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第8話
ぺちぺちと頬に何かが当たる感覚に意識が浮上してくる。
目を開けると目の前に見たことのない男性が俺を見下ろしているのが見えた。
柊さんでもなく、昨日見た可愛らしい姿のメイドさん達のひとりでもない。
優しそうな雰囲気に眼鏡もかけていて理知的な印象も受けるし、どことなく柊さんに雰囲気が似ている。
「だ…だれ?」
自分でも驚くほど声が掠れていた。
しかし、目の前の男性はにっこりと笑って俺の頬を撫でてきた。
男性の笑顔に見惚れているとその男性の顔がどんどんと近付いてくる。
唇が触れあった瞬間旦那の姿が思い浮かんで咄嗟に腕を付き出して遠ざけようとするが、その腕も押さえ込まれそのままキスされた。
なんとか抵抗しようと顔を背けようとするが、その隙に舌が侵入してくる。
「んはっ!!何すっ…」
「この姿だと分からないか…」
「え?」
しょんぼりという表現がピッタリな程暗い表情の男性に俺の方が戸惑う。
しかし、見知らぬ男にいきなりキスされた身としては危機感の方が勝って後退りをしてしまう。
ここがいくら柊さんの城だからといって、不審者が入って来ないとも限らない。
失礼な話だが、柊さんの役割的に繁殖を目的に侵入して目についた相手に…といった輩とも考えられる。
俺が飛び出していった時も、帰って来た時も城の警備はとても魔王の城とは思えない程に手薄だった。
門番などは居らず、警備をしている誰かが俺を追いかけて来る様な様子もなかったのだ。
だから、俺はどうやったら目の前の人物から逃げられるかとちらちら扉の方を気にしながらベッドから降りようとする。
「まぁこの姿には滅多にならないからな…あぁそうか」
「ひぃっ!!」
後退りしている事に気が付いていないのか、目の前の人物はぶつぶつと何かを言っている。
男性が何か思い付いたのか古典的な仕草でぱちんと手を叩いた事で其方に気が逸れた。
男性の左手が一瞬袖の中に消えたかと思うと手の代わりにずるりとぬるついた触手が顔を出した。
その光景のあまりの異様さに俺は縮みあがる。
「そんな怯えた顔をして…もしかしてまだ向こうの感覚が残ってるのか?」
「なに…こ、来ない…で」
「大丈夫。また作り替えてやるから」
「いや…旦那…たすけ…」
俺の方へ歩み寄る人物が何を言っているのか声は聞こえていても脳が理解をしていない。
とりあえず目の前の異形の人物から早く逃げなくてはとベッドから降りようとするも恐怖で腰が抜けた様で這うように後退る。
思いの外ベッドが大きかったうえに、男性がこっちにどんどん迫ってきた。
なんとかベッドを降りて駆け出そうと相手に背中を見せてしまった瞬間、背後から触手が襲ってくる。
頬に触手が触れた時にじゅぅと肌が焼ける音と痛みが襲ってきた。
痛みに声も出ず、顔に触手が覆い被さってきたので本能的に死を覚悟する。
耳や鼻、口から触手が入り込み激しい痛みと気道を塞がれた苦しさでボロボロと涙が出る。
「こらー!!!」
バンッと何かが開いた音の後に、少し甲高い声が聞こえる。
パタパタと軽い足音が此方に近付いてきて、顔を覆っていた触手が全部取り払われた。
一気に肺に空気が入ってきて思わず咳き込む。
そんな俺の背中を擦ってくれている人物が居ることに視線をあげると、びっくりする位肌が白くて睫の長い美人が居た。
顔に見惚れているとすぐに長い耳が目に入ってくる。
所謂エルフ耳というやつだ。
「暫く休暇が欲しいって言って休んでたくせに昨日は城の中に分身の気配がするし、そうかと思えば嫁の部屋から出てこないから様子見に来たら何さらっと嫁を洗脳しようとしてんだよ!」
「うるさいエロフ…」
「エルフとは何ですか!私はただのエルフではなくて、ハイエルフだって言ってるでしょ!」
男性とエルフさんが言い合いをはじめてしまった。
俺はどうしていいのか分からずオロオロとしているしかない。
この間に部屋を出ようにもエルフさんが俺の肩を掴んでいるので身動きがとれないでいた。
「ハイエルフだろうがエルフだろうが、間違いなくあなたは交尾大好きなエロフでしょう」
「交尾の何がいけないんですか!気持ちいい上に、子供が増えるなんてめでたい事じゃないですか?」
「エルフの中でもハイエルフは一際長寿だから繁殖能力が低いと言われているのにあんなにポコポコ子供産んであなた本当にハイエルフなんですか?これだから部下達にエロフって呼ばれてるんですよ。しかもあなたメイド長でしょ?」
「執事長兼メイド長です。それに、部下達にも言ってますが私が率先して子供増やして何が悪いんですか?子供は宝でしょう!魔界は常に人間によってモンスター達が減ってるし、他の地域へ行ってしまうモンスターも多いから人手不足なんですよ。皆、私や魔王様みたいにどんどん子作りしたらいいんです!」
エルフさんの話に妙に納得してしまったが、ふと聞き捨てならない単語が聞こえた気がする。
子供が宝なのはその通りなのだが、見た目が凄く若く見えるが“一際長寿”と聞こえた。
この人は見た目よりご高齢なのだろうか。
おそるおそる顔をあげると、エルフさんとパチリと目が合った。
改めてじっくりと見ると長い耳は最初から目に入っていたが、髪は白銀色で長いであろう髪は綺麗に纏められている。
メイド長と言うことで昨日見たメイドさん達の様なメイド服を着ていた。
大きく違う点は昨日見たのはコンカフェと言われるコンセプトカフェの店員の様なスカート丈が短かいものではなく、足首まであるロングスカートだった。
白いエプロンは真っ白とはいかず、右の裾の方になにやら赤いシミが見えてしまって恐ろしくてカタカタと謎の震えが起こる。
「人の嫁をびびらせるのやめてもらえますか?」
「よ、嫁?」
「あなたこそビビられてるんじゃないです?」
二人が睨み合っているが、俺は男性が俺を嫁だと言って抱き寄せた事の方が気になった。
俺には旦那が居るのに、男性に抱き寄せられたのが嫌では無かったのだ。
むしろキスされ事で意識してしまって変な動悸がしてくる。
自分の気持ちも状況にも意味が分からず固まっていると、エルフさんがぴくりと柊さんの部屋の方を見た後急いでそちらに走っていってしまった。
「え?」
「魔王様に呼ばれたんだよ」
状況についていけずポカンとしていた俺に男性が俺を膝に乗せながらエルフさんの行動を説明してくれた。
膝の上に乗せられ後ろからぎゅっと抱き締められると益々旦那を思い出してほぅと息をついてしまう。
旦那と大きく違うのは粘膜特有のぬるついた感覚がなく、人肌特有のさらさらとした手触りということだ。
しかし、ふと先程この人にキスされたんだと慌てて腕の中から抜け出そうとするもがっちりと腹の前で組んだ手がロックしていて抜け出せない。
服も着ていないので居心地が悪い。
「あと少しで新居もできる。そうしたら家でゆっくりと過ごそう」
「家?ん?家って…」
俺の腹部を撫ではじめた男性の言葉に俺は首をかしげる。
そういえば旦那も家を建てるから俺を城に預けると言っていた様な気がして俺は益々首をひねってしまう。
思い出さなければいけないのに上手く思い出せない。
喉に小骨が引っ掛かったような不快感にも似た感覚に自然にうーんと唸る。
「まだ着替えさせて無いんですか?」
「うるさいエロフ」
どれくらいぼんやりしていたのか、俺は帰ってきたエルフさんの声に顔をあげる。
そう言えば俺は何を悩んでいたのだったろうと頭がはっきりしない。
しかし、エルフさんに言われて俺は全裸だった事を思い出す。
そういえばエルフさんが部屋に飛び込んで来た時も俺は何も着ていなかった筈だ。
というか今着てないならさっきも着てた筈がないだろうと急に頭がぐるぐると動き出す気がした。
「もぅ!言ったのに、また頭弄りましたね。あんまり弄ると壊れますよ。脳は繊細なんですよ!」
「交尾の事しか考えてない癖に脳が繊細とかどの口が言うんだよ」
「私は思考に優先順位があるだけです」
俺は二人が言い争っている間にベッドを降りて昨日脱ぎ散らかした服を拾った。
下着は見当たらなかったが、何も着ていないよりましなので拾った服を身に付ける。
エルフさんが隣の部屋に行ったと言うことは柊さんは起きているという事なんだろうと言うことでここから逃げるべく隣の部屋へ続く扉の前に立つ。
一応コンコンと扉をノックすると、カチャリと扉が開く音がする。
「失礼しまーす」
俺が恐る恐る部屋に入ると、俺が宛がわれた部屋よりも数倍豪華な部屋が広がっていた。
俺の部屋よりも毛足の長い絨毯に、大きな天蓋つきのベッドが部屋の真ん中にお置いてあるのにそれでも狭さは感じない程に部屋は広かった。
俺の宛がわれた部屋は控えの部屋と言っても十分広かったのにそれより広いとは流石魔王の部屋という感じだ。
「おはよう。昨日はよく眠れた?」
「あ、お陰さまで…」
部屋の中央辺りに来たところで声が聞こえて声の方に顔を向けると部屋の角に衝立があり、衝立の後ろから柊さんが出てきた。
ニコニコと笑いながらゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる柊の質問に俺はこくりと頷く。
しかし、それよりも柊さんの服装が気になって目線が服装に釘付けになってしまう。
「今日各地の魔王が集まる会議なの忘れてて、慌ててユーリ呼んじゃったよ」
「会議ですか?」
柊さんが頬をポリポリと掻いてるが、俺はそのコスプレみたいな格好で会議に出るのかと驚く。
柊さんはノースリーブの様な袖のない着物に袴を履いていた。
上の着物の脇の部分と袴はざっくりと開いており膨らんだお腹と脇腹が見えている。
袴は大きなお腹を覆うようにみぞおちの下に巻かれているが大きく膝の辺りまで開いているせいで下着を履いていないのがすぐわかった。
「あ!これ気になる?これでも正装なんだよねぇ」
「正装なんですか?それが?」
「コスプレみたいで恥ずかしいけど、事あるごとに着てたら慣れるよ。何度かこの正装を変えようと画策してみたんだけど、何でか反対されてこのままなんだよ」
「えぇ…」
柊さんは事も無げに話すが、俺には無理だ。
着ているようでいて身体の側面はまる見えな状態なので着ている方が恥ずかしいのではないだろうか。
むしろここまで横が開いていると着るのも大変そうだ。
「あれ?そう言えばユーリが呼びに行った筈なのに、何で湖くんだけなの?耳の長い子来なかった?」
「えっと…エルフさんなら旦那と喧嘩してます」
「またぁ?」
柊さんが首をかしげたが、俺は来た方向を振り返り困った様に答えた。
そう言えば旦那が人の姿なのははじめて見たななんて思ったが、俺はいつ旦那が部屋に居たと分かったんだったろうかという考えが頭を過るが柊さんの溜め息で考えていたことが四散してしまう。
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