でも覚えている」 「僕も、です。貴方の瞳の深紅の色が綺麗で、立ち居姿も何もかも格好良くて。何度も僕が貴方の隣に立ちたいと……貴方の側にいれる紅蓮隊の人が羨ましくて……貴方の隣に立てないのならせめて貴方の傷を癒したくて。だから薬師になったんです。父様の役にも立ちたいのもあったんですけど……」  どちからともなくいつの間にか、僕達は机の上で手を繋いでいた。あの時、僕が振り払ってしまった手が僕の手を握ってくれる。 「ふっ 俺も同じだ。お前を守れるように、お前の側に立てる程の強い男になりたいと思ってずっと修行をしてきた」  ぎゅっと握られた手に僕も力を込める。 「十年……」  ぽつりと言った黒鵜様に僕は首を傾げる。 「お前と出会って十年だ」 「そうですね」 「ずっと片思いをしていると思っていた相手が、実は十年も好いていてくれたとは……」  黒鵜様の言葉に僕の頬がぽぽぽっと熱くなった。  そうなんだ。僕達は十年、想いあっていたのに、片思いをしているとお互いに思っていた。 「ふふっ 僕達随分と遠回りをしてしまいましたね」 「そうだな」  ふっと笑った黒鵜様が真剣な目で僕の目を見てくる。 「改めて言う。朱華、俺の伴侶になって俺の隣で笑っていてくれないか?」  僕は何度も頷いて、しっかりと黒鵜様の目を見て告げた。 「はい。ずっと、貴方の隣で……」 ***  それからの顔合わせは終始和やかなものだった。  百合の間で出された料理はどれも美味しく、いつかまた来ようと黒鵜様と約束をした。  父様は酒の杯が進み最後はぐでんぐでんになってしまって一黒様と黒鵜様に運んでもらったのは申し訳なかったけど。  でも僕の隣で嬉しそうに笑っている父様を見て止めること等できなかった。  翌日父様がずっと布団から出れずに唸っていたのは、まぁ、仕方ない。  

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